第16話 届かぬ思い
「ごめんなさい諏訪部君、荷物持ってもらってしまって」
「いや、それはいいんだけどね? 俺の持ってる荷物の大半が沙夜のものってどういうことなの? 何この大量の猫グッズ? お前触れないんだから必要なくない?」
放課後、俺は昨日の約束通り沙夜と飯島の買い物につきあわされていた。
巡った店はいわゆるファンシーショップのようなところで、見た目からピンクい感じでどうにも女子向けって雰囲気がプンプン漂ってくる店ばかりだった。
看板から男の入店を禁ずるって感じがして入りにくさMAXだったのだが、沙夜に引っ張り込まれる形で入店したが最後、あれやこれやと買わされる羽目になった。
「何言ってんのよ、ぬいぐるみは触れなくても見て楽しめるじゃない? まさかこの10年でこんなに猫グッズが増えているとは思ってなかったわぁ~。もう幸せっ」
といった感じで本人は随分とご満悦だ。
にしてもどうすんだよ、こんなにぬいぐるみやら
「それにしても沙夜ちゃんは猫が好きなんですね」
「そうなのよ~。家で猫飼っててね、黒猫なんだけどとっても可愛くて! だから黒猫のグッズとか見るとすく買っちゃうのよねぇ」
「黒猫を家で飼ってたから、その影響で黒猫グッズはすぐ買っちゃうんだとさ」
……ま、買ったのは俺なんですけどね。
だけどこんなに嬉しそうな沙夜は初めて見るな。それほど猫が好きということか。
ならまぁ、多少はプレゼントってことで勘弁してやるか。……ん? でも日頃お世話になってるわけでもないし、別にプレゼントを贈る必要ないんじゃ……?
「それに見たところお裁縫や編み物もするんですね。すごいです、私はそんなことできませんから」
「そ、そう? 別にこれくらいどうってことないわよ。理恵だってすぐにできるようになるわ」
沙夜は口ではそう言うものの、なんだか自慢気な表情だ。ってことは腕前は結構なものなんだろうか?
「大したことないから飯島でもすぐにできるようになるってさ。でも裁縫なんてするんだな。何作るんだ?」
「大したことないって、それだとなんか微妙に意味違うくなってない!? んまぁいいわ。で、私が何を作るかだっけ? 最初はとれたボタン直したり、マフラー編んだりとかその程度だったんだけど、ぬいぐるみ作り出したら止まんなくなっちゃって、今は
「ぬいぐるみ買ったのにまた作るのか……。でも沙夜って器用なんだな。なんか意外」
「意外とは何よ意外とは! 見た目の清楚さに違わぬ特技でしょ!?」
「見た目が清楚でも大事なのは中身なんだって、俺最近知ったんだ……」
「どーゆうことよそれ! まるで私の中身がだめって言ってるように聞こえるんだけど!?」
「……あはっ」
「笑ってごまかすなぁ!」
しかし裁縫か。もし沙夜の趣味がそれだけだったとしたら、きっとこの10年沙夜にとっては辛く退屈なものだったに違いない。話し相手もいなければ一人で
……ん? 待てよ? そういえば買ったものの中に裁縫道具もあったよな? でも沙夜はものに触れないし、どうやって……。
はっ! もしかして俺か!? 俺にやらせる気なのか!? 俺にぬいぐるみを作れというのかあ!?
無理だ、そんなの無理だよ……。手に無数の血豆を作り上げてもまだ届かない。そんな極地にいるんだよ、ぬいぐるみは。
「あの、諏訪部君。沙夜ちゃんはなんて言ってるんですか? ちゃんと伝達してください」
「おお、ごめん。えっとな――」
あ、飯島少し不満そう。最近はなんとなくだけど飯島の気持ちが分かるようになってきた。
こうして向き合ってみると飯島は別に無愛想なわけでも、一切表情が変わらないわけでもない。かすかにだけど感情の変化は表情に現れるし、表情の内側ではきっともっと感情の起伏があるのだと思う。
だからこうして沙夜と俺だけが話をしているのを不満に思い、自分にも教えろと
沙夜と仲良くなろうとしてくれているみたいだからありがたい変化ではあるんだが、全部俺が伝えないといけないのもなぁ。なにかいい方法があればいいんだけど。
そうして裁縫トークで盛り上がる女子たちの橋渡しをしながら、時間は過ぎていく。
沙夜は今度裁縫のやり方を教えるなんて言っていたけど、どうするつもりなんだろう? ま、まさか……、いやそんなはずない、よな……?
俺はその後も女子たちの会話をつなぎながら、
――――
飯島と別れて駅の改札をくぐる。そして俺の真後ろをぴったりくっついてくる沙夜。なんだか不正入場のような絵面だが、どうにも沙夜はなるべくものに触れることを避けているきらいがある。すり抜ければ便利だと思うのだが、それをすれば自分が誰にも触れられないのだと再確認してしまうから嫌なのかもしれない。
そんなふうに思いを巡らせていると、沙夜は俺の隣に並んで楽しげに笑みを浮かべた。
「明日楽しみね」
「あぁ、飯島が家に来ることだろ? 帰ったら掃除しないとな」
そういえばそんな話になったのだった。明日は土曜日で学校がないから丁度いいと言って、飯島が沙夜の透明人間化の原因になった神社を見たいと言い出したのだ。
確かに原因がそこだと分かっているなら一度行ってみない手はない。何か手がかりがつかめるかもしれないし。
「言うほど情の部屋は散らかってないじゃない? 掃除なんて必要ある?」
「客が来るんだからな、見えないところも綺麗にしておかないと。もし飯島がハウスダストだめでホコリが溜まってたら大変なことになる」
「はぁ、あんたって意外とマメね」
マメというかなんというか。一応見えないところに地雷原が埋まっていないか調査しないといけないからな。沙夜を部屋に上げるときにある程度消したはずだが、多少のエロ要素が含まれる漫画などは別室に移しておくのが得策だ。
そういえば俺の家に沙夜意外の女子を上げるのって初めてじゃないか? 土曜だと母さんも家にいるし、なんて言い訳しよう? 下手に
あの人は一度思い込むとなかなか話聞いてくれないからなぁ。まったく、俺はその遺伝子を継がなくてよかったよかった。
「でもあれだな、明日なにか分かるといいな」
「なにが?」
大事の前の小事と割り切って、母さんへの言い訳については一旦保留し、沙夜にそう話しかけるとキョトンとした視線が返ってきた。
「なにがって、沙夜の体についてだよ。もとに戻るためのきっかけでも何でも、明日つかめるといいなって」
「あぁ、そのことね。そうねぇ、見つかるといいわね」
「なんだよ、そんなに乗り気じゃないのか?」
なんだか他人事のように言う沙夜に、俺は少しムッとして言い返す。
だって自分の体のことじゃないか。元に戻りたいって、そう言ったじゃないか。それなのにどうしてそんな無関心な態度を取るんだよ。
「うーん、乗り気じゃないわけじゃないけど、そう簡単には見つかる気がしなくて。一応私もこの10年何もしてこなかったわけじゃないのよ? 何度も拝殿に向かって叫んでもみたし、毎日欠かさず祈りを捧げてみたり、同じ系列の神社に行ってみたり。それでも何も変わらなかったから、何かあったときのためにってずっと神社にいたのだし」
それは、知らなかった。沙夜は沙夜なりに必死にもとに戻ろうとしていたんだ。そりゃそうだ、誰だって突然世界から切り取られたらもとに戻ろうと行動する。
沙夜だって何もしてこなかったわけじゃない。今過去を語る沙夜の目にある達観の色が何よりの証拠だった。
「でも何も変わらなかった。何も起こらなかった。あそこに住んでる神様は私に試練を与えたっきりうんともすんとも言わなくなったのよ」
だから沙夜は諦めているんだ。期待することを諦めてしまったんだ。
なにかが変わるかもしれない、もとに戻れるかもしれない。そう言った期待はするだけ無駄だと、したところであとに待つ絶望がより深く、濃くなるだけなのだと、沙夜は知っているのだ。
「でもあの神社であんたに出会えて、それからの日々はちょっとマシだったわ。その意味じゃあの神社の神様にも感謝してもいいかもしれないわね」
……そうか、そうだったんだな。だからお前はあんな事を言ったんだ。
――私には情がいてくれればそれでいいのよ。情が私の友達にさえなってくれればそれで。
あの時、沙夜は10年ぶりに俺という人間に会えたことが嬉しくて言ったのだと思った。今はそれで十分だって、そういう意味なんだと。
でも違ったんだな。あれは沙夜のある種の諦めからくる言葉だったんだ。元の体に戻ることまでは望まない、だからせめて最初の願いだけでも、と。
でも、それじゃだめだ。沙夜がいくら納得していたとしても、俺は納得なんてしてやらない。俺は期待することを、希望を諦めたりなんてしない。
「まだ見つからないって決まったわけじゃないだろ? まだ終わってない、なにも終わってなんてないんだ。だから何も諦める必要なんてないんだよ。希望を諦める必要なんて、ないんだよ」
諦めないことが正義で、諦めることが悪なんじゃない。ただ諦めちゃいけないことだってあるってことだ。
諦めていい時っていうのはそれより大事なものがあるときだ。自分の心を守るために学校に行くことを諦めるとか、大切な人たちの名誉を守るために友達でいることを諦めるとか、家族の未来のために個の願いを諦めるとか、そういうより大切なもののために
でも、些事のために本当に大切なものを諦めてはいけない。友だちが欲しいという願いが叶ったから、もうこれで十分? そんなの本末転倒だ。
本当に大事なものというのは、自分ひとりだけのものじゃない。自分以外の多くの人の想いが、人生がかかっている。もし沙夜が自分の体がもとに戻らなくても俺や飯島がいればそれでいいと思っているならそれは自己中ってものだ。沙夜の両親や飯島や俺が、沙夜に元の体を取り戻してほしいと願っている。これは沙夜一人の願いじゃない、俺達の願いなんだ。
「きっと、これは俺の願いだ。俺が諦めたくない、諦めてほしくないだけなんだ。でもさ、そんなこのままでもいいみたいな言い方、しないでくれよ……」
ホームへと続く階段を降りきって、隣にいる沙夜に目を向ける。
沙夜は少し
「……そうね、ありがとう、情」
そう言った沙夜の笑みに、俺はなぜか胸を締め付けるような痛みを感じた。
好きだと告白してありがとうとだけ返されたような、これから遊びに行くけど一緒にどうかと尋ねて行けたら行くと言われたような、そんな感覚。
あぁ、俺の思いは通じなかったんだという、そんな虚無感が俺の胸を締め付けてやまなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます