第63話 俺と妹のこれからについて13
稲葉小春、十六歳。
彼女は自分自身をどこにでもいる普通の女子高校生であると認識している。
小春は友人と遊んだり、甘い物を食べたり、身体を動かす事が好きで、その反面勉強は嫌いではあるが、やっていた方が両親を安心させられるだろうし、いずれどこかで役に立つだろうと考えており、嫌いなりに無難にこなしている。
同年代の少女達と同じくおしゃれをする事も嫌いではないが、ファッション誌に載っている欲しい服を片っ端から買うような金銭的な余裕はないため、いつも着回しができる無難な服ばかり買ってしまう自分を、冒険心やポリシーがないと思ってしまう部分もある。
色恋に関しても年相応の興味があり、中学時代には校内で人気のあったイケメンの先輩に片想いをした事もあるが、告白するに至った事はない。
どちらかといえば直情的な性格で、暴力や嘘等の人を悲しませる行為を悪と認識しており、また逆に人を助けたり喜ばせる行為を善と認識していて、彼女自身は善を好み、良しとしている。
そして、将来的に何をしたいか具体的な目標はまだ定まってはいないが、とりあえず大学まで進学し、いずれは人の役に立ち多くの人に喜ばれる職業に就きたいと考えている。
そんな普通の女子高校生である小春が『捕われた友人の妹を悪人達から救出する』という非日常的なシチュエーションに巻き込まれたのは、六面町の外れで行われていたパルクールサークルの活動中にかかってきた一本の電話が原因であった。
電話の相手は先日友人になった阿佐ヶ谷本介との繋がりで知り合った、小春と同じ高校に通う三年の先輩だ。彼女は小春と一つしか年齢が変わらないのに、妙に色っぽくて大人な雰囲気を纏っており、彼女の男受けしそうなセクシーなスタイルを羨ましいと思った事を小春は覚えている。
彼女から突然の電話の事情を聞いた時、小春は友人とその妹がピンチかもしれないという事実に危機感を覚えると同時に、不謹慎ながらも少しドキドキしていた。
『なんだかドラマみたいなシチュエーションだ』と。
そんなところも彼女は普通であると言えるかもしれない。
しかし、そんな『普通』さを持つ小春には、とても普通とは言えない部分が二つある————
「待てコラァ!」
小春を捕まえようと襲いくるヤンキー面の男の腕を身軽に躱しながら、小春は軽く辺りを見渡す。そして身を沈めてから常人ではあり得ない高さまで軽やかに跳躍すると、男と大きく距離を取った。
小春の普通とは言えない部分一つ目————それは、この能力『
この能力は、小春が跳躍を意識して行動する時、その脚力を補助する能力だ。
この能力が発現した時、小春はそれまで打ち込んでいた陸上を辞めた。
小春の専門は二百メートル走であり、能力とは関係がなかったのだが、それでも小春は脚力を強化する能力を持ちながら陸上を続けるのがなんだかズルい気がしたのだ。
男の挙動に注意を払いながら、小春は男に呼びかける。
「待って!」
すると、男は小春の言葉通りにピタリと足を止めた。
小春は男をしっかりと見据え、更に呼びかける。
「私は稲葉小春、龍鳳高校の二年。あなたは?」
小春の突然の自己紹介に男は一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、小春に倣い自分の名を名乗る。
「……
郡元が小春の呼びかけに応えた事にホッとして、小春は全身から緊張を解いた。
「郡元君、もうこんな事やめようよ。私は事情をよく知らないけど、多分郡元君達がしている事は悪い事だと思うし、郡元君もそれを自覚していると思うんだ。悪い事をしたら良くない結末が待ってる。だから、お互いのために霧子ちゃんを解放してあげてくれないかな?」
小春は友人に話しかけるような気さくな声で郡元に提案する。
しかし、郡元の返事は即答であった。
「イヤだ」
「どうして?」
「あの女が滝波さんを悲しませたからだ」
「そうなの? じゃあ、せめて話し合いでなんとかならないかな? 友達のために何かをしてあげたい気持ちは私にもわかるけど、きっと今のやり方は間違ってるよ。だから、お互いに良い解決方法を考えようよ」
郡元は首を横に振り、小春に向かってゆっくりと歩みを進め始める。
「滝波の命令に従う。それが俺にとっての利益であり、望む事だ」
「その結果がその……滝波さんってあの命令してた女の子だよね。滝波さんにとって、良くない結末を与えるとしても? それって歪んでないかな?」
「俺は滝波の命令が間違えているとは思わない」
「もしそうだったとしても、女の子に悪い事をする事に抵抗はない? 霧子ちゃんにしても、さっきお互いに自己紹介を交わした私にしても」
「ない」
「じゃあ、私があなた達のやる事に私なりに抵抗しても文句はないんだよね?」
「ない」
「……そう、わかった」
小春は悲しげな表情を浮かべて頷く。
すると、すぐ近くまで距離を詰めていた郡元は勢いよく地面を蹴り、大きく右手を伸ばして小春に掴みかかってきた。
郡元が小春に襲いかかる時に拳を握っていなかったのは、女子である小春に配慮したわけではない。郡元は小春を掴み、自らの能力である『
しかし————
ガッ
郡元が瞬きをした瞬間、アゴに何かが触れる感覚があり視界が揺れた。
そのせいで小春の肩を掴んだはずの郡元の右手は空を切る。
そして更に。
ボグッ、ガッ……バツンッ!!
郡元の腹と頬に連続して硬いものがめり込む感覚があり、その一瞬後に側頭部に強い衝撃を受けて、郡元は受け身も取れずに地面に倒れ込んだ。
「あ……ガハッ……」
腹に受けた一撃のせいでこみ上げてくる胃液に苦しみながら、郡元は自らに何が起こったのか理解する事ができないでいた。
郡元が見上げると、そこには腰を落とし拳を握り締めた小春がいた。
小春は郡元に、目にも留まらぬ速さで三発の突きとハイキックを一発くらわせたのだ。
小春の普通とは言えない部分、二つ目————
それは小春の兄が格闘技マニアであり、大学総合格闘技界の有力選手である事だ。小春は陸上やパルクールをやる傍ら、兄により空手をベースにした総合格闘技を幼い頃より教えられてきた。勉強と同じで嫌々ながらも、いずれ役に立つ時がくるかもしれないと思いながら。そして今、それが初めて役に立ったのだ。
郡元は小春が先程あの騎射場を飛び蹴りで揺るがしたのを見ていた時点で、小春の格闘能力を警戒しておくべきであった事を後悔しながら気を失う。
「私、おしとやか系目指してるんだけどなぁ……」
小春はそう呟き、郡元に背を向けた。
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