第29話 霧子のスペシャリテ1

 衣食住において一番大切なものはどれかと問われると、多くの人は『食』と答えるであろう。なぜなら単純に、『衣』と『住』は無くても最悪生きてはいけるが『食』がなければ間違いなく死んでしまうからだ。かくいう俺も『食』が一番大切だと思うし、食べる事が大好きだ。


 そして、俺の日常生活の『食』を支えているのが妹の霧子である。

 アニメや漫画なら、妹キャラが不味そうな失敗料理を作って、「こんなの誰も食べてくれるはずがないよね」とか言って泣いていると、それを優しい兄が「うまい」と言いながら食べてくれて、「料理はやっぱり愛情だね」となるのが定番ではあるが、そんな茶番は無しに霧子の作る飯は普通に美味い。


 霧子はそんなに豪華なものを作る事はないが、和・洋・中それぞれのメジャーなメニューをある程度作る事ができるし、スイーツだっておちゃのこさいさいだ。以前はご近所さんから貰った栗からモンブランを作り、俺の舌を唸らせた。

 一方俺はチャーハンかオムライスかカレーくらいしか作れない。しかもカレーは市販のルーだ。霧子はスパイスから欧風、グリーン、インド、タイカレーが作れる。インド人もビックリだ。


 なぜ霧子がここまで料理ができるのか、それは霧子の二人の母親に理由がある。

 まず、霧子の生みの親であり最初の母親は、霧子を産むまでレストランで料理人として働いており、霧子は幼い頃から彼女に料理の基本を習っていた。そして、霧子のセカンドマザーである俺の母さんは、千のメニューがあると地元では有名な定食屋の娘で、自らが父親——俺の爺ちゃんから教えられた料理を、惜し気もなく霧子に伝授したのだ。

 この運命的でハイブリッドな組み合わせにより、若干十五歳のクッキングモンスター・霧子は誕生した。兄の俺が言うのもなんだが、霧子と結婚する男はかなりの幸せものであろう。料理だけに関して言えば俺が結婚したいくらいである。


 そんな霧子が、ある日の朝俺にこんな事を聞いてきた。


「お兄ちゃん、食べ物で一番何が好き?」


 この質問、単純なようでかなり難しい。

 世の男子高校生であれば好きな食べ物は、ラーメン・焼肉・寿司・カレーの四択がまず浮かぶだろうが、一番となるとそこからどれか三つを排除せねばならないからだ。俺もこの四択で悩んだ。そして導き出された答えが————


「コーンスープ」


 なぜだろう。なぜ俺はコーンスープと答えたのか全くわからない。

 確かに俺はコーンスープが大好きだ。粉で作るサラサラしたやつじゃなくて、生クリームが入っていて粒々がタップリの濃厚なコーンスープが大好きだ。中学時代に限界までコーンスープを飲んでみたくなり、スーパーで一リットルのパック入りコーンスープを買ってきて、飲み過ぎて腹を下した事もあるくらい大好きだ。でも、コーンスープがラーメンや焼肉に勝てるかと言われたら絶対に勝てないと思う。

 いや、待てよ……ラーメンや焼肉は腹を下すまで食べる事はできない。そりゃあ苦痛に顔を歪めながら詰め込めばいけるだろうが、コーンスープは違った。飲んでも飲んでも、腹一杯になっても、もう一口もう一口と飲みたくなってしまったのだ。即ち俺が最も好きな食べ物はコーンスープという事である。俺は今、自分が本当に一番好きな食べ物を発見した。いや、きっと潜在意識の中ではとうの昔に気づいていたのだろう。だから俺は霧子の問いに『コーンスープ』と答えたのだ。目が覚めたような気分だ。俺はこれから履歴書に好きな食べ物を書くときは堂々と『コーンスープ』と書けばいいんだ! そして腹を下すまで飲んだエピソードを語れば人事の人も俺に一目置かざるをえまい! ビバ・コーンスープだ! コーンスープ! コーンスープ! コーンスープ! コーンスープ! コーンスープ!


「そういうのじゃなくて、主菜で」

「じゃあ、寿司」

 コーンスープの天下は三秒で終わった。


「お寿司かぁ」

「どうした? 今日の晩飯か?」

「ううん、お兄ちゃんの胃袋を掴もうと思って」


 何を言い出すかと思えば……

 口に出すのは恥ずかしいが、霧子はとうに俺の胃袋を握っている。胃袋だけは握っている。男はおふくろの味に近い料理を作る女に惚れると言うが、俺にとって霧子はそれを完全に再現できる女だ。まぁ、立場上俺が霧子に惚れる事はないのだが。


「そういうのはお前に彼氏ができた時にとっておけ、お前の料理の腕には俺が保証書を書いてやる。お前の料理を不味いと言う奴がいたら三日くらい無人島に放り出せ、そしたら残飯でも涙流して食うようになるだろ」

 過激な事を言ったがもちろんジョークである。だけど霧子ならちょっとやりかねないのが恐ろしい。


「じゃあ、お兄ちゃんを無人島に放り出したら……私の言う事何でも聞いてくれるようになるカナ?」

 怖い怖い。冗談だとはわかっていても、霧子にはそれを実行できる力があるから怖い。ピストルを持った奴が、「これでお前を撃ったら死ぬカナ?」って言うようなものだ。しかし、俺は兄として妹に屈するわけにはいかない。第二のロビンソンクルーソーになってでも無人島で生き延びてやる。

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