レイの書物を閉じ、ボクは目を瞑った。

 彼の書物を読んでいると、不思議と泣きたくなってくる。彼が、ボクと同じように嫌気けんき空間が好きだからか。それとも、ボクが経験してこなかった青春を謳歌しているからか。

 もう、どちらも帰ってはこない。時が止まった自分の部屋も、大いなる太陽の光も、何もかも。

 ボクは、開いていた窓を閉め、ゴムテープで窓の枠とドアの枠を囲い始めた。そして、ガスファンヒーターをつけ、徹底的に酸素の薄い部屋をつくりあげた。

 帰ってこないなら、無理やりにでも作ればいい。

 ボクの、ボクと彼女の、楽園が復活する。

 ボクは、床に寝そべって天井をじっと見つめていた。しばらくそうしていると、だんだん空気が澱んでくる感覚がしてくる。あともう少しで、あの空間が蘇る。ボクは、いつの間にか眠っていた。



 彼女の優しい声が聞こえる。少し低い、ゆったりとした声が。

―リース。

 もう一度、ボクの名前を呼んで。

 ボクが目を開けると、そこは薄暗い部屋だった。恐らく、今見ているのは夢だろう。

 なぜなら、消えたはずの彼女が隣にいるのだから。

「こうやって、酸素が薄い部屋にいるとね、昔のことを思い出すんだ。私が好きだったかっこいい男の子は、この空間が忘れられないんだって、私たちに言ってたの」

 息を苦しそうに吐きながら、彼女は寝そべっていた。

「ボクと同じだね」

 彼女は軽く「うん」と言った。ボクも「うん」と言った。

 それから沈黙が続いた。ボクは、だんだん瞼が重くなってきて、目を瞑った。

「リース。寝たらだめよ。死ぬから」

 彼女の優しく芯のある声で、ボクはまた目を開けた。

「寝たいのなら、窓を開けなくちゃ」

 彼女は、ボクの耳元で囁いた。

 寝たいのなら、窓を開けなくちゃ。

 ボクはゆっくり立ち上がり、窓のほうへ歩み寄った。やっとの思いで窓にたどり着く。

 寝たいのなら、窓を開けなくちゃ。

 ボクは、大きなレバーを回して、部屋に空気を入れた。

 肺いっぱいに酸素を入れる。深く、ゆっくり、味わいながら。



 ボクは、誰かの話声で目が覚めた。どうやらボクは、夢から現実の世界へ戻ってきたようだ。

「先生、リースはどうしちゃったんですか?」

 遠くの方で、ボクの母だと名乗った女の声が聞こえた。

「一酸化炭素中毒で、酸欠状態になっていたんです。脳に酸素が行き届かなくて、意識を失ったのだと思います」

「そうですか……」

 覇気を失った消え入りそうな声。

「救急隊員によると、自ら低酸素空間を作ったようなんです。自殺、という可能性もありますが、何か心当たりはありますか?」

「……自殺、ではないと思います」

 ややあって、女は静かに答えた。

「実は、あの子、頭の狂った誘拐犯に育てられたんです」

 違う。彼女は、狂ってなんかいなかった。

「それでなぜ、自殺でないと言い切れるんですか?」

「長い話になります」

「急患が来ない限り、話を聞きましょう」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る