第17話 神に挑む者
沙夜に買わされた大量の猫グッズと裁縫道具を自転車のかごにつっこみ、帰路につく。
こうして後ろに沙夜を乗せて家と駅とを行き来するのもだいぶ慣れてきた。
すれ違うごく僅かな人たちは、大した荷物もないのに重そうに自転車をこぐ俺を不思議な目で見るも、すぐに興味を失ったように通り過ぎていく。
やがて人気のまったくない農道に入り込むと、聞こえてくるのは夏の声だけ。もはや日常となった虫たちの情熱の歌だけだった。
「うーんっ、やっぱりこのくらいの時間はいいわねぇ。神社にいたときもそうだったけど、夏のこの時間帯は虫の声が綺麗だもの」
「……そうだな」
「なによ? さっきからあんまり元気ないみたいだけど、どうかしたの?」
沙夜が後ろで首を傾げる気配。誰のせいだと思ってるんだ……。
「こんなに大量に買わされて、もう小遣いのほとんどを使い切ったんだぞ? 元気でいられるかっての……」
「それについては謝ったじゃない。それに私の体が元に戻ればちゃんと返すから」
「約束だからな?」
「ええ、もちろん」
……本当はそんな理由じゃないんだけど、そう言って誤魔化しておいた。
沙夜は元の体に戻りたいと言っていた。きっとその言葉に嘘はない。そりゃ戻れるなら今すぐにでも戻りたいだろう。
でも沙夜はその結末にたどり着ける可能性は薄いと踏んでいるようだ。希望を持っていない。そのことが俺は悲しいんだ。
分かってはいるんだ。沙夜が希望を持てない理由も。
10年何も変わらなかった。世界は沙夜を隠したまま、17の少女には随分と長い間孤独を与えた。それは沙夜から希望の灯火を奪うのに十分な時間だったはずだ。
そして俺たちがそんな沙夜の希望の灯火になれるほど頼れる存在じゃないってことも、要因の一つだろう。
でも、それでも俺と沙夜は出会えた。そのことにきっと意味がある。そう信じたいじゃないか。
上り坂に差し掛かり、一層気合を込めて自転車のペダルを踏み込む。自転車はまるで駄々をこねるかのように激しく音を立てた。
「うぐっ、沙夜重い……!」
「おお重くないわよ!? 情の鍛え方が足りないだけよ!」
「米俵一俵くらいの重さあるだろうに」
「60キロもないわよ! この
「そういえばどこにも肉はついてなかったな。さすがに米俵一俵は言いすぎたわ、なんかごめん」
「そうよ! 私はどこにも肉が――、って情? もしかしてそれって胸の話じゃないわよね? 胸がないって言ってるわけじゃないわよね?」
「そんなわけないででででぇっ!?」
そうしていつもどおりの冗談を言っていると、少しだけ気が晴れた。
俺がもっと沙夜を安心させてやれるような、そんな頼りがいのある男になればいいんだ。そうすればきっと沙夜ももう一度希望を抱いてくれるはず。その時まで地道にやっていくしかないんだよな。
坂を登りきった先は左右をりんご畑に囲まれて、その道の先に沈みゆく夕日が照っていた。
ヒグラシが鳴いている、どこか切ない夏の夕暮れ。
「それに胸で言ったら理恵だってないじゃない! むしろ私のほうが大きいまであるわ! どうせ言うなら理恵に言いなさいよ!」
「いや、飯島は話ができるようになって日が浅いし、そういうデリケートな話題はなぁ」
「わ・た・し・も! 最近知り合ったばかりよね!? 同じ女の子よね!? デリカシーに差別がなされてるのはなぜかしらねぇ!?」
「痛い痛いっ! 坂登りきったから! もうそんな力強く肩掴まなくてもいいから!」
そんな切なさに似合わぬ騒がしさにも、もう随分と慣れてきた。
思えば沙夜と出会って1ヶ月も経ってないんだよな。でも今では何年も一緒にいたかのような、そんな安心感があるんだ。
「でもそうだなぁ。飯島には抵抗感あるのに、沙夜となると途端にそのへんのデリカシーが欠けるんだよなぁ。不思議ぃ」
「不思議がってないでまず謝ったらどうかしら?」
「ん、それもそうか。さすがに
「素直でよろしい」
「でもほんと不思議だよな。沙夜とは初めて会ったときからなんか親しみやすかったと言うか、昔から知ってるみたいな距離感で話せたし」
「そうねぇ。もしかして前世で恋人だったのかもしれないわよ?」
「前世かぁ。どうせならかっこいいやつがいいよな。西洋の騎士とかさ」
「前世に思い馳せる前に私の恋人ってところで歓喜に打ち震えなさいよ!」
後ろで騒ぎ立てる沙夜の声はいつものように元気で、俺もそんな沙夜に元気をもらっているのかもしれないと、ふと思った。
まるでおじいさんみたいな考え方だ。これは沙夜のことばかりをアラサーと揶揄ってはいられないな。
おじいさんとアラサー。なんだか二人して見た目と精神年齢があってないし、案外いいコンビなんじゃないか?
「……ははっ」
「ちょっとぉ! 何笑ってんのよ!? 今の話の中で何かおかしなことあった!?」
「いやいや、何もおかしくないよ」
「じゃあなんで笑ったのよ?」
「いやぁ、案外悪くないかもなってさ」
「は、はぁ!? な、なに言ってんのよばっかじゃないの!? 私とあんたが前世で恋人だったわけ無いでしょ!? 仮にそうだったとしても現世でも恋人になれるなんて思い上がりも
「……何いってんの?」
「~~っ! この野郎ぅ!」
後ろから俺の頭をポカポカ叩く沙夜の、俺の肩においたもう片方の手は、熱いくらいに熱を帯びていた。この調子じゃ顔も真っ赤にしているんだと容易に想像がつく。
何を一人で盛り上がっているんだ? 相変わらず自分で振った話で自爆するんだから、沙夜は。
しかし沙夜が彼女、か。うーん、それはそれで案外楽しいのかも……。
いや、いや! 尻に敷かれるのがオチだ! なしなし、今のなし!
ありもしない妄想を振り払うために、一層ペダルに力を込める。
夕日に照らされて火照った頬に、風が当たって気持ちよかった。
――――
翌日、空は
「情、そろそろ時間じゃないの?」
「うん、そうだな。ちょい早めに行っとくか」
今日は飯島が家にやってくる日だ。掃除は昨日済ませたし、危険物とまではいかない準危険物たちまでも避難済みだ。
あとは家の最寄り駅にやってくる飯島を迎えに行くだけだ。
階段を降りてキッチンに顔を出す。昼ごはんの支度をしていた母さんに声をかけるためだ。
「じゃあ母さん、友達迎えに行ってくるわ」
「はいよ。ちゃんと掃除はしたの?」
「昨日したよ。じゃあ行ってきます」
何度も確認されなくたってしたっつうの。友達ひとり家に呼ぶくらいで大げさな……。
母さんにはあれこれ詳しく説明せず、ただ友達が遊びに来るとだけ伝えてある。俺がなにか下手のこと言うより飯島に説明してもらったほうがいいって学んだからな。
俺は学習能力があるから、一度吸った甘い汁の味は忘れんのだ!
この家に俺が友だちを呼ぶこと自体稀なので、母さんはお昼はいるのかとか送り迎えをしようかとか、いろいろいらぬ心配をして本当に困る。まるで友達を初めて家に連れてきたときのような反応はやめてくれっ! 俺は小学生かっての!
まぁそんな事もあったが、なんとか無事に家を出ることに成功した。
家で待ってろと言ったのに沙夜までついてきたせいで、自転車のペダルの重さは二倍、俺のかく汗の量も二倍だ。
これが三倍だったら全身を赤く塗れたんだが、その場合スピードは通常の三分の一倍になるのでご遠慮願いたい。
そんなくだらないことを考えながら
まだ午前中だと言うのにこの暑苦しさはなんだと文句を垂れる度、後ろの沙夜からの
そうこうしているうちになんとか駅までたどり着くと、駅舎を出たところで見慣れぬ少女が立っていた。
「ほらぁ! 情がもたもたしてるから理恵もう着いちゃってるじゃない!」
「はぇ? 飯島……? あぁ、あれ飯島か……」
どうやらあそこで立っているのが飯島のようだ。学校のときと雰囲気違くて分からなかった。
「あ、諏訪部君。おはようございます。すごくお疲れですね?」
「おぉ、おはよう飯島。沙夜を連れてこの炎天下、さすがに疲れた……」
「沙夜ちゃんもいるんですね。おはようございます」
「ええ、おはよう理恵」
俺たちは一通り挨拶を済ませると、早速家に向かって移動することになった。
「にしても私服だと雰囲気変わるなぁ。沙夜に言われるまで誰か分かんなかった」
「そうですか? 確かに私服で会う機会はないですからね」
飯島は膝上のタイトスカートに涼し気なブラウスとサンダルを合わせたシンプルな服装だ。もともとの大人しいイメージからかけ離れない大人っぽいファッションだなぁ。
「そういう諏訪部君の私服も新鮮ですね。沙夜ちゃんも私服なんですか?」
「おう、沙夜は白のワンピースだな。いつもの
「一張羅じゃないってのっ!」
「いでっ!」
沙夜に思いっきり頭を叩かれて、かいた汗が
それから道中、いつものように話が弾む女子二人の橋渡しをしながら、焦げ付くような空の下を歩くこと数十分。ようやく家に到着した。
「そうだ飯島、母さんが家にいるんだけど、飯島のことは友だちが来るとしか言ってないんだ。いろいろ騒ぐかもしれないからうまいこと誤魔化してくれないかな?」
「はぁ、構いませんが。騒ぐとは一体何を騒ぐんでしょう?」
「うん、まぁ会ってみれば分かるよ」
俺は飯島に申し訳ない気持ちで一杯になりながら玄関のドアを開けた。
「ただいまー」
「あら早かったのね、それでそちらが情の、おとも、だち……?」
「はい、飯島理恵と言います。諏訪部君とはクラスが一緒で仲良くさせてもらっています」
母さんは飯島の姿を目にとめると、尻すぼみに言葉をつまらせ、その表情を驚きの色に染めていく。
「え、え? お友達って女の子の? 情に女の子のお友達?」
「ああそうだよ、女子の友達だ」
「嘘でしょ? 情に女の子のお友達ができるなんて、そんな器用なことうちの息子にはできません! 本当はお付き合いしてますとかそういうオチなんでしょ!? お母さん許しませんよ? 結婚もまだの若い男女がそんな……! あぁ考えただけでも恐ろしい!」
「そんな風に飛躍する母さんのほうが恐ろしいってのっ! 違うから! あんた息子に対する信頼なさすぎるでしょ!?」
想像を絶する騒ぎっぷりに、俺は恥ずかしさで悶絶しそうだ。
もう限界だ助けてくれとばかりに飯島に視線を送ると、しばし放心していた飯島は我を取り戻したようだ。
「えっと諏訪部君のお母さん、残念ながら私と諏訪部君はそういった関係ではありません。クラスで席が隣でして、そのときにこの近くの神社の話を聞いて興味を持ったんですよ」
「え? 神社?」
「はい。なので今日はそこの案内をしてもらおうかと思ってお邪魔した次第です」
「…………あ、あらそうだったのね! やだもうっ、おばさん早とちりしちゃったわ! あぁ、恥ずかしいとこ見せちゃったわね。情もそういうことは先に言っておいてもらわないとお母さんびっくりしたじゃない!」
「先に言っても同じ状況になってたと思うけど……。まぁ母の
まぁ飯島とは本当にただの友達で、俺には付き合うとかそういう感情がないからいいものの、もしこれが俺の気になる女子とかだったら一瞬で脈消えるぞ? 母さんのせいで俺の恋路が邪魔されるとか、冗談にしてもたちが悪い……。
そんな一波乱もあったが、なんとか事なきを得て飯島を部屋に上げる。
飯島も沙夜と同じように随分片付いていると驚いていたが、そもそも散らかるほど物を持ってないだけなんだよなぁ。別段褒められるようなことじゃないと思うけど。
そして少し涼んでから荷物をまとめ、神社へと向かうこととなった。
「なんだかあそこに行くのも久しぶりな感じね」
「そうな。すっかり俺の家というか俺の部屋に居座ったからな」
「そういえば沙夜ちゃんは諏訪部君と出会うまでは神社で生活していたんでしたよね? 怖くはなかったんですか?」
「うーん、私としては
その感覚は、俺達には理解できても分からない感覚だ。
この世界で自分に気づいてくれる人は誰もいない。想像することはできても、その恐怖を実感することは難しい。
「誰にも気づいてもらえないなら、完全な孤独のほうがいい、ってことですか……」
沙夜の言葉を伝えると、飯島は少しだけ寂しそうにそう言った。
群衆の中で感じる孤独より、神社の静寂に身を置く孤独のほうがいくらかマシ。そういうことなのだろうか。
「ちょっと理恵、そんな顔しないでよ。別にそこまで寂しかったわけじゃないわ。ほら、あの神社って山の上にあるじゃない? だから見晴らしもいいし、自然が織りなす四季折々の表情はそれなりに孤独を紛らわしてくれたしね」
「発言がおばあちゃんのようだな」
「だーれがおばあちゃんよ!」
「あいたいっ」
そんな話をしているうちに、気がつけば神社を視界に収めるほどに至っていた。
駅より神社のほうが圧倒的に近いんだもんな。完全に家の立地を間違えているとしか思えない。
入り口の鳥居を挟むようにして立つ杉の大木。階段を取り囲み境内までの道を示す雑木林。石段の終わりで俺たちを待ち受けている鳥居。そのすべてが沙夜と出会った日と何も変わらない。
「なんかあれね、実家に帰ってきたような安心感があるわね」
「朽ちかけた神社を実家なんて表現するのは沙夜、お前くらいだよ……」
「う、うるさいわね! 10年も住んでたのよ? そう感じてもおかしくないでしょうが! ほら、くだらないこと言ってないでさっさと行くわよ!」
そうして勝手知ったる神社に向かってずんずん進んでいく沙夜。まるでそれが見えているかのようについていく飯島。俺はその二人の後ろ姿に一眼レフを向けた。
ファインダーに収めた二人は、これからあの神社に住まう神の正体を暴こうとする冒険家のような、そんな雰囲気を醸し出していた。
カシャッ、と。その風景を切り取る。
いざ鳥居をくぐらんとする少女が二人。果たして沙夜の体をもとに戻すきっかけでも得られるのだろうか。
俺はレンズカバーをつけると、彼女らを追って一歩踏み出した。
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