茨木童子 2

 それからというもの、青葉は人と妖怪の在り方を考えるようになった。人の世を生きる朱音と半分の時間を共に過ごす青葉でさえ、共生なんて他人事のように響く。例のぬらりひょんとかいう妖怪はどうして共生を夢見ることができるのだろうか。一体どんな妖怪なのだろうか。

 その点、道満法師は晴明と対極的な姿勢を貫いていた。妖怪は人間の敵であり、妖怪であるというだけで殺してよいのだという。道満に言わせれば、度々妖怪の肩をもつ晴明は人間の敵だ。妖怪は人の世に必要ないのだと幾度も朝廷に進言しているのだが、今のところ袖にされてばかりだ。

 八重桜も散る頃、朱音と青葉は景泉院本邸を訪ねた。琵琶湖ほとりの四阿あずまやは景泉院本邸から小高い丘を登った場所に設えられており、上から眺める湖面は客人達の目を楽しませる。穏やかな時間が流れるその場所で朱音は道満法師への不満があふれた。四阿の主人に一通りの愚痴を聞いてもらう。

「先日もおっしゃっていたそうね」

 四阿の主人、景泉院けいせんいんは頬に手をあてておっとりと微笑んだ。先の上皇が崩御されてからというもの、上皇后である景泉院は輪をかけて穏やかになったと噂されている。琵琶湖に隠居してからだ、いやいや譲位されてからだと好き勝手な噂が飛び交ったが、言ってしまえば景泉院は生来のんびりとした気質である。

「あれは喚いていた、と言うのです」

 遠目に見ていただけの青葉にも、道満法師の異常さはよくわかった。朝廷は指定した妖怪のみ討伐対象としているのに対し、道満は人の世に必要ない妖怪をすべて殺せといつも言っている。妖怪なんて、害しかないのだと。次々と妖怪退治の功績をたてるのは晴明への対抗心でもあるが、妖怪の悪業を知らしめるためでもあった。

「多くの加護を貰いながら何を言うのかしら。自分だって妖怪の血肉を呪術に使っているくせに」

「……紅葉の宮は共に生きたいのね」

 憤慨している朱音の横でくすくすと笑うのに合わせて、景泉院の皺が深くなった。皺の数が増えても、そこにはかつて帝の心を奪った笑顔の面影が残っていた。小さな四阿には四人分の茶菓子が用意されていた。朱音と景泉院、口うるさい従者が居ないから、と言って青葉ともう一人にも。

「だって景泉院さまは鵺と共に生きたのでしょう?」

 朱音は四阿の大部分を占領している異形の妖怪、鵺にちらりと目をやった。獰猛な虎の足に恐ろしい猿の顔を持つ強い妖怪だと言うのに、景泉院も朱音も恐れるどころか信頼しきっている。それは青葉も同じことで、茶菓子に出された金時豆を鵺と並んであっという間に平らげた。

愁鳴しゅうめいはいい子だもの。討伐される謂れはないわ」

 ねえ、と景泉院は手を伸ばして蛇の尾を撫でた。蛇も目を細めては、もっと撫でろと景泉院の手に頭を押し付ける。

「それを皆殺しにしようとしているのが道満という男なのですよ」

 朱音は力説するも、景泉院にはなかなか響かない。妖怪との共生も、妖怪の皆殺しも、景泉院からすればどちらも荒唐無稽であるからだ。

「そうなったら愁鳴はちゃんと逃げてね」

 冗談めかして景泉院は鵺に笑いかけた。鵺は静かに首を振り、トラツグミのような声で答える。

「いや、できるだけ側にいよう。先の帝との約束だ」

「あらいやだ。死んだ人との約束なんて無効ですよ、無効」

 景泉院は年甲斐もなく頬を膨らませた。初夏の夕暮れに、少女の様な仕草がよく似合っていた。

 先の帝の治世において、妖怪による壊滅的な被害は一度もなかった。人々は祝福された帝だと記録に残したが、事実は少し異なる。先の帝には鵺という強力な友人がいたのだ。鵺は都が荒れぬよう多くの妖怪を説得し、時には屠って、先の帝の治世を守ってきた。もう友人は亡くとも、景泉院と共に余生を過ごしている。

 そんな二人を朱音は眩しそうに見つめている。晴明には夢物語だと言いながら、人と共生できるはずだと信じたいのは、鵺と先の帝の絆を側で見てきたからなのだろう。可能だと思いたいのは青葉も同じだった。

「近頃は物騒だから、紅葉の宮も気をつけなさいね」

 四阿からの帰り際、景泉院は朱音を呼び止めた。厳重な警備がなされる宣耀殿の姫君に気をつけるも何もないのだが、景泉院は心配そうに朱音の髪を撫でる。

「先日、白河の大君おおいきみが消えたのですって」

「……どういうことです」

「ある朝、誰にも言わず居なくなっていたそうよ。でも部屋が荒らされていた訳でも無いんですって」

 だから紅葉の宮も気をつけるのですよ、と言う景泉院の忠告は二人の耳には入らなかった。青葉は朱音と顔を見合わせた。否が応でも似たような話を思い出す。

 一人目は朱音の女房である淡雪だ。朱音の前から消えて、何故か熊野本宮大社でその手鏡が見つかった。

 二人目は今も行方を眩ませている中務の大輔。垣間見で姿が見えなかったのは女のもとに通っていたからではなく、かと言って物忌みや方違えでもないという。

 そして新たな三人目が白河の大君である。右大臣家の娘である彼女は、そもそも部屋を出る機会が殆どない。一人で何処かに消える訳がない。

 密かに探っていた淡雪の件がここに来て不可解な動向を示した。全くの偶然だろうか。三人に関連があるのだとしたら、それは何だ。

 白河の大君の件は、中務の大輔の失踪と合わせて晴明に報告した。手掛かりが増えたようでいて、増えたのは得体のしれない不可解の一致だけである。昼間は公務や催事に忙しいため、調査は夜中に行う必要があった。晴明は公務の面から、朱音は交友関係から三人の共通点を探ったが、わかったことと言えば三人には何一つ接点がないということだけであった。出身地も、年齢も、身分も、共通の知人さえ。

 夏が近付くにつれ、青葉が一人出歩く機会も増えた。青葉には人間関係を調べることは出来ないが、代わりに証拠品や三人の屋敷に襲われた形跡がないかを探った。青葉は朱音との夜歩きで手がかりをいかに探ればよいのか学んでいた。朱音が垣間見と呼ぶ夜歩きはそもそも淡雪の事件を探るために始めたものだ。

 七夕の夜も、青葉は京を一人歩いていた。朱音は宮中で多くの貴族とともに星を楽しんでいるはずだ。里芋の葉が集めた夜露で墨を溶かし、その墨で梶の葉に和歌をしたためて願いごとをするらしい。青葉にはよくわからない行事だ。和歌を理解できそうもない晴明が実は無難に和歌を詠めると聞いて、青葉は裏切られたような気持ちになった。桃や梨、鮑に干し鯛など、季節の作物を楽しんで、宮中のそこかしこで楽が奏でられる。

 白河の大君の屋敷へ向かう道中、青葉は思わず空を仰いだ。雲一つない見事な星空である。上弦の月が夜空を明るく照らすが、星の輝きを損なうことなく慎ましやかで非常に好ましい。ふと我にかえり顔を下すと、賀茂大橋に二つの影がある。襤褸布を帯にみすぼらしい着物をまとった男と、美しい壺衣装を市女笠で覆い隠した女だ。男は欄干の上に器用に立ち月を仰いでいたが、青葉に気付くと後ろ手に市女笠の女を隠した。

 鴨川の清流が二人の間の沈黙を打ち消した。力の強い妖怪だということは正面に立つだけで肌に感じた。警戒心を高める青葉を前に、真っ先に動いたのは市女笠の女だった。男の耳元で何やら囁くと、ふらりと橋の向こうに消えていく。

「手前が新参の茨木童子らしいな」

「……ああ。お前は誰だ」

「俺か?俺はぬらりひょんだ。宇治に百年ほどいたんだが、都にきたのはほんの十年前でね」

 新参者同士だ、とぬらりひょんは笑った。いつのまにかぬらりひょんは茨木童子への警戒を解いていた。腕を組み、高下駄をからころと鳴らしながら賀茂大橋の欄干に体重を預ける。飾らない仕草で話す男だった。ぬらりひょんは古くからの友人のような気さくな仕草で腰に下げていた麻袋を青葉に投げつけた。

 怪訝に思いながらも受け取ると、麻袋の中には沓が入っていた。片方しかない貴族の男の沓で、中に砂利が付着している。

「中務の大輔の沓だ。気配を辿っていったら伊弉諾神宮にたどりついて驚いたぜ」

 しれっと中務の大輔というので、青葉は目を丸くして固まった。伊弉諾神宮と言えば遥か遠く、淡路島の名所である。この男が茨木童子と知って警戒を解いたのは、晴明の協力者だったからだ。

「なんだ、晴明から聞いてねえのか」

「……見どころがある妖怪だと」

 大真面目に青葉が答えると、なんだそりゃと言って笑った。

「よせ。俺はそんな大層なもんじゃねえよ」

 みすぼらしい身なりのぬらりひょんは欄干の上から西の方を見て微笑んでいる。視線で促されたので青葉も欄干に飛び乗り同じ方向に目をやった。そこには月に照らされて京の都が広がっている。碁盤の目のように整備された美しい都だ。

「茨木見ろ。こんな都は人間にしか作れねえ」

 夏の夜風がぬらりひょんの黒髪をふわりとたなびかせた。呼応するように川辺の蛍が輝いてぬらりひょんの肩で羽を休めると、再び飛び去ってゆく。

「あいつらには秩序ってもんがある。だから弱いくせに俺たちと対等なのよ」

 服なんておんぼろで供の一人もいなかったが、威風堂々とした佇まいと大局を見据える目はぬらりひょんが”本物”であるということを物語っている。妖怪にしては変わっているが、晴明が評価するのも分かる気がした。

 その時、風に乗って叫び声が聞こえた。ともすれば川のせせらぎで聞き逃してしまいそうなほど遠くに聞こえたが、尋常ではない声だった。青葉とぬらりひょんは即座に顔を見合わせ、声がした方向に駆け出す。

 賀茂大橋のすぐ北に位置する下鴨神社、糺の森に立ち入って二人は辺りを見回す。大樹が並ぶ清らの森に酩酊しそうになりながら、悲鳴の主を探す。すると、芳しい血の香りを青葉の鼻が捕らえた。血の香りを捕らえたのはぬらりひょんも同じだった。

「……近いな」

 呟いたぬらりひょんの足元に、だらりと投げ出された腕が触れる。

 それは浅黄袴の男であった。下鴨神社の巫が気を失って倒れているのだ。僅かに胸が上下しており、目立った外傷はない。頭を殴られて意識をなくした、というところだろうか。妖怪に襲われたのであれば、気絶だけですむはずがない。

 遠くの茂みが不自然に揺れ動き、青葉は視線を鋭くした。

「誰だ」

「……」

 返事がない代わりに、茂みから影が飛び出す。力強く踏み出して後を追うがあっという間に姿を見失ってしまう。奇妙なことに、しばらく辺りを探っても気配すら感じられない。ぬらりひょんは腕を組んで頭を捻った。

「駄目だ、消えちまったな。巫ともども」

 言われて振り返ると、確かに横たわっていたはずの巫が煙のように消えている。悲鳴も気絶した巫も茂みの影さえも全て夢だったかのようだ。きらきらと輝く満天の星空とあまりにも乖離していて、青葉はその場に立ち尽くした。

「きな臭くなってきやがった」

 呟くぬらりひょんの横で、青葉の足元を蜘蛛が走り去っていった。

 夜が明けても消えた巫は帰ってこなかった。誰にも何も言わず消えた四人目の人間だ。しかし今度は現場を青葉が目撃している。誰かが明確な意思をもって人々を連れ去っている。

 朝一番で知らせを出してすぐに晴明が宣耀殿を訪れた。殆ど寝ていないのか、目の下にうっすらと隈ができている。飄々としたこの男が疲れきった顔をみせるのは珍しく、それだけ此度の事件が難解なのだとわかる。晴明は朱音の前に地図を広げ、墨で二つの印をつけると難しい顔で地図を睨んだ。

「熊野本宮大社に淡雪の手鏡、伊弉諾神宮に中務の大輔の沓……名だたる神域ばかりだな」

 淡雪が消えて半年以上経過したが、大した手がかりはない。淡雪は晴明を持ってしても見つけられない場所にいる。

「青葉の見かけた影が四人を連れ去ったのだとして、どうしてそんな遠くに……?」

 朱音も今日ばかりは背筋を伸ばして凛々しく地図に向き合っている。額を伝う汗は何も夏の暑さのせいだけではない。女房、大輔、大君、巫ときて、次は誰なのだろうか。そもそも次はあるのだろうか。ずっと見つからない淡雪の行方も、昨日の巫をみれば期待出来ない。

 三人で頭を突き合わせて考える中、朱音は口元を扇子で隠しながら大きく欠伸をした。

「すみません、昨日は七夕の宴だったでしょう?」

 私も寝ていなくって、と眉根に皺を寄せる。朱音の側に積まれた文の数々は昨晩だけで溜まったものだ。七夕の翌日とあって、いつもなら返事をするべきだと小言を言う春日も見逃してくれている。青葉は何かを閃きそうで頭の中を次々巡る季節を追いかけた。淡雪が消えたのは年明けの事だった。以降、数ヶ月ごとに、季節が巡るごとに、人が消えている。いや、数ヶ月なんて曖昧なものではない。二ヶ月だ。

「……朱音、前回は端午でしたね」

「八重桜が散る頃でしたから、そのくらいでしょうね」

「淡雪が消えたのは年が明けてすぐ、人日でした」

 青葉の言葉に、朱音と晴明が目を見開く。

「五節句か!」

 人日、上巳、端午、七夕……全ては節句に起きている。だからなんだと言われれば、青葉には分からないが、偶然で済ますには出来すぎている。

「偶然ではありません」

 朱音はきっぱりと言って、扇で口元を隠した。かすかに声が震えたのを青葉は見逃さなかった。晴明も狐目を鋭くして朱音の言葉に耳を傾けた。

「なぜ断言する」

「淡雪の生まれは人日の節句だからです」

「ふむ……。人日生まれの女房が人日に消えた。人日は木の節句で、手鏡が見つかった熊野本宮大社も木の地だな」

 晴明は地図上の熊野本宮大社を扇子で指し、次は伊弉諾神宮の上へと滑らせた。

「上巳の節句に消えた中務の大輔、生まれは知らないが伊弉諾神宮は火の地、上巳も火の節句だ」

「お手柄です青葉。やっと繋がりが見えてきました。他の者の生年月日も調べさせましょう」

「いや、繋がりだけではない。目的も見えた……なるほど神をも恐れぬか」

 晴明は筆を取り、地図上にさらなる印を加えた。皇大神社、伊勢神宮、伊吹山に墨が落ち、熊野本宮大社と伊弉諾神宮を合わせて五つの印が地図に描かれた。節句の数と同じ五つだ。

「おそらく、白河の大君は皇大神社に、昨日の巫は伊吹山にいるだろう」

 そう言って地図上の印を結んで描かれた巨大な五芒星に青葉の肌が粟立った。五芒星の中心には奈良の都が位置している。

「大和の時代、都を守るために作られた古い結界の一つだ。これ自体は形骸化したものだが、新しく結ぶのであればこれほど適した場所もない。消えた人間は人柱だろうな」

 人柱と聞いて朱音の顔が固まった。共に過ごした女房は、朱音の友人だった淡雪は、訳のわからぬ結界のために遠く熊野で死んだのか。それに、これだけ暦と土地を因果付ければ途方もない力を持つ筈だ。

「……それで、その巨大な結界を使って何をしようというのです」

「大祓だ。辺り一帯の妖怪が死ぬぞ」

「……まさか」

 思わず青葉は口にしていた。だってそれは、皆殺しなんてものは、人と妖怪が共生するのと同じくらい難しいはずだ。

「焦るな。まだ結界は完成していない」

 晴明はかすかに怒気を滲ませた。重陽の節句に重陽生まれの者を贄に捧げるまで結界は完成しない。つまり、まだ防ぐ手立てがあるはずだ。犯人を帝の前に連れ出して、全てを明らかにすれば良い。

 意気込む二人を前に、顔色一つ変えぬまま朱音が顔を上げた。

「ともあれ、次は重陽生まれの私の番と言うわけですね」

 返事をできる者は居なかった。膝の上に手を揃え、いつも通りの微笑みを浮かべる彼女からは余裕さえ伺えた。

 陰陽寮からの協力は難しく、晴明は被害者の暦が節句と一致していることしか確認できなかった。結局陰陽寮は朝廷からの指示のもとに働く機関であって、晴明を以てしても朝廷を動かすことは叶わなかったからだ。京が滅ぶのであればともかく、妖怪が死んだからと言って朝廷に損はない。晴明に許されたのは、これ以上人柱を捧げぬように尽力することだけであった。帝は重陽生まれの女二宮を守るため晴明に協力してもよいと考えていたが、宣耀殿はすでに十分な警護がなされており朝廷として命じることはなかった。

 人柱を見つければその遺体から手がかりを掴むことが出来るのではと、青葉はぬらりひょんと手分けして伊弉諾神宮や熊野本宮大社を訪れたが何も見つからなかった。晴明の式は青葉を遺体まで案内してくれるはずだったが道を失いただの紙切れと成り果てた。犯人は陰陽道に精通しており、あらかじめ人柱を隠したのだろう。

 日が短くなるにつれ、青葉は何かに急き立てられるような感覚に陥った。朱音が夜歩きを控えても、女房の春日が側で四六時中監視していても、犯人を捕まえることはできない。各地を飛び回り忙しくする日が増えた一方で、退屈な日も増えた。朱音が青葉を呼び出したのは中秋も過ぎた夜の事だった。

「鴨川へ」

 行き先だけを告げた朱音はいつになく寡黙で、青葉を落ち着かなくした。外出を控えるべきだ。そんな正論を言う前に、背中に朱音の重みがかかる。受け止めてしまえば、なし崩しに鴨川まで駆け出していた。

 河原で朱音を下ろすと、にこりと笑って青葉の頭を撫でた。柔らかな芒の中で、虫が秋の音色を奏でていた。松虫、鈴虫、轡虫。朱音に出会うまでは雑音だった音。

「青葉はこのまま安全なところにまでお逃げなさい」

 一番聞きたくなかった言葉を容赦なく浴びる。わしゃわしゃと犬猫にするように青葉の髪を乱して笑う朱音が、憎らしくもある。

「尾張や駿河なんていかがです。いつか土産話をして頂戴」

 天気の話でもするように、朱音は青葉を突き放す。河原にふける秋の夜風は空々しく、ずらりと並んだ芒だけがあわせて揺れた。土産話と言ったって、結界が成ればその時朱音はいないではないか。

「逃げるなら、朱音も逃げましょう」

「……私は結界を阻止せねばなりません」

「では私も」

 朱音の前に膝をつき、頭を下げた。返事を予想していなかったなんて言わせない。それだけの時間はとうに過ぎた。決して揺るがぬ強い意志を込めて、朱音を見つめる。

「いついつまでも共に」

 珍しく青葉が歯向かうので、多少なりとも朱音はたじろいだ。月が照らす青葉の横顔は何を言っても説得できないだろう。諦めて肩を落とすと、朱音は頬に手を当てて首を傾げた。

「まったく、いつの間に懐いたのやら」

 それを聞いて、青葉はかすかに口の端を持ち上げた。きっとそれは出会ったあの紅葉の湖から。一人小舟に揺られていた朱音の強さに青葉は惚れこんでいるのだが、朱音は知る由もない。青葉は腹をくくって朱音を内裏へと連れ帰った。

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