Station:04 逆境賭博停留所
◉
あたしの名前は工藤アスカ。
神奈山県横花市の学校に通う、もういい加減、異世界に迷い込むことにうんざりしている高校一年生だ。
その日の放課後。
あたしはバスに乗って家に帰っていた。
バスの窓際席に座るあたしは、窓に映る一ツ沢下町付近の街並みを眺めながら思った。
マジで無理だわ。
異世界に迷い込むの。
ただでさえ乗っていた電車が目的地とは違うところに着くっていうだけでもかなりのストレスを感じるのに、異世界の駅なんて意味不明な場所に到着すれば尚更だ。
いくら現実行きの電車が来るといっても、電車を待っている間に変態キノコに視姦されたり兵隊もどきのおっさんにフルスイングのビンタをされることを考えると、損することはあっても得することなんてひとつもない。
異世界に迷い込むことは、あたしのメンタルをゴリゴリ削ることにしかならない。そのうち胃に穴が開いたり頭に10円ハゲができることは間違いない。
だから、二度と。
いや、金輪際。
異世界に迷い込みたくない。
そう固く決めたあたしは、定期圏外だが『市内バス』を利用することにした。
学校から家まで630円かかるけど、逆に630円を払って心の平穏を買うと考えれば安いものだ。
とにかく、普通に帰りたいんだ。あたしは。
異世界に迷い込むんじゃないかってびくびくせずに、ただ普通に帰りたいだけだ。
《この度は【横花市営バス異世界アクアライン】をご利用いただき誠にありがとうございます。次は『逆境賭博』に到着です。お出口は左側となります。Ladies and gentlemen.We will soon make a brief stop at GYAKYOUTOBAKU.The exit will be on the left side.Thank you.》
「はぁあ!?」
思わず席から立ち上がった。
車窓の景色が、一ツ沢下町の街並みからネオンがちらつく繁華街に急変した。
異世界だ。
つい3秒前まで夕方だったのが、窓の外を見ると真夜中に変わっている。
うそでしょ?
アクアラインには乗ってないのにどうして?
「びっくりしすぎ、アスカ」
聞き覚えのある低い女の子の声が聞こえた。
振り返ると、いつの間にか『デラックス』ことクラスメイトの吉沢リョウがバスの座席に座っていた。
「地下鉄だけじゃないんだよ。バスも《異世界アクアライン》になるの知らなかったの?」
「吉沢さん……もしかして……」
「あ、誤解しないで。あんたと違ってアタシはわざと乗ったの」
え、わざと?
わざと異世界に入ったの?
「そ。このバスが次停まる『逆境賭博』に、うちの兄貴がいるの」
「お兄さん? 吉沢さんの?」
「うん。4つ離れた兄貴で大学中退したんだけどさ、兄貴……どうやら異世界にはまっちゃったみたいなんだよね」
バスが停まった。
運転席の側にあるドアが開き、バス内の液晶モニターに『逆境賭博』と表示された。
「アスカ。ここも地下鉄と同じで1時間くらい待てば現実行きのバスが来るはずだよ。アタシは兄貴探すつもりだけど、あんたはどうする?」
あたしは考えた。
いつどこで人喰いドラゴンに襲われたり、変態キノコに視姦されるかわかったものじゃない。
こんな得体の知れない場所で一人きりになるとか絶対無理。
お兄さん探すの手伝うから、ついていっていいかな?
そうあたしはリョウにお願いをした。
「いいよ。でも降りる前に一つ確認していい?」
リョウがあたしにいった。
確認って、なんだろう。
「うん。なに?」
「あんた、『お金』いくら持ってる?」
「え?」
いきなりなんだ。
人の懐事情を聞くとか、ちょっと失礼じゃない?
「いいから、いくら?」
「2000円だけど……」
本当は予備に5000円隠し持っている。
何かあった時用に、カバンの内側の布地に潜ませている緊急用のヘソクリだ。
だから、合計7000円持っていることになる。
が、実際使えるお金は2000円だから、あたしの中では全財産は2000円のつもりだ。
「その2000円。絶対ムダなことに使わないようにね」
リョウが真顔であたしに忠告してきた。
なんだ。さっきから。
ムダな使い方ってどういう意味? あたしが異世界で2000円のお小遣いを散財するみたいな言い方して……。
するわけないでしょ。そんなこと。
《ようこそ! 逆境賭博の世界へ!》
停留所から降りると、ライトアップされた巨大なビルが目の前にそびえ立っていた。
ビルの入り口には『Adversity Casino』と小さな電球で装飾された看板が掲げられている。
Adversity...。
直訳して『逆境』か。
ふっ。
思わず鼻で笑っちゃった。
《ご入場ですか?》
黒いスーツを着たガードマンらしき緑色の皮膚の大男が声をかけてきた。
ゴブリンかな?
いや、あの下顎の牙がはみ出てる感じとか、多分オークだな。
「はい。2名です」
リョウが答えた。
あからさまにバケモノ相手に全く物怖じしていない。
さすがデラックス。すごい度胸だ。
《では入場料1万ロストを2名分頂きます》
入場料取るの?
しかも1万ロストって……なにその通貨。異世界の通貨?
「施設の中にうちの兄貴がいるから、そいつに請求して。名前は吉沢ノブユキ」
《お待ちください》
黒スーツの巨漢オークが、片耳につけた無線イヤホンに指をあててボソボソとなにかを喋っている。
数秒後。
巨漢オークがリョウとあたしの視界の前から離れた。
《どうぞ。確認が取れました》
「ありがとう。行こう、アスカ」
リョウがあたしに声をかけた。
よくわからないけど建物の中に入ることができた。
名前を出して入館することができるって、もしかしてリョウのお兄さんはかなりのVIPとか?
「た、助けてれぇえええええ!」
建物の中に入ると、煌びやかな世界が広がっていた。
豪華なシャンデリアに赤い絨毯。蝶ネクタイにフォーマルなスーツ姿や背中がばっくり開いたきらきらドレス姿の異世界人が、ホール内にわんさかいた。
ホールの中心に、宙づりになった男の人が大声で命乞いをしている。
緑色のチェックの襟付きシャツにジーンズ。ぼさぼさなロン毛で尖った鼻と尖った顎といった特徴的な顔つきをしている。
まさか、あれって。
「兄貴よ」
リョウが顔をうつむかせてため息を吐いた。
うそ。
全然似てない……?
あ、でも吊り目なところは似てるとか? もしかしてだけど。
《さぁー! 賭けた賭けた賭けた! この吉沢ノブユキは自分の体に100億ロストを賭けてこのゲームに参加しています!》
突然、天井からスピーカーの声が響いた。
場内にいる異世界の客たちの「わぁー!」という歓声が上がった。
《ルールは簡単! この宙づりになった吉沢ノブユキが『助かる』か『助からない』か。そのどちらかを賭けるという至極シンプルな内容となっています!》
宙づりとなったノブユキの真下には、ギザギザの刃がついた巨大ミキサーのような機械が設置されている。
ぎゃりぎゃりぎゃり。
巨大ミキサーの刃が、不吉な音を立てて回転し始めた。
《さぁ張った張った! 張って悪いはオークの頭ときたものだ! さぁーみなさま! どちらを賭けますか!?》
《『助からない』に1億ロスト!》
《『助からない』に8億ロスト!》
《『助からない』に200億ロスト!》
会場にいるゲーム参加者たちが口々と賭け金額を宣言していき、会場内が異様な熱気が広がっていった。
誰も『助かる』に賭けていない。
壁に設置されている電子掲示板に『助かる』『助からない』の賭け率が表示されている。
『助かる』の配当額が、引くレベルの高い数字を表示していた。
「え、吉沢さん、これどうするの?」
あたしがリョウの顔を覗いた。
リョウは厳しい眼差しを兄貴のノブユキに向けたまま無表情をキープしている。
「あのー、聞いてる?」
《さぁ、そちらのお嬢さんはどうしますか⁉︎》
スピーカーの声が響いた途端、スポットライトがあたしに照らされた。
は?
え!
あたし⁈
《さぁ‼︎ どっちだ⁉︎ 助かる? or 助からない?》
どっちって。
いや、あたしに訊かれても。
あたしは賭ける気なんて……。
「助けてくれえええええ! 君! リョウの友達だろ! 俺が『助かる』に賭けてくれ!! 頼む! 賭けてくれぇええええ!」
ノブユキがあたしに向かって大声で命乞いをしてきた。
え、ええええ……。
そんなあたしにいわれても。
それに、そんな賭けるお金なんて持ってないし。
《お客様。『助かる』or『助からない』どちらに賭けますか?》
突然、入り口にいたはずの巨漢オークがあたしの隣に現れた。
び、びっくりした。
いきなり出て来ないでよ。心臓飛び出すかと思った。
「えと、あたし……」
「ひぃああああああああああああ!」
ちりっ、ちりっ、ちりっ。
ノブユキの垂れた前髪の毛先を、高速回転するミキサーの刃が削った。
「もぉダメだあああああああ! これ以上は限界だぁあああああ! 賭けてくれえええええ! 俺が『助かる』に賭けてくれええええええ!」
《お客様、どちらにしますか?》
助かるか。
助からないか。
どちらかを賭けないと。
ノブユキは死ぬ。らしい。
どっちか選べといわれても……。
あたしはもう一度リョウを見る。
リョウは肩を落とし、呆れ顔であたしに振り返った。
「じゃ……『助かる』に……」
「ぎゃあああああああああああああ!」
悲鳴が会場内に響いた。
まるでスプリンクラーのように、真っ赤な血があたり一面に派手に飛び散った。
わぁあああ! と、歓声が上がった。
《参加者のみなさま! なんとなんとなんと!! 結果はなんと! 『助かる』でした!!》
会場内に拍手喝采が起こる。
宙吊りになっていたノブユキが、地面に放り出された。
「兄貴……」
「やぁ」
あたしとリョウは、地面に放り出されたノブユキの元に駆け寄った。
両脚がつま先から太ももにかけて削り取られている。
「大丈夫だ……魔法で足生えるから……たぶん」
息を切らしながらノブユキがあたしたちを見上げる。
ノブユキの両脚の付け根から、テーブルにこぼしたソースみたいに、どばどばと濃い色の血が垂れ流れていく。
いや、死ぬって。
魔法で足生やすとかその前に、はやく血止めないと、やばいって。
「リョウ……」
ぜぇぜぇと浅い呼吸を繰り返すノブユキが、リョウを呼んだ。
「いくらだ……? いくら稼いだ?」
「ざっと2000億ロスト」
リョウが答えた。
あたしは目を剥いて絶句した。
なんなのその単位……2000億⁈ 国家予算とかでしか聞いたことない金額だよ、それ。
《お客様。おめでとうございます》
巨漢オークがふいにあたしの隣に出現した。
あたしはその場で悲鳴を上げる。
ほんと、いい勘弁して。
いきなり出てこないでよね。
《2000億ロスト。お客様の世界でも使用できるよう換金いたしますが、いかがいたしますか?》
換金できるの?
あ、でもそうか。
ロストなんて持ってたって、現実世界じゃオモチャの紙幣とかにしかならないだろうし、換金するしかないよね。
「じゃお願いします」
《全額ですか?》
「え? ええ」
換金のオーダーを受領したオークが、ひゅんっと瞬間移動した。
隣を見ると、なぜかリョウが頭を抱えて「あーあー」とぼやいていた。
「バカだね、あんた」
《お待たせしました。こちらが換金した賞品です》
巨漢オークが瞬間移動で現れた。
銀色の高級そうなトレーを両手に持っていて、トレーの上には、どこかで見覚えのある円柱型の物体とオレンジ色の袋の2つが並んでいた。
これって。
「キンキンに冷えた『ビール』と『ポテトチップス』でございます」
巨漢オークいわく。
1ロストは0.0000000025円となる。
2000億ロストは日本円にして500円。
税抜きで購入できるのは、ポテトチップスと缶ビールになるそうだ。
「くぅうううう! キンキンに冷えてやがる! ありがでぇえ! うますぎる!」
オークの救急隊員たちに担架で運ばれながら、ノブユキは冷えたビールをぐびぐび飲んでいる。
あたしが手に入れたビールだけど、未成年ということだからノブユキにあげた。
瀕死の状態なのにビールなんて飲んでて大丈夫なんだろうか。
「ていうか、リョウ。付き添いはいいの?」
「いい。これで11回目だから」
リョウのお兄さん、ノブユキは、異世界の逆境賭博停留所の存在を知ってから、自身の身体を賭けるギャンブル中毒になったそうだ。
なぜ、自身の身体を賭けるかというと……。
「勝った時の『快感』がすごいらしいんだって。自分で賭けて勝ったっていう快感で、ビールが何倍もおいしくなるんだとか」
リョウは肩をすくめ、「アタシには理解できないわ」とぼやいた。
たしかに、理解できないことだ。
自分が死ぬことだってありえることをやって、一体何が楽しいのかさっぱりだ。
あたしもリョウの意見に心の中で同意した。
「ところでアスカ。あんた帰りのバス代って持ってるの?」
「え?」
「地下鉄と違って、バスは現実行きに戻る時は運賃いるんだよ?」
うそ、そうなんだ。
知らなかった。地下鉄に比べて融通効かないんだな、バスは。
ま、でも所詮市営バスだし、そんなにかからないでしょ。運賃なんて。
「いくらぐらいなの? 現実行きのバスって」
「12兆ロスト(7000円)」
「……」
30分後。
現実行きのバスに乗るため、あたしはリョウから500円を借りた。
「だからいったでしょ。絶対無駄なことに使うなって」
隣に座るリョウが、袋を開けたポテチに手を突っ込んでむしゃむしゃと遠慮なく食べている。
あたしはポテチを5枚束に手にとって、口の中に頬張って悔しさと一緒に咀嚼した。
今後。
二度と一切。金輪際。
バスは使わない。
そう心の中で強く決心した。
To be next station...
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