僕は、この町に生まれた。ごく普通の家に住む、ごく普通の男の子だった。ただ、他の男の子と違ったのは、親が最低だということ。

 僕の父は、短気で、酒癖が悪かった。自分で足の小指をぶつけて痛いだとか、気温が暑いだとか、そんな小さなことで喚いては、怒って家の中を滅茶滅茶にした。 僕が小学校高学年になると、父はリストラされ、四六時中酒を飲んで、外に出ることは無くなった。

 でも、そのままであったなら、僕はこんな風にはならなかったと思う。

 それから父は、僕に暴力を振るうようなった。僕の目つきが気に入らないとか、これもまた小さな事で。でも、僕は仕方ないと思った。顔も頭も運動神経もよくて、将来有望だと言われていた高校生の時に、母が僕を孕んだから。お互い親に頼ることはできなくて、父は働かなくてはならなかったから。

 父の人生を奈落の底へ追いやったのは、他でもない、僕自身なのだ。だから、暴力を振るうようになっても、仕方ない。だって、そう思うことしかできないじゃないか。

 母は、父に殴られる僕を守ってくれたことは一度も無かった。いつも、黙って見ていた。

 助けて、お母さん。

 父がトイレに行く数分で、僕は母に決死の助けを求めた。助けて、お母さん。お母さんなら、お父さんを止められるでしょう?お母さんは、僕を助けてくれるでしょう?

 結局、期待の眼差しで見つめた僕を、母は助けてはくれなかった。


 どうして。

 そう問うても、何も言わない母。

 僕のことが、嫌いなの?

 僕を見ようとはしない母。

 ねえ、応えてよ。


 そう言うと、母は家を出ていった。携帯もバッグも何も持たず、ぼろぼろのハイヒールを履いて、ぼろぼろのアパートを飛び出した。

 そして、母が帰ってくることは二度と無かった。

 母が出て行ってくれたお陰で、父の暴力はより過激になっていった。


 お前のせいだ。

 お前のせいだ。

 お前のせいだ。

 お前のせいだ。

 お前のせいだ。


 呪文のように叫んでは、僕を殴り、蹴り、真夏の倉庫に閉じ込める。僕は、怖くて、暑くて、気が狂いそうになっていた。息苦しくて、酸素が薄くて、死にそうだった。

 でも、人間と言うのは幸せな生き物なようで、苦しいと思えば思うほど、真夏の倉庫が気持ちいい空間に変わっていった。上手く空気を得られない空間が、好きになっていった。

 例え気持ちが良くても、意識は朦朧とし、僕は実際に気が狂う。


 僕のせいだ。

 僕のせいだ。

 僕のせいだ。

 僕のせいだ。

 僕のせいだ。


 僕は、生まれてこなければ良かったのかもしれない。生まれてこなければ、父も母も、幸せだったのかもしれない。生まれてこなければ、傷つく人は誰一人いなかったのかもしれない。

 その頃は、ちょうど中学生になるくらいで、僕は毎日死ぬことばかりを考えて生きていた。どのように死ねば、父を苦しまずに済むのか。そればかりを、延々と。

 そんな時、僕の前に太陽が現れた。

 中学校の入学式、僕の前の席に座っていた少年、レイ。

 まだ中学生になったばかりだというのに、何か、得体の知れない憂いを持っていて、それでいて、温かいオーラを感じた。

 まさに、運命の出会いだった。レイと僕は、すぐに意気投合して、一緒にいることが多くなった。性格は僕とまるで正反対だけれど、一緒にいて楽だった。そこで、僕の恋心が芽生えた。

 レイに勇気をもらった僕は、ある春の日、父を殺した。

 実の父を、殺したのだ。

 レイと話していて、重要なことに気付かせてもたったのだ。死ぬべきなのは自分では無くて、罪なき子供に暴力を振るう、父親なのだと。だから、殺さなくてはならないと。

 父を殺すのは、意外と簡単だった。

 いつものように殴りかかってきた父をベランダまで誘導して、勢い余ってバランスを崩した隙に、僕は父を突き落とした。その時の感触は、いまもまだ手に残っている。

 爽快だった。

 初めて勝ったと思った。

 二階しかないアパートだったから、死ななかったらどうしようと思ったけれど、幸運なことに、父が落ちたところには大家さんのピッチフォークが立て掛けてあった。

 頭から落ちていく父を、ピッチフォークが呼び寄せた。おいで、こっちへおいで、こっちへ来れば、楽にしてあげるから、と。

 呼び寄せられた父の右目が、ピッチフォークに刺さり、そのまま、ずぶずぶと奥まで刺さっていった。右目から、脳、そして脊髄へ。結合した父とピッチフォークはそのまま倒れて、父は仰向けの状態になった。

 その時、初めて父の様子をよく見たと思う。

 酒に酔った真っ赤な顔、吊り上がっている狂った目、丸く不健康に肥えた身体。いつも僕を殴っていた父の拳は、脂肪はついているけど小さく、案外頼りないものに見えた。

 僕は、こんな男の為に青年期を無駄にしていたのか、と思うと、腹が煮えくり返ってきて、もっと父を殺したくなった。もっと、苦しめてやりたくなった。

 その時、携帯の着信音が鳴った。


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