第15話 勝利の美パン
朝、昨日と同じように沙夜を
「あ、おはようございます、諏訪部君、沙夜ちゃん」
「おはよう、理恵。いい朝ね!」
「お、おはようぅ……」
「沙夜ちゃんがどうかは知りませんが、諏訪部君は随分とお疲れのようですね」
「沙夜はなぜか分からんがとっても元気だ。俺は精神統一を強いられたもんで、もうクタクタだ……」
先に席についていた飯島に挨拶をすると、俺は机にしなだれかかるように脱力した。
結局昨日沙夜の元気がなかった原因は分からなかったが、今朝になってみればご覧の通り元気いっぱいで、何も心配する必要はなさそうだ。
「精神統一……。何があったのかは分かりませんが、よかったらお昼にまたおかずを分けてあげましょうか?」
「まじか、やっぱり飯島は天使だな!」
あまりの感激に思わず机から体を起こす。今すぐにでも飯島の手をとって感謝の念を伝えたいくらいだ。
「むっ……」
「あ、でもそれだと沙夜ちゃんが怒っちゃうので、やっぱりやめておきますか」
「まじか……、やっぱり沙夜は悪魔だな……」
あまりの落胆に思わず机に突っ伏す。一度希望の光を見せてからの絶望。飯島なかなかやるな……。
「だからなんで私は悪魔なのよ!?」
「男にとって飯を奪う者はすべからく悪なんだよ!」
食べ物の恨みは恐ろしいということを知らんのか、沙夜は。……あっ、沙夜は飯食う必要ないんだったか、なら仕方ない。
「おっはようさん、情、飯島」
かけられた元気な声に顔を上げると、朝から暑苦しい顔が俺に笑みを向けていた。
「あぁ、光平か。おやすみ……」
「おおぅ、どうしたどうした? 今日もげんなりしてるなぁ」
「もう俺の心はズタボロさ……」
「……? どういうことだ、飯島?」
「お昼ごはんのことで色々ありまして」
「ははっ、まだ朝なのにもう昼飯のことか! だがその気持ち分かるぞ。俺もすでに腹が減った!」
「さすが光平、分かってくれるか……!」
俺は立ち上がり光平と熱い握手を交わす。
さすが我が親友、俺達は胃袋でつながっているんだ!
「となれば情、今日のパン奪はタッグで挑むか?」
「おお! 光平とタッグか! それなら勝利間違いなしだな!」
光平は一年の時点ですでにパン奪戦士たちから一目置かれるほどの強兵。その高身長から繰り出されるリーチの長い腕は、狙ったパンを遠距離から確実につかみ取り、若干ニ年生にしてレジェンドの称号をほしいままにしている。
そんな光平とタッグで挑むとなれば怖いものなしだ。
「はっはっは! これで飯島のおかずを貰わなくてもなんとかなるな!」
「私はおかずくらい差し上げても構わないんですが、沙夜ちゃん次第ですね」
え、まじ? いいの? パン奪勝利確定の上飯島のおかずまでもらえるの? なるほどここが天国か。
俺は期待に膨らむ視線を沙夜に投げる。それはさながら欲しい物をねだる子供のように純粋だ。
お願い沙夜ママ、僕おいちいお昼ごはんが食べたいの。
「な、何よその目は。ちょ、やめなさい、そんなキラキラした目で見ないでってば。そんな目されたらまるで私が悪者みたいじゃないの!」
研ぎ澄ませ、純粋な食欲だけを視線に乗せろ。余分な感情は全て取り払い、
「……あーもうっ、分かったわよ! 別に私には何も不都合なんてないし? 好きなだけ貰えばいいじやない!」
「よっしゃあ! 沙夜から許可でたんで少しだけおかずもらってもいいか?」
そう伝えると飯島は少しだけ驚いたように目を見開き、しかしすぐに頷いた。
「はい、いいですよ。それにしても意外ですね、沙夜ちゃんが許可を出すとは」
意外っていうかさ、そもそもなんで沙夜の許可が必要なんだ? そのへんからいまいちよく分かってないんだけど……。
まぁそんなことはおかずを貰えることに比べたら
「ところで情、さっきから度々聞く沙夜というのは誰のことだ?」
「ああ、それは――」
光平のさり気ない質問に、俺は思わず普通に答えようとして、踏みとどまる。
光平なら沙夜の存在を信じてくれるだろう。万が一信じてもらえなかった場合でも、沙夜に俺を持ち上げてもらったりすれば信じてくれるとは思う。
それに光平は信用できるやつだ。沙夜のことを知っても悪さを企んだりなんてしない。
……でも、なぜだろう。あまり話したくない。沙夜のことを光平に知ってほしくない。
だってこいつモテるし、沙夜と光平がいい感じになったりとか、ちょっとなんか想像したくないし。
「……まぁなんだ、俺のイマジナリーフレンドだよ」
「イマジナリーフレンド? ははっ、面白そうな遊びだな! いろいろなシミュレーションの次はイマジナリーフレンドか!」
光平は俺の言葉を冗談として受け取ったらしい。そっちのほうが好都合だ。
光平には悪いが、それもこれもお前がモテるのが悪い。親友だとしても妬ましい部分もあるってことだ。
「それにしても、情は昨日の今日で飯島と随分仲が良くなったんだな」
「え?」
「だってそうだろう? 情と一緒にイマジナリーフレンドと遊んでいるんだ。昨日の様子じゃぁそこまで仲が良かったようには見えなかったし、やっぱりあの噂はほんとうだったのか?」
「あの噂……?」
俺は飯島と顔を見合わせる。
噂、噂……。俺と飯島の間に噂になるようなことなんてあったか?
「昨日廊下の真ん中で愛を叫んだそうじゃないか? 風の噂でそう聞いたぞ?」
「「あ」」
その瞬間、あの場にいた三人の声がハモる。
そうだ、そうだった。そういえばそうだった! なんか沙夜に世界で一番可愛いと言えと言われて思いっきり叫んでしまったんだった! そしてその時偶然にも俺の目の前にいた飯島のせいで、まるで俺が飯島に告白したみたいな、そんな感じになっていたんだったぁぁあああッ!
「おおう、その反応、どうやら本当のようだな。となるとついに情にも彼女ができたのか!?」
「いや! まぁ叫んだのは本当なんだけど、そうじゃないっていうか……。なっ、飯島!」
だめだ、俺こういう言い訳あんまり得意じゃないみたいだし、ここは下手になにか言うよりそういうのが得意そうな飯島に全部パスしちゃうのが得策だ。べ、別に押し付けたわけじゃないんだからねっ! ただ頼ってるだけなんだからっ!
「え、え!? 私ですか!? そ、そうですね……、あれは諏訪部君が告白の練習をしていまして、私はその場に偶然に居合わせただけで、なので私と諏訪部君は別にそういう関係ではなくてですね」
飯島は俺からの無茶振りに戸惑いを隠せない様子のまま、なんとかそれっぽい言い訳をひねり出した。
ナイスだ飯島! でもそれだと俺が廊下の真ん中で告白の練習してた変な人になっちゃんですけど……。
「ふーむ、そうだったのか! 確かに情なら廊下の真ん中で練習として愛を叫んでもおかしくはないな!」
「マイナス方向への信頼が厚い!」
「情、あんた一体普段からどんなことしたらこんなすんなり納得されるのよ……」
「自分で言っておいてなんですが、私もびっくりです……」
沙夜と飯島が可愛そうなものを見る目で俺を見る。やめろ、やめてくれ! 俺をそんな目で見ないでくれえ!
「違う違う! 俺が悪いんじゃなくて光平が素直すぎるだけだって! 俺普段からそんなにおかしくないからね!?」
「おおう、そうだぞ! 情は常識の範囲外へちょっと飛び出したくらいのおかしさだ!」
「それフォローになってないと思うんだけどぉ!?」
それから沙夜や飯島にいかに俺が普通の人間であるかをとうとうと
な、なぜ朝からこんなに疲れることに……。これは昼のパン奪を光平とタッグで挑めるのが図らずとも正解だったな……。
――――
――キーンコーンカーンコーン。
チャイムが鳴る。
授業の終わり、そして昼休みの始まりを告げるチャイムが。
それはすなわち戦いのゴング。パン奪開始の
「さあ、パン奪開始だッ……!」
「ねぇ情、やっぱり私も見てみたいんだけど、そのパン奪? っていうの」
光平とともに速攻で席を立つ俺に、沙夜は緊張感のない問いかけをした。
「沙夜、昨日も言ったと思うがパン奪は遊びじゃないんだ。そんな軽い気持ちで見てみたいだなんて危険だぞ」
「離れて見てるから大丈夫よ。それに私は情以外には触れられないし」
「ぐむむ、まぁそうか……。よし、じゃあちゃんと離れて見てろよ?」
「おい情! なにちんたらしてるんだ!? チャイムはもう鳴ってるんだぞ!?」
光平はすでに教室のドアまでたどり着き、俺の到着を今か今かと待っている。
そうだ、パン奪は初速が命。立ち止まっている暇などなかった。
「ああ、分かっている! 沙夜、ついてこい。男の戦場を見せてやるよ」
「一体何が情をそこまで掻き立てるのよ……。まぁ、それも含めて見てみれば分かる、か」
こうして俺は光平とタッグを組みながら、沙夜を引きつて購買へと急ぐのだった。
パン奪は全校生徒を対象とした昼のパン強奪戦のことを言うが、これにもいくつかルールは存在する。
一つ、廊下を含む校内を走ってはいけない。他の生徒に怪我を負わせる危険性があるからだ。
二つ、購買前で他者を押しのける、恐喝、暴行、揉め事などの一切を禁ずる。マナーを守って楽しくパン奪。
三つ、一度手にしたパンは購入しなくてはいけない。勢い余って握りつぶしたパンをもとに戻すなどの事例が多発したため設けられたルールだ。
これらを基本ルールとしてパン奪は行われる。何か問題が起きればその度に新ルールが追加されるらしいが、どこの誰がルールを制定しているのかは一切謎に包まれている。
「見えた……! 俺たちが一番乗りか?」
「いや違う、ゴーストの連中がすでにいる!」
俺たちが視界に捉えた購買は、スタートダッシュのかいあってか
「ちょっと情、ゴーストって何よ?」
「ゴーストはパン奪戦士のジョブだ。気がつけば購買前に存在している。噂ではチャイム前から購買前にいるとも言われている不確かな存在だ」
「な、なによそれ……」
パン奪では、パン奪を行う生徒のことをパン奪戦士といい、パン奪戦士には様々なジョブがあてがわれる。
一般的な戦士ソルジャー、熟練のソルジャーであるウォーリア、ウォーリアを超越したジェネラル、偵察などの情報支援を行うリーコン、財力で他者を操るプルトクラット、チャイムと同時に購買に存在しているゴースト、素早い動きで群衆をくぐり抜けるシャドウ、他のパン奪戦士を言葉巧みに動かすマニピュレータ、恐喝にならないギリギリの威圧感を放って道を開けさせるグラディエータなどがある。
そしてそれらのジョブには戦士ごとの力を表す指標がある。そう、パン奪戦士のランクだ。
ランクは下から順にブロンズ、シルバー、ゴールド、レジェンドとなる。
ちなみに俺はゴールドのソルジャー、光平はレジェンドのジェネラルだ。
一般的にレジェンドと呼ばれる戦士は各ジョブに一人しか存在できず、多くの場合固有のスキルを有している。
例えば光平の場合その高身長と長い手足を生かした、上空からのパンの選別を行う「エア・ソーティング」、そして遠距離からのパン奪取を行う「ロング・キャプチャー」が主なスキルだ。
また、こういったジョブやランクはいつの間にかその戦士に適したものがあてがわれる。一体どこの誰が決めているのかはこれまた一切の謎に包まれている。
「ごめん、一体何を言ってるのか私にはさっぱりだわ」
「まぁ、初見じゃそうだろうな。戦闘経験が増せばその分理解できるようになるさ」
「うん、私は一生理解できない世界だってことがよく分かったわ」
購買に向かう道すがら簡単にパン奪戦士の説明をしているうちに、もう購買が目の前に迫ってきていた。
それと同時に背後や左右、向かいの廊下からも続々とパン奪戦士たちが集まってくる。
「情! ウォール頼む!」
「任せろっ!」
俺は光平の周囲に寄ってくる戦士たちを
周囲の戦士たちは俺の動きに合わせて俺を避けようとするが、その避け先が光平の進路の邪魔にならないような場所になるように調整して動く。これがウォールだ。
パン奪のルールでは相手を押しのけることができないので、こうして進路を
「見えた! 情、めぼしいのはピザパンとコロッケパンだ、どうする!?」
「ピザパン!」
「了解だ!」
俺が張ったウォールを利用して光平が前へ。そして「エア・ソーティング」で目的のパンを選別、「ロング・キャプチャー」で俺の分までパンをゲットするという作戦だ。
「おばちゃん、これお願い!」
「はいよ。4つで1200円ね」
光平が俺の分まで一緒に会計をし初めたところまで見届けると、俺は戦線を離れ沙夜のもとへ向かった。
「どう? 終わったの?」
「ああ、今回はなかなかスムーズに進んだな。普段は他のレジェンドも現れて猛烈な戦いになるんだが、運が良かった」
「なんか情が言うほど恐ろしい戦いじゃなかったわね?
「物事は外側から見ただけじゃ分からない。一度飛び込んで見れば沙夜もパン奪のおそろしさが分かるだろうさ」
「あー、うん。やっぱり私は分からなくてもいいわ……」
沙夜はそう言うと微妙な顔をして視線をそらした。
なんだ? 怖気づいたのか? ま、沙夜には少し刺激の強い世界だったかも知れないな!
「おーい情、ピザパンと揚げパン買ってきたぞー!」
「お、光平が帰ってきたな。沙夜、教室に戻るぞ。凱旋だ!」
「なんでそんなに嬉しそうなのよ、まったく……」
――――
「それで今日はこんなにごきげんなんですね? なにはともあれ良かったじゃないですか」
「おう! さすがは光平だな。確実に勝利のパンを掴み取るその手腕、見習いたいもんだなぁ」
「おおう! 情もさすがにゴールドだけはあるいい動きだったぞ! 普段の何倍も動きやすかった」
俺は光平と勝ち取ったピザパンを頬張りながら満面の笑みを浮かべる。
昨日は惨敗だったが、今日はまさに勝利の美酒ならぬ勝利の美パンだ。これが勝利の味……、病みつきになりそうだぜ、ぐへへ。
「結局、情がどうしてそこまでお昼ごはんにこだわるのかは分からずじまいだったわ……」
「だから言っただろ? 男子にとって飯時は命の次に大事なんだって」
「それがなんでなのかを知りたかったのよ!」
「ま、腹が満ちれば大抵のやなことなんて忘れられるからな! そういう意味でも飯は大事だ!」
「ふーん、あっそ」
そういう沙夜はなんだかまた少しだけ元気がなさそうだ。沙夜も飯が食えればいいのにな、そうしたらきっと些細な悩みなんてどこかへ行っちゃうのに。
「大抵の嫌なことは、ね」
「ん? なんか言ったか?」
「ううん、なんでもないわよ。それよりあとで理恵のおかずの感想きかせなさいよね」
「おぉ、そうだったな。飯島、今日は何をわけてくれるんだ?」
「大したものではないので、どれでもお好きなものをどうぞ」
「おぉ……、やっぱり飯島は天使だな」
そうしてお昼の時間は過ぎていく。少しの違和感を抱えながら、それでもなんてことない顔をして過ぎていく。
一歩踏み込むと決めて、沙夜の体を元に戻そうと決意して、それでもやっぱりまだ足りない。
俺が至りたい場所はきっとここじゃない。もっと奥の、その先だ。
その場所の名前はきっと親友なんて名前じゃないんだろう。それだけはなんとなく分かっていた。
じゃあなんて名前なのか、それを知るには俺はまだ未熟で。
だからかすかな違和感だけを胸に秘め、俺は今日も生きていくのだ。
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