Station:05 娯楽飲食街駅
◉
あたしの名前は工藤アスカ。
神奈山県横花市の学校に通う、最近学校帰りにクラスメイトと《異世界》に寄り道することに抵抗がなくなってきた高校一年生だ。
今日はリョウがオススメする『娯楽飲食街駅』という《異世界》に寄り道している。
まるで東南アジアの屋台通りのような、もうもうと香ばしい煙がそこかしこに立ち込め、提灯やらノボリが飾られた飲食の屋台が大通りに並んでいる。
リョウがいうに、『娯楽飲食街駅』は、自分が知っている《異世界》の中では、はるかに健全で安心な観光地らしい。
現実世界の人間が利用するのはもちろん、他の《異世界》のエルフやハーフリング、ドワーフなど、比較的モラルの高い種族も利用しているそうだ。
異世界だけど、どことなくお祭りの夜店みたいな雰囲気があって、様々な種族が往訪しているが秩序があるこの場所。
あたしは嫌いじゃない。そう思った。
「うまいっしょ? ここの『ドラゴンカオマンガイ』」
真っ赤で肉厚が厚いドラゴンの切り身が乗ったご飯を蓮華ですくい上げるリョウは、口の中に豪快に放り込み、もぐもぐとリスのように頬を膨らませて咀嚼した。
あたしとリョウは、『ドラゴン料理専門ヤム』の屋台の屋根の下で、ドラゴンカオマンガイという料理を注文して晩御飯を食べている。
料理をしているのは長く尖った耳が特徴のハイエルフのヤムさん。天使みたいに美しい顔立ちをしていて、白い割烹着姿で挨拶が《へいらっしゃっい》というところが、イケメンだけど中身は昭和の板前さんという、なかなかの好印象を持てる店主さんだ。
リョウがいうに『娯楽飲食街』のハイエルフたちは、異世界では三つ星クラスの料理人が揃っているらしい。異世界、現実世界に関係なく、味は絶対にうまいことは保証されているそうだ。とくにヤンさんのドラゴン料理は絶品らしく、一度食べたら病みつきになること間違いないほど強烈な美味いとか。
「とりあえず騙されたと思って食べてみな」
テーブルの横に座るリョウがあたしにいった。
あたしは自分の皿に乗ったドラゴンの切り身を蓮華ですくい、思い切って一口食べてみた。
「え」
うっま!
なんだこれ。
噛めば噛むほど、とろけるような肉の甘味が溢れ出てくる。
鳥もも肉の最上級版っていうか。
食感はどことなく鶏肉っぽいけど、脂の甘みとか喉越しは、霜降り牛やマグロの大トロに近い感じがする。
なんていうか、私の知っている旨い肉の更に上をいったような旨さだ、
「たったの200ロストで食べれるのはお得でしょ?」
「う、うん」
あまりの旨さにあたしは思わずドラゴンの切り身を一気に3切れも食べてしまった。
やばい。
この味覚えたら、現実世界のご飯に満足できなくなるかも。それぐらい、めちゃくちゃ旨い。
「アスカってさ、カレシいるの?」
あたしはその場で咳き込んだ。
なんだ。藪から棒に。びっくりするじゃない。
「いないよ」
「好きな人とかも?」
いないいない。
ほしいとも思ったこともない。
「あ、そ? 3組の広瀬くんがあんたのこと気になるっていってたけど、興味ないの?」
「広瀬くん?」
3組の広瀬くんって。
あのガタイのいい柔道部の広瀬スズのこと?
地区大会で個人の部かなにかで優勝したとかで聞いたことあるけど、それ以外だとほぼ面識ない人だ。
「なんか聞いたんだけど、広瀬くんがあんたのことが好きで、今度の全国大会で優勝したら告白するとかって噂だよ?」
「げぇ、マジで? きもっ。無理なんだけど」
あたしは心の中で感じた毒を吐いた。
「なかなかいうわね。あんた」
リョウは蓮華を皿の上に乗せ、肘をテーブルに置いてあたしに向き直った。
「やっぱ顔? イケメン以外眼中なし?」
「いや、イケメンはもっと無理」
「じゃなんだったらいいの?」
「わかんない」
「わかんないってどういうことよ?」
「わかんないものはわかんない。そももそそういうの、あたし興味持ったことないの」
「……レズ?」
アホか。
そうじゃないわい。
「もぉ、わかんないかなぁ。なんていうかグイグイくるのもしんどいけど、そもそも恋愛自体によくわかんないんだよ」
「ふーん、なんで?」
「なんでって……わかんない。なくても生きていけるから?」
あたしがいうと、リョウが「ほー」といった。
「あー、うん。そうね。たしかになくても生きてはいける。そういう人はいるよね」
うんうんと頷くリョウは「わかる、わかる」と小さな声でつぶやいた。
「だけどさ、あんたが恋愛に興味ないのは百歩譲っていいとしてだ。そこまで嫌悪むき出しにしなくてもよくない?」
「え? だって気持ち悪くない? 喋ったことない相手を好きになるのって、ストーカーと一緒じゃん」
リョウは唇を尖らせ、「うーん」と唸る。
「いやまぁ、いわんとしてることはわかるけど……にしても、ストーカーと違くない? 別につきまとっているわけじゃないし」
「無理。あたしの知らないところで勝手に好きになられても正直困る。この前やってたニュース知らないの? 近所住んでるOLに片想いしたニートが、ふられた腹いせでOLを殺して山に棄てた事件」
「まぁ、知ってるけど。いや、でもそーかー」
はははとリョウは空笑いする。
どうしてリョウが笑うのか、さっぱりわからないが、きもいものはきもいとしかいいようがない。
理由なんてない。ゴキブリやイソギンチャクのビジュアルを見てゾワゾワするのと同じで、生理的にきもちわるいとしかいいようがないのだから。
「じゃさ、もし広瀬くんから告白されたら断るの?」
「ううん。断らない」
「ん? どういうこと?」
「そもそも会わないようにする」
広瀬に会わなければ告白されることもない。
学校内にいるけどクラスは違うわけだし、廊下や登下校ですれ違ったとしてもガン無視すれば会話することもない。
たとえ、下駄箱にラブレターとか古典的なことをしてきたとしても、あたしが徹底的にシカトすれば、広瀬から近づくことはまずありえない。告白するシチュエーションを避けること可能だと思う。
「つまり、頑張ってスルーするの?」
リョウがあたしの説明をまとめてくれた。
「そうそう。頑張ってスルーする」
あたしが言い切ると、リョウは前に向き直った。
「ふーん、そっか。まぁあんたがそうするなら、アタシがとやかくいうことはないけどね」
あたしはむっとなった。
なにそれ。なんか含みのある言い方だな。
間違ったこといってる、あたし?
《へいらっしゃい》
屋台の外からがやがやと声が聞こえた。
あたしが振り向くと、制服姿でボストンバッグを担いだ坊主頭の3人の男子生徒たちが、屋台の暖簾をくぐってきた。
あの制服……うちの学校の生徒だ。
しかも、見たことある顔がいる。誰だっけこの人たち。
「おっちゃん。3人だけどいける?」
《注文は決まってるかい?》
ヤンさんが男子生徒の団体に一瞥を投げた。
「ドラゴンカオマンガイ、人数分で!」
《あいよ》
注文を聞いたエルフが、ドラゴンカオマンガイを作る準備を始めた。
どかどかと、男子生徒たちがあたしたちが座っているカウンターのすぐ隣に座り始めた。
「あれ? 吉沢と工藤じゃん」
あたしたちの存在に気づいた坊主頭の小柄な男子が、ぱあっと目を開けて声をかけてきた。
「よっ」
リョウが軽く手を上げて挨拶する。
「部活帰りに異世界に寄るとか、なかなかぶっ飛んでるわね、あんたたち」
「ああ、先輩に教えてもらったんだ。ここのドラゴンカオマンガイ、めっちゃうまいとかいう噂らしいじゃん」
「まーねー」
小柄な男子の顔を見て、あたしは思い出した。
そうだ。柔道部だ。
同じクラスで柔道部の貫地谷くんだ。
で、その隣に座っている面長で体が細いのが大原くんだったかな。それで更にその隣に座っているでっかいのが………………げ!
広瀬くんだ。
あの糸目で無愛想な顔。間違いない3組の広瀬スズくんだ。
「ん? つか、珍しい組み合わせだな。吉沢と工藤って。山田はどうした?」
「あー、誘ったんだけどね。けど、ヤマピーは今日バイト先の友達誘って『美観キノコ駅』に行くって」
ヤマピー……。
まだ行ってるのか、あの駅に……。
「ふーん、そうなんだ。仲良いの? お前ら」
「最近そうだね。よく遊ぶようになったかも」
「へー、そうなんだ。あ!」
突然、貫地谷くんが何かを閃いたような顔になった。
リョウに目を向け、ぱちっとウィンクし、顎をしゃくる仕草をする。
しゃくった先は、もちろん……。
「ちゃっと広瀬! 席変わ……」
「リョウ、行こ!」
あたしは立ち上がった。
「え?」
「用事思い出した! とにかく行こ!」
あたしは振り向かず、屋台から飛び出した。
ぞわぞわした。
全身が毛虫がはったみたいなぞわぞわだ。
「ちょっとアスカ! 待って! あんた異世界だからって無銭飲食していいわけじゃないのよ!」
早足でヤンさんの屋台から立ち去っていくあたしを、リョウが追いかけてきた。
「それに鞄! もう! いきなりびっくりするじゃない!」
リョウが屋台に置いてきたあたしの鞄を手渡した。
「……リョウ、ごめん聞いていい?」
あたしは鞄を受け取ると、リョウに訊いた。
「もしかして今日誘ったのって、そういうこと?」
「は? もしかして示し合わせたっていいたいの? そんなわけないでしょ? 本当に偶然だよ!」
「でも、偶然にも程があるっていうか」
「たしかに、貫地谷くんから話は聞いていたよ。ちょっと聞いてくれないかって。でも、あんたがそこまで嫌がるって知らなくて……」
通行人たちのどよめき声が聞こえてくる。
気づいたら、目が熱くなっていた。
あたしは大通りの真ん中で、ぼろぼろと大粒の涙を流し、咽び泣いていた。
「ごめんね、アスカ。あんたに嫌な思いさせたね」
そっとリョウがあたしの体を優しくハグする。
あたしはリョウのブラウスを、遠慮なく涙で濡らした。
「ごめん、リョウ」
本当、嫌になる。
自分のこの面倒くさい性格が……。
パーソナルスペースに少しでも入ってきたら、どんな相手でも敵愾心むきだしになって、とにかく受け入れることができなくなってしまう。
異世界に迷い込むようになって、その傾向が強くなってきている気がする。
「とりあえず、帰ろう」
「うん」
あたしとリョウは娯楽飲食街駅に向かった。
途中、当たり障りのない雑談をした気がするが、何を話したのか正直あまり覚えていない。
「今度はゆっくり食べようね。ドラゴンカオマンガイ」
駅で現実行きの電車を待っている間、リョウがあたしにいった。
あたしは「うん」と返事すると、電車が到着した。
「は?」
「……マジか」
電車の自動扉が開いた瞬間、あたしとリョウは絶句した。
満員電車だ。
あたしとリョウが入るスペースがギリギリあるかないかっていうぐらい、ぎっちぎちに人が詰まっているすし詰め状態だった。
「おい、早く入ってくれ」
車内にいる乗客があたしたちに乗車するように促してきた。
デブだ。
なぜか車両の乗客全員が、かなりの肥満体だ。
それも。
隣に立っているリョウがややスリムに見えてしまうくらい、病的な印象のデブしかいない。
《この度は【横花市営地下鉄異世界アクアライン】をご利用いただき誠にありがとうございます。こちらの現実行きの電車は最終列車となります。ご乗車乗り遅れないようにお願いします》
駅構内にアナウンスが流れた。
あたしとリョウは顔を見合わせる。
「リョウ……この異世界に一泊できる宿とかって」
「ないよ」
リョウが断言した。
その瞬間、あたしの心が死んだ。
「ぐぇ……!」
「し、死ぬ……」
電車が動き出した。
ドアの窓ガラスに頬っぺたが押し付けられる。
息ができない。
首の方向転換ができふスペースがないぐらいぎちぎちのすし詰め状態な上、汗っかきのデブがたくさん乗っているせいで、車両内が蒸し風呂状態になっている。
「この人たち、どこの異世界の人なの……?」
「……アスカ。違うよ。異世界の住人は現実行きの電車には乗れないから、ここにいる人は『現実世界の人間』だよ」
あたしは自分の耳を疑った。
うそでしょ? ここの人たちみんな、現実世界の人間なの?
「……娯楽飲食街の客はグルメが多いって聞いたことがある。たぶん、ヘビーユーザーの人たちが乗ってきたんだと思う」
ちょうど週末あたりに都心の飲屋街から帰るサラリーマンたちのように、終電に滑り込んできたんだと思うこいつら。
と、リョウが説明してくれた。
「それはわかるけど……それだったら時間帯ずらしてとかできなかったの? ここの人たち」
「あ、あんたもわかるも思うけど、現実行きの電車の本数が少ないのと、ギリギリまで粘りたかったんでしょ、この人たち……」
ぐわんっ。
電車が急カーブに入った。
あたしとリョウに、10倍の圧がかかった。
「うぷっ」
お腹と背中を押されて、お腹の中の内容物が逆流しそうになった。
今まで満員電車に何度か乗ったことあるけど、ここまで密度の高いのは初めてだ。
臭いがやばい。
異世界の飲食街帰りのせいか、鼻が曲がるとかそういうレベルじゃない、嗅いだことのない口臭がそこかしこに漂っている。
嗅いだ瞬間、頭の後ろを掻き毟られたような、強烈で臭いというか。
おまけに湿度が異様に高いものだから、乗車内の人間全員汗をかいていて、汗や口臭、体臭が混ざったとんでもない『悪臭』が、車両内全体に充満している。
毒ガスだ。
今の異世界アクアラインの電車は、走る毒ガス部屋になっている。
やばい。
立っているのもきつくなってきた。
「おい、君! もっと奥へ行ってくれないか」
あたしの背中を押すデブの乗客が、なんと悪びれもなく無茶をいう。
できるならそうしたいけど、動けるスペースがないのよ。
ちらっと隣のリョウを見た。
リョウは目を瞑り、苦渋の表情で必死に耐えている。とても話しかけられる雰囲気ではなかった。
ああ、はやく。
はやく着いてくれ。現実世界に。
ききー!
どんっ。
電車が突然止まった。
「へ?」
《停車信号です。線路に異音があったと報告があったため、この電車は停車いたします。ご乗車の皆様、ご迷惑をおかけして申し訳ございません。今しばらくお待ちくださいませ》
車内に絶望一色に染まった。
「くそが! ふざけんなよ! 俺たちを殺すつもりか!」
サラリーマン風のデブの中年が喚いた。
「そうよそうよ!」
「はやく帰られしてくれ!」
中年が喚いたのをきっかけに、次から次へと乗客が喚き始める。
こいつら、よくそんな怒鳴る元気あるな。すごいわ。
ああ、どうしてこんな試練を受けないとダメなの。
もっと早い時間の現実行きの電車に乗っていればこんなことには……いや、そもそも『娯楽飲食街駅』にさえ寄り道しなければこんな目に……。
頭の中でぐるぐると後悔の念が回り始める。
電車内がサウナ状態になってから、どれくらい経っただろうか。
首筋や制服が汗だくになって、呼吸も浅くなってきた。
視界がだんだん揺れてきて、立つことがままならなくなってきた。
もうダメ。
意識を保ってられない……。
あたし死ぬんだ。たぶん。
異世界と現実世界の途中のすし詰め状態の満員電車で死ぬんだ。
そう思った。
その瞬間、膝ががくんと下がった。
「おい! おすな!」
「ふざけんなガキ! 何やってるんだ!」
あたしの近くで罵声が飛び交う。
ふっと背中にかけられていた圧が突然消えた。
え?
あたしが振り向くと、広瀬が鬼の形相で立っていた。
「ぐぐぐ!」
広瀬はあたしの頭の上に腕を伸ばしていて、両腕でドアの窓ガラスを抑えていた。
いわゆる両腕壁ドン状態になっていた。
背中でデブの乗客たちを押し出し、あたし1人が少しだけ動けるスペースを作ってくれていた。
「だ、大丈夫か? 工藤」
広瀬がぎこちない笑みを浮かべた。
それはこっちのセリフだ。
いくら体格に恵まれているとはいえ、この巨漢たちを押し出すのは相当負担がかかっているはず。
「広瀬くんこそ、大丈夫なの?」
「た、多分」
「いいよ! そんな無理しなくても! あたしなら大丈夫だから!」
「し、死ぬな」
「え?」
広瀬くんがいった。
「こんなくだらないところで死ぬな。死ぬって思うな。まだ1年生だろ俺たち。だから死ぬな」
ぴしっ。
窓ガラスにヒビが入った。
奥歯を噛み締め、広瀬は苦渋の表情で堪えた。
《長らくお待たせしました。電車が発車します》
アナウンスが流れたとともに電車が走り始めた。
電車はそれから数分後に、現実世界の踊馬駅に到着した。
乗客たちとあたしたちは、ドアが開いた瞬間、堰を切ったダムの水のようにホームに流れ押し出された。
「広瀬くん!」
ふらついた足取りで、広瀬が、いま、スズがホームのベンチに座り込んだ。
「大丈夫?」
「ああ、なんとか……」
あたしは近の自販機を見つけると、すぐにPashimoで水のペットボトルを買って、スズに渡した。
スズはそれを受け取ると、「ありがとう」とつぶやいた。
「無事帰れてよかったな……現実に」
「うん」
「しばらくは異世界は勘弁だな、ははは」
ペットボトルのキャップを外しながら、スズは笑った。
あたしは胸をぎゅっと押さえつけ、思った。
さっきから止まらない。
電車を降りたはずなのに、胸の高鳴りが全然止まってくれない。
この気持ちが一体なんなのか。
今のあたしにはわからない。
たた、できるなら。
もう少し、ここにたい。
そうあたしは心の中で思った。
To be next station...
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