今目の前にいる、ヘレンと名乗った彼女は、アルバスなのかもしれない。いや、

 レイを慕い続け、それが叶わなかった反動でボクを誘拐したのだとすれば、辻褄が合う。

 レイの冒険譚の中のヘレンが、ボクを誘拐するはずなど無い。本当のヘレンは、レイと実を結んだのだから。

 星の洞窟に着く前に、彼女がボクに話したことは、やはり全てでは無かったのだ。ヘレン……、いや、アルバスは、ボクに、まだ教えていないことがある。

 先を行くアルバスは、人差し指を上にあげ、「エアドームに上がるぞ」というジェスチャーをしていた。

 ボクはそれに続き、初めて訪れた、「酸素の薄い空間」の聖地へと、足を踏み入れた。

「どう?ここが、あのエアドーム」

 酸素マスクを外したアルバスの目は、煌めいているように見えた。

「まだ、よくわからない」

「こうして寝そべっていれば、時期に来るよ」

 アルバスは酸素ボンベを背中から取り外すと、エアドームの中に横たわった。

「ほら、おいで、リース」

 彼女の正体がアルバスだったとしても、ボクは、まだ淡い恋心を持っている。アルバスの男に感じない優しい声は、ずっと、変わらないのだ。

 ボクは、エアドームに横たわるアルバスの腕の中に、飛びついた。

 マリンスーツの下から伝わるアルバスの温かい温度が、徐々にボクの体を満たしていく。心臓の音がドクンドクンと聞こえるたびに、ボクの命の鼓動も呼応する。

 ああ、ボク等は生きている。

 この身体は、生きているんだ。

 例え心が腐っていても、この身体は、それでも生き続ける。

 エアドームの中が、次第に息苦しくなってくる。もうすぐ、「あの空間」が生まれる。

 ボクを抱くアルバスの顔は、徐々に生気を失いつつある。それでも、心臓は動いている。

「ねえ、ヘレン」

 アルバスは、応えない。

「大丈夫、ヘレン?」

 応えない。

「……アルバス?」

 アルバスの腕に力が籠る。

「なあに、レイ」

 応えた。やはり、彼女はヘレンでは無かった。

 アルバスだった。

「夢を見ているの?」

「んー、夢じゃないよ、皆で、洞窟に来ているんだよ」

 アルバスの様子がおかしい。

「ねえ、起きてよ、大丈夫?」

 ボクを抱く腕に、より力が入る。

「起きてるってぇ~。あ、レイの匂いがする」

「起きてってば!」

 アルバスの腕を振りほどき、ボクは彼の頬を叩いた。


 ぺちん。


「どうして」

 アルバスは俯いたまま、か細い声で呟いた。

「どうして、僕を助けてくれないの」

 急に泣き出したアルバス。

「どうして、僕を愛してくれないの」

「……どうしたの、アルバス」

 空気が、重い。今まで味わったことのない、息苦しさだ。

「五月蠅い。レイは、僕のことなんか何もわかってくれなかった。口では僕が大切とか、好きとか言ってくれてたけど、そんなの、全部嘘だったじゃないか」

「落ち着いて、アルバス」

 アルバスの掌が、僕の頬に当たる。

 ばちん。

 ここにいるのは、もう、ボクが恋した人では無いのかもしれない。それでも、ボクはどうしても、傍にいたいと思った。

「五月蠅い。どうして、レイはヘレンなんかを好きになったんだ。あいつのどこが良かったんだ。どうして、僕じゃないんだ」

「……ここから出よう、そうしないと、」

 アルバスが、ボクの顔を掴む。

「ねえ、レイ、なんで?なんで?なんでなの?早く答えてよ、早く、ねえ、早くしてよ、ねえ、なんで?答えろよ、ねえ、ねえ!」

 ボクの顔を掴む彼の手が、徐々に降下していく。

 首に到達した手は、ボクの命を止めようとする。

 すごく、痛い。苦しい。

「……離し、て、」

「僕は、君を許さない。ずっと力になるって、あの日、誓ってくれたのに、君は、平然と裏切ったんだ。高校の時は、まだ仕方ないかなと思ったよ。未熟なゲイは、まだ混乱するからね。でも、成人式で再開して、洞探の部室に入った時、君は……」

 そこで、アルバスは離れた。

 まだ痛む首に、濁った空気が入ってくる。

 このエアドームには、もう酸素は残っていない。ボクの視界も、ぼやけていてよく見えなくなっている。

 アルバスは少し離れたところに座った。

「だい、じょう、ぶ?」

 上手く言葉が発せない。

「……」

 アルバスは、応えない。

 離れたアルバスの傍に寄り、横たわった。

「……ごめん、リース。正気を失ってた」

 耳元に、アルバスの吐息がかかる。

「気にしなくて、いいんだよ」

「……僕にはもう、待ってくれる人はいないんだ。僕がレイとヘレンを殺したから、皆離れてしまった。もう、僕を愛してくれる人は、いないんだ」

 ボクの顔に、アルバスの涙が落ちた。

「ふふ、今のアルバス、レイみたいだ」

 ボクは手を伸ばして、アルバスの頬に触れる。

「自分がレイに言ったこと、忘れちゃ、だめだよ。アルバスには、まだ、ボクがいるんだから。ボクが、アルバスと一緒に、未来を生きるんだから……」

 アルバスも、ボクの傍に横たわる。

「ありがとう、リース。ずっと言わなかったけど、愛してるよ」

 ボクの唇に、アルバスの唇が重なる。

「ボクも、愛してる、アルバス」

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