6
今目の前にいる、ヘレンと名乗った彼女は、アルバスなのかもしれない。いや、アルバスであるとしか考えられない。
レイを慕い続け、それが叶わなかった反動でボクを誘拐したのだとすれば、辻褄が合う。
レイの冒険譚の中のヘレンが、ボクを誘拐するはずなど無い。本当のヘレンは、レイと実を結んだのだから。
星の洞窟に着く前に、彼女がボクに話したことは、やはり全てでは無かったのだ。ヘレン……、いや、アルバスは、ボクに、まだ教えていないことがある。
先を行くアルバスは、人差し指を上にあげ、「エアドームに上がるぞ」というジェスチャーをしていた。
ボクはそれに続き、初めて訪れた、「酸素の薄い空間」の聖地へと、足を踏み入れた。
「どう?ここが、あのエアドーム」
酸素マスクを外したアルバスの目は、煌めいているように見えた。
「まだ、よくわからない」
「こうして寝そべっていれば、時期に来るよ」
アルバスは酸素ボンベを背中から取り外すと、エアドームの中に横たわった。
「ほら、おいで、リース」
彼女の正体がアルバスだったとしても、ボクは、まだ淡い恋心を持っている。アルバスの男に感じない優しい声は、ずっと、変わらないのだ。
ボクは、エアドームに横たわるアルバスの腕の中に、飛びついた。
マリンスーツの下から伝わるアルバスの温かい温度が、徐々にボクの体を満たしていく。心臓の音がドクンドクンと聞こえるたびに、ボクの命の鼓動も呼応する。
ああ、ボク等は生きている。
この身体は、生きているんだ。
例え心が腐っていても、この身体は、それでも生き続ける。
エアドームの中が、次第に息苦しくなってくる。もうすぐ、「あの空間」が生まれる。
ボクを抱くアルバスの顔は、徐々に生気を失いつつある。それでも、心臓は動いている。
「ねえ、ヘレン」
アルバスは、応えない。
「大丈夫、ヘレン?」
応えない。
「……アルバス?」
アルバスの腕に力が籠る。
「なあに、レイ」
応えた。やはり、彼女はヘレンでは無かった。
アルバスだった。
「夢を見ているの?」
「んー、夢じゃないよ、皆で、洞窟に来ているんだよ」
アルバスの様子がおかしい。
「ねえ、起きてよ、大丈夫?」
ボクを抱く腕に、より力が入る。
「起きてるってぇ~。あ、レイの匂いがする」
「起きてってば!」
アルバスの腕を振りほどき、ボクは彼の頬を叩いた。
ぺちん。
「どうして」
アルバスは俯いたまま、か細い声で呟いた。
「どうして、僕を助けてくれないの」
急に泣き出したアルバス。
「どうして、僕を愛してくれないの」
「……どうしたの、アルバス」
空気が、重い。今まで味わったことのない、息苦しさだ。
「五月蠅い。レイは、僕のことなんか何もわかってくれなかった。口では僕が大切とか、好きとか言ってくれてたけど、そんなの、全部嘘だったじゃないか」
「落ち着いて、アルバス」
アルバスの掌が、僕の頬に当たる。
ばちん。
ここにいるのは、もう、ボクが恋した人では無いのかもしれない。それでも、ボクはどうしても、傍にいたいと思った。
「五月蠅い。どうして、レイはヘレンなんかを好きになったんだ。あいつのどこが良かったんだ。どうして、僕じゃないんだ」
「……ここから出よう、そうしないと、」
アルバスが、ボクの顔を掴む。
「ねえ、レイ、なんで?なんで?なんでなの?早く答えてよ、早く、ねえ、早くしてよ、ねえ、なんで?答えろよ、ねえ、ねえ!」
ボクの顔を掴む彼の手が、徐々に降下していく。
首に到達した手は、ボクの命を止めようとする。
すごく、痛い。苦しい。
「……離し、て、」
「僕は、君を許さない。ずっと力になるって、あの日、誓ってくれたのに、君は、平然と裏切ったんだ。高校の時は、まだ仕方ないかなと思ったよ。未熟なゲイは、まだ混乱するからね。でも、成人式で再開して、洞探の部室に入った時、君は……」
そこで、アルバスは離れた。
まだ痛む首に、濁った空気が入ってくる。
このエアドームには、もう酸素は残っていない。ボクの視界も、ぼやけていてよく見えなくなっている。
アルバスは少し離れたところに座った。
「だい、じょう、ぶ?」
上手く言葉が発せない。
「……」
アルバスは、応えない。
離れたアルバスの傍に寄り、横たわった。
「……ごめん、リース。正気を失ってた」
耳元に、アルバスの吐息がかかる。
「気にしなくて、いいんだよ」
「……僕にはもう、待ってくれる人はいないんだ。僕がレイとヘレンを殺したから、皆離れてしまった。もう、僕を愛してくれる人は、いないんだ」
ボクの顔に、アルバスの涙が落ちた。
「ふふ、今のアルバス、レイみたいだ」
ボクは手を伸ばして、アルバスの頬に触れる。
「自分がレイに言ったこと、忘れちゃ、だめだよ。アルバスには、まだ、ボクがいるんだから。ボクが、アルバスと一緒に、未来を生きるんだから……」
アルバスも、ボクの傍に横たわる。
「ありがとう、リース。ずっと言わなかったけど、愛してるよ」
ボクの唇に、アルバスの唇が重なる。
「ボクも、愛してる、アルバス」
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