仁愛

 研究室の戸を叩く音が聞こえる。蓮は論文を執筆していた手を止め、顔をあげた。白黒ツートンの長髪を揺らし、ドアの方をみれば、そばにいた高宮教授と目が合った。ジーゥ、ジーゥと規則正しく響いていた金属音が止む。機器の微調整をしながら高宮教授は困ったようにため息を吐いた。


「ごめんね、双咲くん。僕、いま手が離せないよ。応対して……。」

「はぁい。」


 ゆっくりと開けば、それでもぎっ、とドアは少し嫌な音を立てた。立てつけが悪いのかもしれない。廊下に立っている人物を見て、蓮は一旦、研究室の外から出ることにした。緑色の短髪、ちょっと変な柄のTシャツ。今日は珍しく白衣を着ている。蓮の友人、瀬名司だ。生物専攻の彼が工学部棟に来るのは珍しい。それになにかの薬品の匂いだろうか、……ちょっと変なにおいがする。吐き気を催すような刺激臭。


「よっす、……ちょっと、今、実験で使ってる機械が変な動作をおこしてさあ。」

「何かしたのですか?」

「……何もしてないんだけどなあ。」

「不具合を起こすと人は皆そういいますよねぇ。」


疑いの目を向けられて瀬名はしてないとは言い切れずに苦笑する。


「夜鷹教授とか蓮ちょんなら直せるっしょ~?」

「高宮先生のことを夜鷹というのは、やめなさい。」


 教授の口の端から頬の半ばにかけては大きな裂傷がある。過去の実験事故で傷をつくってしまったらしい。『高宮夜助』という名前も災いして、何年も前から『夜鷹教授』というあだ名をつけられている。そのため、他学部の学生はそれこそが本名だと信じているものさえ……、いる。(瀬名だって悪気があったわけではない。)


「あれ?名前違った?……ま、まあ、それは置いといて、ちょっと直しに来てくれないー?」


 蓮が機械の型番を尋ねたところ、どうやら工学部が開発に携わったものだった。生命維持装置の類だ。研究室に資料もある。何度か弄ったこともあり、それならば蓮は快諾するのみだ。


「ええ、喜んで。」

「おぉ!やったぜぇっ‼」


 蓮は研究室から資料と道具を持ち出し、高宮教授に生物実験棟に向かうことを告げた。帝都大学生物実験棟の一室、第4実験室のドアを司は開く。学生証をカードキーにしているので中から開くことは容易だが外側から開くなら、こじ開けるぐらいしか方法がない。部外者が入ることに蓮は少しばかり居心地の悪さのようなものを感じていた。しかし、周りの教員、学生もみな白衣を着ていたのでそれほど浮く、ということはなく蓮は少しだけ安堵のため息を吐いた。そして、息を吸い、その匂いに顔をしかめた。


「ん?蓮ちょん?……あ、そうか。ごめん、たぶんホルマリンとかの匂いだな。」

「……はやくいってくださいよ……。」


 蓮は空気中にわずかな魔力を含ませ、操る。空気が無意識に微粒子を押し退け、新鮮な空気だけを運ぶ。そうして匂い自体は届かなくなったが、気道に残された残滓によって蓮は未だにうっすらと涙を浮かべていた。


少し、落ち着いてきた頃に機械の基盤をあらわにする。少しの好奇心に導かれて、蓮は辺りを見回した。机の上に置いてあるガラスケース。中には人間の手足のようなものが浮かんでいる。人工物…?それとも…。


「……えぇ……と、司さん達は一体…なんの実験をしているのですか?」

「あ……うーん、……あんまり倫理的に良くないやつだよ、なんで俺もこんなのやってるのか知らんけど…。」


──『死者蘇生実験』だってさ。


「えっ……?」


機器を修理している手先を一瞬だけ止める。科学技術の皮を被った魔術のような。死者蘇生、ネクロマンシー。古典的な魔術では術者の魔力強度、状況、感情値、それらがうまく共鳴しないと成功は難しい。


未だに科学での前例はない。それでも魔術とは違い科学は理論と実現可能な環境が整えば、誰でも、どこでもできるようになる。


「……あまり関わりたくないですね。」

「俺だってこんな倫理観ぶっ壊れの実験やりたかねぇよ。」


蓮も妹を生き返らせるために死霊術を行ったことがある。だから、知っている。死霊術という響きの悍ましさとは裏腹に、その根幹は非常に純粋な祈りそのものだ。そして大抵はろくな結果にならない。それはきっと科学技術も魔術も変わりはしないのだ。


「ただ組織に属するってのは自分の意見が通りにくくなることだからな…。」

「それは、そうですね。」

「それに単位もかかってるし。」

「……そこですか。」

「……そうじゃなきゃやらねえよ。」


そういえばやけに学生の数が多い。白衣、白衣、白衣。教授、講師、院生、学部生、多種多様な人間がいるのに皆が揃いに揃って白衣を着ている。ここまで白衣まみれだと誰が誰だかわからなくなりそうだ。白、白、白…。


機械の故障自体は些細なものだった。電圧については最も精密に扱うように書いているのに圧をかけすぎて、安全装置が作動してしまっただけだった。


「……ん…、では、司さん、実験頑張ってくださいね!」

「んー、さんきゅー……。」


あんまり気乗りしないのか、瀬名はひどく曖昧に答え。


装置の中で泡とともに揺らめいたそれには誰一人気がつかなかった。

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