第46話 俺と妹の恋愛について9
「普通の兄妹?」
霧子は俺の胸から顔を上げると、首を傾げた。
「私達、普通の兄妹じゃないの?」
そこから先は、口にするのが心苦しかった。
しかし、いつかは言わねばならないとずっと思っていた事であった。
「普通じゃないな。妹が兄貴を好きな兄妹は普通じゃない」
普通の兄妹というのがどういうものなのか問われれば、俺は正しく答える事はできないかもしれない。だけどこれだけは言える。妹の恋愛対象が兄である事は普通ではない。
霧子は俺から体を離して立ち上がる。
「……どうしてそんなこと言うの? 別に普通なんかじゃなくてもいいでしょ?」
霧子の言う通り、普通であることにこだわる必要はないかもしれない。世の中には色んな兄妹がいるだろう。でも……
「霧子、今のままの関係でいるのは、お互いのために良くないと思う」
「どうして? お兄ちゃんは私の事嫌いなの?」
「嫌いなもんか。お前は俺にとって大事な妹だ。だからこそ、お前にはちゃんと俺以外の人を好きになって欲しいんだ」
このまま霧子が俺の事を好きでい続けても、俺は霧子の気持ちに応えてやる事ができない。俺が霧子にできる事は、ただ兄であることだけだ。
「ヤダよ、そんなこと言わないでよ……」
「わかってくれ霧子。俺はお前の恋人にはなれない」
「それでも、好きでいてもいいでしょ?」
「ダメだ。そんなのお前が辛くなるだけだ。俺は兄として、お前に辛い思いをして欲しくない」
そう、俺はもう霧子に叶わない恋で辛い思いをして欲しくないし、他の人に迷惑をかけて欲しくない。俺はもっと早く、霧子の想いをちゃんと拒絶してやらなければならなかったのだ。それができなかったのは、俺が霧子の好意をどこかで心地よく思っていたせいと、霧子を悲しませたくないという気持ちがあったからだ。しかし、そんな曖昧さが結果的に霧子の片想いを引き延ばすことになってしまった。
だから俺は今日、ちゃんと霧子の想いを断ち切らなければならないのだ。
「ねぇ、お兄ちゃんの言うことちゃんと聞くから、ご飯だってもっと美味しいもの作れるようになるから、なんでもするから……お兄ちゃんの事を好きでいさせてよ……」
予想はしていた事だが、霧子はやはり頑固である。
兄である俺がその事は一番良く知っている。
だから、俺は切り札を切る事にした。
「霧子、俺は今度女の子とデートをする」
霧子はハッとして、潤んだ瞳で俺の顔を見た。
「……女の子って誰?」
「それはお前とは関係ない」
「関係なくないよ!!」
「関係ないだろ! お前はただの妹なんだから!」
自分でも、霧子にとって酷な事を言っているのはわかっている。
でも、これは俺達が普通の兄妹になるためには必要な事なのだ。
「だから、もう俺にベタベタしたり、誰かとの仲を邪魔するのを止めて欲しいんだ」
「でも……」
「でもじゃない。俺の事はキッパリ諦めてくれ。そうじゃなきゃ俺はお前と兄妹の縁を切る」
いつのまにか、霧子は涙を流していた。
俺が世界で一番苦手な、女の涙————いや、妹の涙。
「お兄ちゃんは、その人の事本気で好きなの?」
「…………あぁ、好きだ。だから、お前にはもう邪魔されたくない」
滝波さんの事を今でも二年前と同じくらい好きかと言われたら、正直そうではない。でも、そう答えた方が霧子も諦めがつくだろうと思ったから、俺はハッキリとそう答えた。
「……わかった」
霧子はそう言って、台所の方へと歩いて行く。そして戻ってきた霧子の手には、一本の包丁が握られていた。
「霧子!?」
「来ないで」
俺が椅子から立ち上がろうとすると、霧子は包丁の切っ先を自分の胸へと向けた。
「お兄ちゃん……私、ずっとお兄ちゃんを困らせていたんだね……ごめんね……」
「霧子待て! 落ち着くんだ!」
まさか霧子がこのような行動にでるとは、完全に俺の予想外であった。霧子の俺に対する執着が異常に強い事はわかっていたのに、強引に諦めさせようとしてしまった俺の完全なミスだ。
「迷惑だったかもしれないけど、私、本当にお兄ちゃんの事が好きだったヨ……」
「待て!! 霧子やめろ!!」
「私がいなくなっても、お兄ちゃんは幸せになってネ……」
「バカ!! お前が死んで、俺が幸せになれるわけないだろ!! さっき言った事は取り消す!! 何があってもお前と縁を切ったりするもんか!! ただ俺は、お前が俺の事を諦めた方が幸せになれると思ったからあんな事言ったんだ。許してくれ!!」
俺がそう言っても、霧子は首を横に振り、包丁を握る手に更に力を込める。
「ううん……もういいの。私はお兄ちゃんを好きじゃない自分なんて想像できないし、したくないから」
「待ってくれ!! 霧子!!」
「サヨナラお兄ちゃん……最後まで、ダメな妹でゴメンネ……」
俺が駆け出すのと同時に霧子は包丁を胸に押し込んだ。そして包丁を抱え込むように、膝をついてその場に
その瞬間、俺は確かに時が止まったように感じていた。
「霧子!!!!」
俺は霧子に駆け寄り、身体を抱え起こす。
すると。
ガランガラン
台所で、何かが落ちたような音がした。
そして、霧子の胸には包丁が刺さっておらず、代わりに小さな異次元空間がポッカリ穴を開けていた。
「……オニイ、チャン」
「……霧子」
「……サイゴニ、チュー、シテ」
俺は霧子の頭を鷲掴みにすると、本日二度目のアイアンクローを喰らわせる。
「バカ野郎!!!!」
「イタタタタタタタタタタタタ!!!!」
たっぷり一分ほどアイアンクローを喰らわせた後、俺はその場に腰を抜かしてしまった。
「お前な! 冗談にも程があるぞ!」
「それはこっちのセリフだよ。その気もないのに無理して『縁を切る』なんて言ってさ。お兄ちゃん無理すると顔ひきつるからわかりやすいんだもん」
「それは……」
どうやら霧子には俺の心中を見抜かれていたようだ。
霧子は元気よく立ち上がると、ぱっぱとスカートを払う。
「わかりました。お兄ちゃんがそこまで言うなら仕方ないよね。私はお兄ちゃんを諦めます」
「え?」
「だって、仕方ないんでしょ? 私も二年前程子供じゃないし、お兄ちゃんに好きな人ができたなら、潔く諦めて新しい恋を探すよ」
「お前、マジで言ってるのか?」
「マジダヨ。今更取り消しても遅いからね。もう謝ってもお兄ちゃんの事好きになってあげないんだからね! じゃあ、私、先にお風呂入るね」
霧子はそう言って、足早にリビングを出て行く。
俺はただ、ポカンとしながらその背中を身送った。
こうして、霧子の七年に渡る片想いは終わりを告げ、俺と霧子は普通の兄妹になったのであった。
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