第54話 俺と妹のこれからについて4

 待ち合わせの相手が金田なら、俺はとっくに家に帰っていた。

 でも、俺はこのまま帰ってしまったら、あの時手を振り払ってしまった霧子に合わす顔がない気がしていたのだ。


 なぜだろう。

 なぜ滝波さんは来ないのだろう。


 その答えが、俺にわかるはずもない。

 きっと何か事情があったのかもしれない。

 連絡もできないような、何か急で大事な用事ができたのかもしれない。


 それでも、陽が沈み夕闇が空を染めてゆくにつれて、なんだか情けなくて虚しい気持ちが俺の胸を侵食してゆく。すると。


「あらー? 阿佐ヶ谷少年、おめかししてこんな所でなーにやってんの?」


 俺にそう声を掛けて来たのは、買い物袋を手にした指宿先輩であった。


「せ、先輩!? なんでここに!?」

「なんでって……すぐそこのスーパーに買い出しに来たら、公園からみょーにどんよりとした音が聞こえてきたから覗きにきたのよ。そしたら少年がいたってわけ」

「そ、そうでしたか……」


 先輩はよっこらせと俺の隣に座り、いつもより優しめの声で語りかけてきた。


「どうした少年、何かあったの?」

「別に何もないですけど……」

「コラ、私の能力に隠し事が通用すると思うなよ。まぁ、能力使わなくても今の君の顔見たら誰だって何かあったと思うだろうけど」

「そんなに何かあった顔してますか?」

「うん。例えるなら……世界からユーカリが消えた時のコアラみたいな顔かな」


 どんな顔だよ……。

 いや、言われてみたらそんな気分かもしれない。

 霧子の手を払ってまでデートに来たのにデートができなかった事ももちろん情けなくて虚しいと思うが、滝波さんにデートをすっぽかされた事も同じくらい悲しい。これは俺が霧子と向き合う事から逃げた罰なのだろうか。


「まぁ、大体何があったのかは想像つくけど、生きてれば色々あるよね」

「色々なんてなくていいんですけどね……。俺はただ普通の恋愛をして、普通の人生送りたいだけなんですよ。でも、うまくいかないもんですね」

「普通かぁ。それは少年にとって都合の良い普通って事かな?」

「……まぁ、そうっすね」

 先輩の『都合の良い』という言葉がチクリと刺さったが、それは間違いではない。結局俺は自分の理想通りに物事が進んで欲しいだけなのだろう。人生も、恋愛も。


 でも、誰だってそう思っているんじゃないだろうか。誰だって自分にとってイレギュラーな嫌な事は起こって欲しくない。苦しみや悲しみから遠い『普通』の場所にいて、『普通』の人生を送りたい。そう思う事こそ普通じゃないだろうか。


「でも、少年は普通なんてものがない事に気付いていながら普通って言っているよね」

 それも当たりだ。

 普通なんて人によって違う。そんな事はとっくに気付いている。

 俺は常々『普通の恋愛がしたい』と思っていた。でも『ありがちな恋愛』は存在しても『普通の恋愛』なんて存在しない。世の中には多くの人がいて、みんなそれぞれ違う恋愛をする。だから『普通の恋愛』は自分の中にしか存在しないただのイメージだ。


 じゃあ、俺にとっての普通の恋愛ってなんだろう。

 それは突き詰めれば妹である霧子以外の女の子との恋愛だ。じゃあ、どうして俺は霧子との恋愛を避けるのか。それは霧子とこれからも家族でいたいからだ。霧子が大切だからこそ、俺は霧子と恋愛をしたくないんだ。


「何か、怖いの?」

「……はい」

 そう、俺は怖いのだ。

 霧子が妹でなくなる事が、家族として見れなくなる事が。


「私は君に何が起こっているのか全部は知らないけど……怖いっていうのは悪い感情じゃないんだよ。人は怖いと思うからこそ危険を避けられるし、何かを失う事を避けられるんだよ。わかる?」

「はい、なんとなくは……」

「でもね」

 先輩はおもむろに俺のほっぺたを指で摘んだ。


「な、なんでふか!?」

「恐怖に立ち向かわなきゃ、人は何かを得られないんだよ。君の思い描く『普通』も、それ以上のものもね」

 つまり先輩は、俺に家族を失うかもしれないという恐怖に立ち向かい、霧子を一人の女の子として認めろと言いたいのであろうか。


「みたいな事を、この前読んだ漫画のキャラが言ったよ」

 そう言って先輩はほっぺたから指を放して笑った。


「漫画の受け売りですか……」

 俺が呆れ顔をすると、先輩は今度は少し寂しげな表情を浮かべる。


「そう。私にも身に覚えがあったから、そのセリフが頭に残ってたんだ」

「身に覚えって、先輩も何か怖かったんですか?」

「うん。昔だけど、私は自分の能力が怖かったの」

 指宿先輩の能力、それは『三猿の報せモンキースポークス』という人の心理状態を音や色で感じ取る事ができる能力だ。便利な能力だとは思うが、先輩な自分の能力の何が怖かったというのだろうか。


「私の能力って、寝てる時以外OFFにできないんだ。だから人の嫌な部分とかも色々見えちゃってさ。凄く悩んだ時期もあったの」

 なるほど。能力者の中には自動的に能力が発動してしまう人や、常に発動しっぱなしの人もいる事は知っている。先輩もそうなのだろう。そして、人の心に関する能力者は、自殺者や鬱病患者の割合が異常に多いらしい。それはきっと先輩のように望まずに人の裏側まで見えてしまうからだ。


「でも、なんやかんやで私は今普通の生活ができてる。それは多分恐怖と向き合って戦ったからだと思うんだ。君に戦いを強要するわけじゃないけど、君が想い描く普通を望むのなら、戦ってみなよ」

「戦う……ですか……」

「そう! 逆に全力で逃げてもいいと思うけど、中途半端にウジウジ悩んでるだけなのはいけないよ。何事も中途半端は良くないでしょう?」


 確かに先輩の言う通りかもしれない。

 今の俺は何もかも中途半端だ。もしこのまま霧子が留学してしまったら、俺も霧子も一生このモヤモヤを抱えて————


「もし少年が戦って負けたら、私が100点で慰めてあげるからさ」

「ひ、100点……」


 先輩の妖艶な笑みに俺が生唾を飲んだその時だ。


 ヴヴヴヴヴヴ


 ポケットに入れていたスマホが振動し、俺は慌ててスマホを取り出す。するとスマホの画面は滝波さんからの着信を報せていた。ハッとした俺はスマホを取り落としそうになりながらフリックし、電話に出る。


『阿佐ヶ谷君助けて!!!!』


 スマホの向こうから聞こえてきたのは、滝波さんの悲鳴のような声だった。

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