塵埃
「……で、実験体が逃げた…と。」
そんな…。映画じゃないんですから……。蓮はため息を吐く。機器を直してから一週間ほどたった夏の日。外に出るのが嫌になるほど、暑い日だった。アスファルトに地鏡ができるような。街を見下ろすビルの屋上を結界で囲み、結界内部の温度を26度に保つ。そうでもしないと熱中症になりそうだった。今日は猛暑日なのだ。
ときには喧嘩の仲裁、そして、迷い人の案内、迷子猫の捜索……。そんな何でも屋的組織が蓮のアルバイト先だ。それぞれの得意分野を活かしながら、任務を遂行する。警察には連絡したらしいが、いまだ目撃情報もなく何も見つかっていないそうだ。実験室からは服を剥ぎ取られた研究員がロッカーから見つかった。つまり、実験体は学生の服を着て、あの実験室から逃げ出したらしい。
「夏休み期間なのだからすぐに見つけられそうですが。ほら、皆さん帰省するでしょう?」
「んもぅ、先輩ったら。今日は外部の方々が来るんですから。難しいですようっ。」
蓮の後輩、皇は妙にきゃるきゃるしながらそう言った。国で最も偏差値の高い大学と呼ばれる、帝都大学。そのオープンキャンパスに参加するために全国から高校生、その保護者、高校教師がこの街にやってくる。定員は各日1万名程度。普段の大学生活の三分の一程度だが、決して少なくはない。
逃げ出した実験体と他の人間との違いは生命維持のほとんどを体内の装置で行なっていること。生け捕りにするようにとのオーダーだ。ゾンビなのに生け捕りとはこれいかに。
「僕の出番ですよ、蓮ちょん先輩!」
ビシッ、と少し格好つけて蓮の前で後輩が敬礼した。皇ミコト、光の魔術を得意とする大学生だ。彼がレントゲンに類似した透視を行えば、体内までスケスケみるみる、丸裸どころか一瞬で骸骨に見えるのだと言っていた。その緑色の瞳でむむっ、と真下の地上を眺め、丁寧に探していく。人、人、人……。
…。
……。
…………。
「ゔーん、いませんね。おっかしいな。」
「ほかのチームもまだ見つけていないそうですよ。」
捜索から二時間ほど経った。空中に浮かぶディスプレイには「新たなメッセージは届いていません」とだけ。
「んもお、疲れたもぉおん!」
「少し休憩にしましょうか。ほら、もう少し涼しくしてあげましょうか?」
「ふふー、冷房病になっちゃいますぅ♡」
「冷房病……、にはなっちゃだめですよ?」
「はぁーい♡」
「先ほど、ミコトさんはXレイを利用していたのですか?便利ですね。」
「はい、でも、それだけじゃないですよ。可視光も、赤外線もぉ、思いのままです!」
波や粒を操るのに長けているのだと、自慢げにミコトは語る。一瞬、(Xレイだと回り込み特性悪いから直線の近距離しか透視できないんじゃないかな……。)などと蓮は思ったが、あまりにもミコトが自慢げなのを見て黙っておいた。
「あ……!それならば、アレができるんじゃないですか?赤外線サーモグラフィ……!かっこいいですよね!赤外線を吸収し、それによって、温度に応じた電気信号を発信、放射率補正を行って温度を測るっていう……。」
「うん?」
「『I=σT4』ステファンボルツマンの式!赤外線のエネルギーは、絶対温度上昇の4乗に比例しますよね!物質による放射率などの誤差はもちろんありますが…。」
「アレですか!すごいですよね、サーモグラフィー!!」
ロマンは人を突き動かす。あらかたのレクチャーを受けた後、すっと立ち上がり、ミコトは計測を開始した。アスファルトは真昼の太陽に照らされて、真っ赤に見えるほどだ。視覚共有しながら蓮は称賛の言葉を飲み込んだ。ある一帯だけ極端に温度が下がっている。
「ミコトさん、少し右を見てください。おかしくありませんか?」
「ん?そうですね、あそこだけやけに温度が低いですね。」
日陰ではないはずのそこは本来ならば真っ赤に見えてもおかしくはないはずだ。緑は、大体27度ぐらいだろう。
「少し見に行ってみますか?杞憂かもしれませんが。」
「そうですね。ここから……370mまっすぐです。」
「測量感謝します。」
蓮の得意とする魔術は空間操作。370の距離を一瞬でゼロにして、着地する。時空の歪みすらなくまるで初めからそこにいたように溶け込む。夏だというのにマンホールのふちが凍結していた。地下の水道から凍り付いているようで冷気が漏れている。それを観察しているとひんやりとした指先の感触が蓮の頬をなぞった。
「ひっ?!」
「……u-こ、さn?」
そこに人がいた。長身で、無理やり着ている衣服はところどころ丈があっていない。蓮たちのほうを振り向いた。その纏う雰囲気は明らかに普通の人間のものだった。灰色のパーカーを目深にかぶっていて。ただ、その声は驚いているようだった。
「蓮ちょん先輩!そいつです!!離れろ!撃つと動くぞ!!!」
ミコトのはなった白い光芒が実験体の太ももを貫き、アスファルトを焦がす。足を撃ち抜かれてバランスを崩し、彼は後ろに倒れる。その衝撃でぶちっと、糸が切れる音とともに首が落ちた。
「うぎゃぁぁぁあああ??!!死んだ!!僕のせいだぁ!!」
「いや、もうゾンビなので死んでるんじゃないでしょうか?」
「あ、そうか。僕としたことが!」
実験体は頭をくっつけていた。知性を感じさせる動きだった。でも足が撃ち抜かれたとか、そういうのはどうでもいいらしい。彼は何かを話そうとしたようだが、声帯がイかれたままだったので『が』や『ざ』の濁音じみた音声が吐き出されただけだった。
「あ、えー、と怪しいものじゃありません。突然、射撃したのは謝罪します。……あの、えっと一緒に大学まで戻って来てくださいませんかね……?」
差し伸べられた手に対して彼は一瞬、考えるようなそぶりを見せ。その腕を動かす。
―危機を察知した蓮は、ミコトと自分をその場から離れた位置に転移させる。
周囲の気温が下がっている。天を衝くような巨大なつららが道路にいくつも生えてくる。
「ヒェー、串刺しになっちゃうとこでしたよ!」
「水の魔術ですね……。」
予め周辺の四つのビル。壁面にチョークでいくつもの魔法陣を描き準備していたらしい。その場を囲むように描き、場を支配する魔術。掛け合わせることで粒の魔力を倍増させる基本の応用。
アスファルトが白い靄を発しながら白く凍っていく。その場から避難する通行人の吐く息が白くなる。雪は降らねど半袖から伸びる腕に鳥肌が立ち、寒さに身体が震える。遠くで聞こえる蝉の声が偽りに感じる。
「夏なのに冬になる……。」
そんなちぐはぐな言葉を呟いたのは誰だろうか。
実験体はその僅かな混乱に乗じて逃げ出した。途端、ビルの間からむあっとした熱気が一気に吹き込む。
「ぁ、逃げちゃいます!」
「大規模な撹乱ですね。」
靄が晴れていく、走って遠ざかる実験体。その周りを結界で囲む。
「でも、姿さえ見つけられれば。捕まえるのは容易なんですよ。」
蓮がぱちりと指を鳴らせば、空間がぐにゃりと飴細工のように歪み、実験体の足を絡め取った。
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