第33話 霧子のスペシャリテ5

 結論から言ってしまうと、霧子が捕獲してきたショゴはかなり美味かった。

 ショゴの刺身はカンパチ程脂は乗っていなかったものの、若魚独特の歯応えと柔らかさがマッチして、むしろカンパチより美味かった。そう感じたのは新鮮さのおかげもあるかもしれない。

 そして、霧子は朝のうちに仕込んでいたらしい酢飯で寿司も握ってくれた。霧子の握った寿司はネタと酢飯のバランスが良く、これまた絶品であった。

 更に霧子はせっかくのショゴを余す事なく使うために骨と残った身をアラ煮にしてくれたのだが、少し生臭さはあったものの、生姜が入ったアラ煮は夜の港を走り回って冷えた身体にこの上なく染みた。


「ふぁー、美味しかったねぇ」

 ショゴを食べた終えた桜庭は、目を細めて満足げな笑みを浮かべる。霧子の料理は俺以外にとってもやはり美味かったらしい。

 そんな桜庭に、霧子は心配と迷惑をかけてしまった事を謝罪した。


「鈴ちゃん、心配かけて本当にゴメンね」

「ううん。友達だもん。それより、謝るなら私よりも先輩にだよ」

 そう言って桜庭は、霧子の背中をポンと叩く。俺の方を見た霧子はしおらしく首を垂れた。


「お、お兄ちゃん……心配かけてごめんなさい……」

 本当に心配した。結果的に何もなかったものの、これまでの人生で一番心配したかもしれない。でもそれは、霧子の存在がそれだけ俺の中で大きくなっていたという証明にもなった。霧子が妹になってから今日までの七年間の間に、いつの間にか俺と霧子は本物の家族になっていたらしい。

 俺は霧子の親父になった気分で、腕を組んで厳格に言った。


「これからは、遅くなる時は絶対に連絡を入れなさい」

「はい」

「それから、俺のためにショゴを獲ってきてくれてありがとう。そして……あー、お前はとっくに俺の胃袋を掴んでいる」

 小っ恥ずかしかったが、霧子が俺のためにここまでしてくれたのなら、ハッキリと言っておくしかあるまい。霧子がまた今夜みたいな事をしでかさないためにも。

 すると、それを聞いた霧子の顔がパァッと明るくなった。そして霧子は頬を赤らめてプルプルと震え出す。


「本当?」

「……本当」

「はぁぁぁぁぁ……ウレシイ……鈴ちゃん、結婚式には出席してね! オニイチャン! 挙式はいつにしようか!?」

「おい、待て! 早とちりが過ぎる!」

「白無垢もいいけど、やっぱりウエディングドレスだよネ?」

「知らん!」

 その後、暴走した霧子をなんとかなだめると、霧子は能力で桜庭を家へと送って行った。


 どうせすぐに帰ってくるだろうと思ったが。俺は霧子が帰って来る前に、洗い物を始めた。先程あんな事があったからか、洗い物をしながら俺は父さんの事を思い出した。

 死んだ父さんは釣りが好きで、俺もよく六面港まで連れて行ってもらった。そして俺や父さんが釣ってきた魚を母さんが料理してくれて、それを家族で食べるのが俺の旧姓である波多野家の団欒であった。


 アラ煮の鍋を洗おうとした時、俺は鍋に残されたショゴの頭と目が合った。その時、俺の頭に残された父さんとの僅かな記憶が、更に深く掘り起こされた。


「……まさか」


 俺は鍋に残った僅かな汁をスプーンですくって舐める。そしてショゴの頭に残っていた身を食べた。


『本介、魚はここの身が一番美味いんだぞ』


 なぜ今まで忘れていたのか。

 その味は、昔父さんと食べたアラ煮の味と同じであった。

 そう、父さんもショゴを釣って来てくれた事があったのだ。

 幼い頃の記憶なので、俺の記憶が正しいかは分からない。でも、今はその記憶を信じていたいと思った。


 俺は体の奥から何か熱いものが湧き上がるのを感じた。心臓がどくどくと脈打ち、肌がじんわりと汗ばむ。父さんの事を思い出したからだろうか。きっと父さんが俺に『これからも強く生きろよ』とでも言っているのかもしれない。


「お兄ちゃん、帰ったよ」

 気がつくと、いつの間にか俺の背後には霧子が立っていた。能力で移動した割には遅かったのは、向こうで少し桜庭と話し込んでいたからだろう。


「あぁ、お帰り。今日は疲れただろうし、風呂先に入れよ」

 俺がそう言うと霧子は俺の顔を覗き込み、観察するかのようにジッと見つめる。その目は爛々と輝いており、俺はなんだか嫌な予感がした。


「ど、どうした?」

「お兄ちゃん、なんか暑くない?」

「は?」

「暑くない?」

「ちょっと暑いけど……」

 すると霧子は突然、俺を背後からギュッと抱き締めてきた。

 妙に敏感になっている背中から、霧子の体温と体の感触がまるで直に触れているように急激に伝わってくる。


「な!? なんだ!? どういうつもりだ!?」

「フフフ……効いてきたんダネ」

「何が!?」

「オニイチャンのアラ煮に入れた、スッポンの生き血」

 俺はその時全てを把握した。道理で食卓でアラ煮を食べた時点では記憶が蘇らなかった筈だ。味そのものが違っていたのだから。


「オニイチャン、熱くなってイインダヨ……」

「えぇい! いいわけあるか! 離せこのバカ妹!」

 この体制ではアイアンクローも使えないので、俺は霧子を引きずって冷蔵庫まで歩き、冷凍庫を開けて氷を一掴みする。そして腕を背後に回して霧子の服の背中に入れた。


「ひぎゃぁぁぁぁぁあ!!??」

 背中に氷が侵入した霧子は、あまりの冷たさに俺から手を放してのたうちまわる。その姿はまるでイキのいいカンパチのようだった。いや、貧相な霧子ではカンパチというよりはショゴといったところか。


「前にも言っただろう。兄より優れた妹などいねぇ!」


 こうして俺の貞操は守られ、霧子のレシピにまた一つスペシャリテが加わったのであった。

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