第64話 俺と妹のこれからについて14

「はぁ……はぁ……はぁ……」


 広くて薄暗い倉庫内に乱雑に並べられたコンテナの隙間を、桜庭鈴さくらばりんは辺りを見渡しながら息を荒くして走り回っていた。

 ある程度走ったところで鈴は一つのコンテナに背を預け、膝に手をつき息を整える。

 先程から鈴を捕らえようと追ってきていた男はどうやらうまくまく事ができたようだ。


「……ふぅ」


 熱くなった息を吐きながら、鈴は先程床に転がされていた友人、霧子に想いを馳せる。


 鈴が霧子と友人になったのは約一月前、龍鳳高校の入学式の翌日だった。

 放課後、まだ友人らしい友人ができていなかった鈴は、部活動の様子を見て回るついでに一人で校内を散策していた。


 ある程度校内を見終わった鈴は、人気のない特別教室棟で尿意を感じて女子トイレに入った。

 すると、トイレのドアを開けた瞬間に煙の匂いが鈴の鼻をついた。

 何の臭いかと思った鈴がトイレの奥へと進むと、一つの個室の中でタバコをふかしている数人のよろしくない先輩達がいた。

 先輩達と目が合った鈴は、「し、失礼しました」と言ってその場を去ろうとしたが、先輩達はそれを許してはくれなかった。


 先輩達は危害を加えてくる様子はなかったが、鈴を捕まえネチネチとしつこく絡んできた。

 鈴の能力である『雷電轟々ライゴー』を使えば先輩達から逃れる事など簡単ではあるが、何をされたわけでもないのに能力で相手を攻撃するわけにもいかない。

 すると、鈴に絡んでいた先輩の一人が、突然小さく悲鳴をあげた。


「ひいっ!!」


 そして他の先輩達も次々と同じような悲鳴をあげ、鈴の事を置いてどこかに行ってしまった。

 鈴が何が起こったのか分からずにいると、誰かが背後から声をかけてきた。


「ねぇ」


 声のした方を見るとそこには洗面台があり、洗面台の上には妙に黒目の大きい少女の生首が置かれていた。先輩達はそれを見て驚き、逃げて行ったのだ。


『ひいっ!』


 と鈴が悲鳴をあげなかったのは、その生首が鈴のクラスメイトである阿佐ヶ谷霧子のもので、鈴は霧子の能力を知っていたからだ。だから内心ではかなり驚いていたが、悲鳴をあげるほどの驚きではなかった。


「困ってたみたいだけど、大丈夫?」

「う、うん。助けてくれてありがとう」

「どういたしまして」

「でも、阿佐ヶ谷さんはそんなところで何してたの?」

「霧子でいいよ。私、お兄ちゃんを探してたの」

「お、お兄ちゃん?」

「うん。一緒に帰ろうって約束したのに、迎えに来てくれないんだ」

「そうなんだ。でも、普通女子トイレにお兄さんはいないと思うけど……」

「あ、そっか。お兄ちゃんどこかなぁ」


 そう言って異次元空間に引っ込もうとする霧子に、鈴は思い切って声をかける。


「ね、ねぇ、良かったら一緒に帰らない?」

 すると霧子はピシャリと返した。


「ダメ、今日はお兄ちゃんと帰るから」

「あ……そうだよね。ゴメン」

「でも、明日からならいいよ」


 こうして鈴と霧子は友人になり、翌日の帰り道に鈴は霧子に『お兄ちゃん』について嫌というほど聞かされた。


 鈴が霧子と接している時にそんな様子を見せる事はなかったが、鈴は密かにあの時の借りを返したいと常々思っていたのだ。いや、あの時の借りがなくとも、友人思いの鈴はこの場に駆けつけていただろうが。


 絶対に霧子ちゃんを助けるんだ。


 そう決意して鈴が走り出そうとした、その時である。


「見ぃつけたぁ」


 鈴は背後から両肩を掴まれ、驚きとおぞましさに全身を硬直させる。

 先程から鈴を追いかけ回している小太りの男、財部たからべが現れたのだ。

 なぜコンテナに背を預けている鈴が背後から肩を掴まれたのか。それは、財部が自らの能力『容易き大脱走グレートエスケープ』によってコンテナをすり抜けてきたからだ。

 滝波達は財部のこの能力で阿佐ヶ谷家に侵入し、姿を消す事ができる影山が霧子を捕らえ、郡元の能力で霧子を無力化したのだ。


「は、放して!」


 鈴が『雷電轟々ライゴー』を放とうと腕に電撃を溜めると、財部はサッとコンテナの中に隠れる。

 そして能力を使ってコンテナの中を移動し、今度は別のコンテナから顔を出した。

 さっきからこのやりとりが繰り返されているのだ。


「くぅ……」


 鈴は苦しげに額の汗を拭う。


 体内のエネルギーを電撃に変えて放つ鈴の能力『雷電轟々ライゴー』は、喧嘩や戦闘において莫大な力を発揮するが、放つまでにある程度のが必要なうえに、いかんせん燃費がべらぼうに悪い。使い過ぎれば強い疲労感や空腹が襲ってくるのだ。

 鈴はシャッターを破壊する時に既にかなりの体力を使っている。このままではジリ貧になり、財部に捕まるのは目に見えていた。


「男だったら正面から堂々と戦いましょうよ! このチキン! あ、あなたをチキンなんて言ったら鶏に失礼ですね、あなたどっちかと言えばポークですもんね!」

「言うねぇ、僕がポークなら君はフィッシュかな? だって胸が膨らんでないもんね! アハハハハハハ!!!!」

「くっ……」

 鈴のお得意の『口撃こうげき』もどうやら財部には通用しないようだ。

 それどころか逆に鈴が挑発される事となってしまった。


「でも残念だなぁ……」

「何がですか? か弱い女の子をよってたかっていじめる自分の品性の無さがですか?」

「いやいや、違うよ」


 財部はわざわざコンテナの中から手を出し、わざとらしくやれやれのポーズをとる。


「僕はね、本当はあのボインな女の子を追いかけたかったんだよ。でも影山があの子を追いかけて行ったからさ……滝波様の命令には逆らえないしねぇ」

「はぁ?」


 鈴には財部が何を言っているのか理解できなかった。


「だってさぁ、捕まえる時にどさくさに紛れてあの胸を触れるかもしれないじゃん? それがよりによってこんな貧相な女の子を追いかける事になるなんて、つまらないよねぇ……」

「……そうですか、あなたもオッパイ星の人ですか」

「オッパイ星? 違うね。僕も含めた地球の男はみんな大きなオッパイが大好きなのさ。まぁ、中には貧乳が好きなゲテモノ喰いもいるみたいだけど、やっぱり胸が小さいと女とは言えないよねぇ」

「あ、あなたはオッパイでしか女性を見られないんですか!?」

「僕だけじゃないさ。男ってのはみんな面には出さなくても、巨乳かどうかで女を判断しているんだ! 貧乳で妥協する男は哀れで仕方ないよ、貧乳の女はもっと哀れだけどね!」


 財部の言葉に、鈴はチラリと自分の胸を見た。

 そこには服の上からでもわかるなだらかな平原が広がっており、鈴の心は怒りと悲しみに包まれる。


 鈴の容姿が同年代の少女達より幼いのには理由がある。

 それは鈴の能力に起因するもので、鈴の能力は何もせずとも体内のエネルギーをある程度電力に変えて発散してしまうために、鈴の体は常人よりも体の発達が遅いのだ。それは鈴にとって大きなコンプレックスであった。


 それなのに、ただ胸が小さいというだけで鈴は自らの性別さえも否定されてしまった。相手がただの助平なゲス野郎だとはわかっていても、鈴は込み上げてくる悲しみに思わず涙が出そうになった。


 その時だ。


『オッパイに貴賎はない』


 鈴の脳裏に、本介の言葉がフラッシュバックした。


『大きくても小さくても、オッパイはオッパイだ』


 あの時屋上で聞いた本介の言葉は、己の体にコンプレックスを持つ鈴の心に密かに響いていた。


「そう……そうでしたね……」


『お前達はただ自分のおっぱいに誇りを持てば良いんだ。おっぱいだけに、胸を張ってな』


 そう、今は財部の言葉に心を痛めている時ではない。

 友人である霧子を救うという目的のために、胸を張って戦うべき時なのだ。


「わかりました。先輩」


 独り言を呟きながら微笑む鈴を見て、財部は不気味さを感じる。


「な、何をブツブツ言ってるんだよ!」

「……あなたには、おっぱいを語る資格はありません」

 そう言って突き出された鈴の腕がバチバチと放電を始める。


「おっと」

 それを見た財部は咄嗟にコンテナの中に身を潜めた。

 そしていくつかのコンテナをすり抜け鈴の背後へと回り込むと、先程と同じようにコンテナの側面から顔を出す。すると、これまでであれば財部が隠れる度に右往左往していたはずの鈴は、先程と同じ方向を向いたまま微動だにしていなかった。


 財部は不審に思いながらも鈴を挑発しようと声を発する。


「ほーら、こっちだ————」


 その瞬間、鈴の全身が眩く輝いた。


「グァッ!?」


 鈴から放たれた強い光に目を焼かれた財部は、顔面を押さえてコンテナの中でのたうち回る。鈴は財部の視力を奪うため、残っている体力の大半を使い、全身から電撃を放ったのだ。


「あ、あのチビ! 貧乳のくせに! 貧乳のくせにぃぃぃい!!」


 ガゴンッ……ギギギギギギ……


 財部の潜んでいるコンテナの入り口が、鈍い音と共にゆっくりと開かれる。


「見ぃつけたぁ」


 見えぬはずの財部の目に、怒れる小さな雷神の姿がはっきりと映ったような気がした。


「ひぃぃぃぃい!!」


 しかし、それが定かであるかどうかを判断する前に、財部は全身に電撃を浴びて意識を失った。

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