信愛

「スナック菓子でもいかがですか?」

「……食欲ないです。」


びゅんびゅんと、飛んでいく外の景色。を見る余裕すらなく、直之は死人のように蒼白になってうずくまっていた。


「死ぬ……。」

「もう死んでるじゃないですか。」


通路側の席に座ってもなお、この世の終わりのような顔をしている新興宗教の元・教祖。蓮は少し……ほんの少しやりすぎたかもなぁ。と思い、ため息をついた。


「何か別の話でもしますか?」

「しぬ……しぬ。」

「ああ、もう。」


時間が経つにつれて……、厳密には三つ目の駅に停車したあたりでだんだんと直之は平静を取り戻し始めた。(それでもなお、視線は虚ろに通路側に向けられたまま)


「……在来線じゃないなら平気です…、ええ、平気ですとも。」

「小一時間近く上着の中にお籠りしてたとは思えない発言ですね。」


蓮のクローゼットから引っ張り出した上着は夏場では少し厚い素材だった。なぜそんなものを持っていくのかと思っていたら、視界を隠すためだったらしい。遠目から見るとどう見ても警察に連行される犯人のようだったので、通路を通る人にちらちら見られていたりしたことを直之は知らない。


「……はぁ、……神サマに…会えるのですね。」

「嬉しいですか?」

「胃が痛いです。」

「ゾンビなのに。」


恐怖と緊張が混ざったのならそりゃ気持ち悪いでしょうね……、と蓮は他人事のように苦笑いした。


「私にとっては彼は崇拝するべき神で……、同時に理解できない生き物でもありました。」

「息子では?」

「続柄としては……、それで間違いないでしょう。ただ、あの方は最も尊く……、貴い私の神です。まさに光芒、あぁ、素晴らしい。」

「虐待してたくせに。」


半ば嘲るように蓮が黒い瞳で睨めど、そんなことで直之が反省するわけもなかった。彼はただ、純粋に神が欲しかっただけだったから。


「本気でアイしてなければ、傷つけられないのですよ。」

「本気で……、ねぇ……。」


己の神を語るとき、教祖の黒い瞳は心愉しそうで、その声は熱狂を含む。なるほど、これは危ない。蓮は窓の外に目を逸らした。これは長い時間まっすぐとみてはいけないものだ。単にありふれた普段着を着ていても、彼は教祖そのままに見えた。


「では、御影ユウト、という子どもに対してはどうでしたか?」

「どう、とは?」

「神、以外に何かあるでしょう?御影ユウトという、その子に対して、例えば、愛してるとか。」

「アイしてますよ。」

「えぇ、他には?」

「他には特にありません。」


その声に熱狂は含まれない。ただ、単なる無関心ではないことだけが、少しだけ救いに感じた。


「ユウトくんも裕子さんも殺せなかったのです。」

「……愛していたから?」

「いえ、それだけではないのですよ。もっと、もっと単純な。」


単純というにはあまりに複雑なものを考える表情をして、そして、解を見つけたように微笑んだ。


「人が望むこと、何を考えているのかなんて、少し考えれば何もかもわかった。だのに、裕子さんとユウトくんのことは、最期までよくわからなかったなあ……。」

「案外、家族のことも、理解できないことってありますよねぇ。」


通路を眺めたままだった彼は珍しく、蓮の方にそろそろと視線を向けた。


「あぁ、少し慣れてきました。もう怖いものなしです。」

「足が震えてますよ。」

「冷房のせいでしょう、おそらく。そんなことより、あなたのお父様としてのユウトくんはどんな方なのですか?」

「お父様ですか?……そうですね。」


蓮は思いつく限りの事を話し始めた。双咲家に婿入りしてきたこと、『ユウト』という名前を封印し、『優』として生きていること。優秀な人間であること。10余りの外国語を操ること。ほとんど笑顔を見せないこと。もう少したくさん話せると考えていたが、実際口にしてみれば大したことはない。それにこれでは『双咲優』の紹介であって『お父様』の紹介にはなってないような気がして蓮は気まずそうな顔をしていた。


「笑わないのですか?あのユウトくんが?」

「あなたのせいで心を閉ざしたのかもしれませんね。」

「まさか、ユウトくんは常にニコニコぽわぽわしていているかわいい子でしたよ。」


そう言われて思い出してみても、蓮の思い出の中、『お父様』は時折、辛くてたまらないといった悲痛な表情を見せるのだ。たしかに、二、三度笑ったこともあった気がする。だけれど、あの悲痛な表情が全部塗りつぶしてしまう。たしかに存在したはずの暖かな表情も仕草も。


そして、『お父様』の歩んできた人生少しを調べてみれば。出てくる、出てくる。哀れ悲惨、新興宗教の傀儡、神サマ、被虐待児。身体に絶えぬ生傷、青痣。実の父に暴力振るわれ、母は病死。蓮はきっとそれが原因なのだと、そして、出来るだけその傷口に触れぬように暮らしてきた。


「あなたは救いようのない人です。私はお父様の人生を調べて、あなたを憎み生きていました。」

「おや、今は違うのですか?」

「まさか、憎んでいますとも。お父様の首の火傷痕、アレ創ったのあなたでしょう?」


「……ただ、憎む憎まないはお父様が決めることです。私が決めていいことではない。」


前にも言った言葉に蓮は続きを付け加える。


「私はあなたがたを客観的に理解しているように思い込んで……、実は偏見と主観を得ただけだったのですよ。あまりに軽率でした、謝罪します。」

「……はぁ。」


隣の座席から少しきょとんとした、間の抜けた声が聞こえた。


蓮自身、父には愛されているとずっと思っていた。ずっと信じていた。


でも、実際、愛が、愛情の意味が歪んだ形で父に刻み込まれているとしたら。それを考えると、信じてきたものが消え失せるような気がして。正直恐ろしかった。やっぱり、この教祖のことは理解できないし、恐ろしい。昨日、事情を説明したメールを送った。その日のうちに『お父様』から蓮の元には返信が届いた。短く、『会いたい、会わせてほしい。』と。死人が蘇るなんて虚構くさい話を疑いもせず、会いたい、というのだからその想いは生半可なものではないのだろう。


そんなこと、隣に座る教祖には口が裂けても言えないのだけれど。


「お祖父様、お祖父様。」

「なんですか?というか、私、まだ37なんですけど。複雑だなぁ……。」

「それは申し訳ございませんでした、お祖父様。次の駅で降りますよ。……そこから在来線に乗って、バスに乗り継いで行けば、私の実家です。」

「在来線……?!」

「えぇ、15分ほど。」

「せめてタクシーで……。」

「床屋代をケチるような大学院生にそんなお金ありませんよ。」

「じゃあ、グリーン車など取らなきゃ良かったでしょうが……!」

「申し訳ない、お祖父様と密着したくなかったので。」


からからと笑う蓮に、もう何を言っても無駄だと理解した直之は天に仰ぎ新幹線の座席に伏した。

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