4
アルバスと俺との間に、奇妙な緊張感が漂っていた。
出会って初めての喧嘩だった。洞窟探検の途中だというのに、俺が話しかけても、うんともすんとも言わないアルバスに、だんだん嫌気がさしてきた。何か気に食わないことがあったのなら、言ってくれればいいのに。そんなことを思いながらも、何も言わないのがアルバスの優しさなのだと、頭の中ではわかっていた。
ヘレンの方に目をやると、洞窟の壁をペタペタ触り、「気持ちいい」などとつぶやいていた。カイトは動画撮影、ファルコは一生懸命に、自分の体を温めていた。そんなメンバーのマイペースな様子を見ていると、もやもやした心が、少しずつ晴れていく感じがした。
「レイ、前見て。すごい」
先に話しかけてきたのは、アルバスだった。今までの沈黙は何だったんだ、と思ったが、少し前を歩いていたアルバスの前方に広がる景色を見たとたん、俺の中の何かが弾けた。
目の前には、今まで見たことのない、幻想的な世界が広がっていた。巨大な鍾乳石と氷が淡くライトアップされ、なんとも言えない美しさを醸し出していた。巨大な氷でできた部屋に、巨大な鍾乳石がカーテンのようにぶら下がっていた。俺は、イエティか何かの家に遊びに来ている気分がした。
「「ロマンチック」」
俺とアルバスの声が重なった。俺たちは思わず顔を見合わせた。しばらく見つめあうと、俺たちは豪快に笑った。大きな声で笑い、俺たちの間に立ち込めていた奇妙な緊張感を吹き飛ばした。
急に笑い始めた俺たちをおかしくおもったヘレンたちが近づいてきて、おろおろしている態度を見ると、余計に笑いが込み上げてきた。
「ごめん、アルバス」
「僕こそごめん」
今までどうして謝れなかったんだろう、と思うくらい自然に出てきた言葉だった。恐らく、アルバスもそう思っているだろう。普段は素直なアルバスが、あんなに強情を張っていたのを俺は初めて見た。驚きよりもまず、新しいアルバスを見ることができたことに、俺は喜びを感じていた。
「レイ」
アルバスと仲直りした後、洞窟内を見て回っている俺の背後で、アルバスが俺の名前を呼んだ。
「どうした」
俺は振り向き、アルバスと向かい合った。
「言いたいことがあるんだ」
「何だよ、改まって」
「……僕は、」
アルバスは、そこで躊躇した。
「僕は、何?」
変なところで止めるアルバスにじれったくなって、促すように彼の手を軽く叩こうとした時だった。
「僕は、レイが好きなんだ。友達として、じゃない」
「……え」
俺の頭の中に混乱がやってきた。うまく情報処理ができなくなった。こんな時は、円周率を唱えよう。三・一四一五九二六五三五……、あれ、次の数字は何だっけ。
「ごめん、気持ち悪いよね」
「そんなこと……」
「ははは、何で今言っちゃったんだろう」
「……アルバス」
「おかしいなあ、熱でもあるのかな。僕、先に行くよ」
「アルバス」
「急にこんなこと言ってごめん。じゃあまた、レイ」
「待てよ、アルバス!」
俺に背を向け、アルバスは洞窟の出口のほうへ歩いて行った。俺は追いかけた。アルバスは、足を速めた。俺も、それに合わせて足を速めた。
「待てよ!」
アルバスは、漸く足を止めた。
「何?どうしたの」
アルバスの声は、わざとらしいくらい明るかった。俺は、この声を以前も聞いたことがあるような錯覚がした。
「俺もアルバスが好きだ」
アルバスの顔が、天使のようにきらめいた。
「でも、俺の感情と、アルバスの感情は少し違うと思う」
アルバスは、首を激しく横に振った。
「そんなことないよ。自分の気持ちにブレーキをかけないでいいんだよ。レイは、僕が好き、そうでしょう?」
子供のような、無邪気な笑顔のアルバスに、俺はあの言葉を言っていいものか、躊躇った。
「実は僕は、レイのことをずっと前から知ってたんだ」
「え?」
「えっと、何年前だったかな。どこかの水中洞窟で、警察といるレイを見たんだ。その時に、一目惚れしちゃったんだ」
水中洞窟。忘れたかった、兄の記憶。
体中の血の気が引いていく。
兄の、嘲るような笑い声が聞こえる。
兄の拳の、痛みが蘇る。
そして、俺がしたことも。
俺は、アルバスに何も言えなかった。
「……そろそろ帰ろう」
そう静かに言い、俺は呼び止めるアルバスを無視して、洞窟の出口へと歩き始めた。足取りは重く、周りの音が聞こえなくなった。ただ、兄の嘲笑だけが、脳裏について離れなかった。
俺は、この時に、あの言えなかった言葉を言えばよかったのだ。ごめん、アルバス。俺はヘレンが好きなんだ、と。でも、それを言う勇気はなかった。
後ろでは、アルバスと残りのメンバーが俺の後をついてくる足音がした。
氷の洞窟は、俺の体でなく、心も凍り付かせた。気まずくなったアルバスとは、もう二度と前のように話せないのだろうか。もう二度と、親友にはなれないのだろうか。水中洞窟でかつて俺が犯した罪や、俺の本当に好きな人をアルバスに話そうと思っていたというのに。俺は、今後どうしたらいいのだろう。
目の奥に焼き付いた氷の洞窟が、冷ややかに笑っているような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます