第8話 墓前の麗人
夏の夕暮れに包まれて、もくもくと天に上る煙をぼぅっと眺める。
そして煙の白い線をたどっていくと、パチパチと音を立てる火元が見える。俺はその赤々と色づく枯穂にカメラを向け、シャッターを切る。
「ねぇ情、何をしてるの?」
「なにって、写真を撮ってるんだけど……」
「そんなに見れば分かるわよ! そうじゃなくてこの火は何って聞いてるの!」
「知らないのか? 送り火だよ。お盆を終えてお帰りになるご先祖様を送るための火で、帰り道暗くないように灯りを渡すんだ」
「へぇ、私そんなことしたことなかったわよ」
「この辺じゃ普通だと思うけどな」
「おい情、誰と話してるんだ?」
小声で沙夜の相手をしていると、少し離れたところで俺と同じようにぼうっと火を眺めていた父さんが不思議そうに首を傾げた。
きっと暇だったのだろう。暇つぶしができれば何でもいいって顔に書いてある。
「いや、友達に今の状況について聞かれたらなんて答えるかシミュレーションしてただけ」
「へ、変なシミュレーションするんだなぁ、情は。父さんがお前くらいのときは好きな女の子になんて話しかけようかってことばかりシミュレーションしたもんなのに」
「ちょっとあなた。情に変なこと教えないでくれる?」
「べ、別におかしなことは何も……。あっ! ほらお前、火消えたぞ! そろそろ出発しよう! うんそうしよう!」
「あ、ちょっとっ! ……んもう、せっかちな人ねぇ」
燃え尽きた枯穂に水をかけると、ジュッと音がして上がっていた煙が霧散していく。
ではここで一句。
水かぶり 消えた送り火 夏の恋。
うん、水をかぶって消えていく送り火に、夏の熱さで燃え上がり、しかし
「……もしかして俺には俳句の才能があるんじゃないか?」
「なに一人でブツブツ呟いてんのよ。ご両親行っちゃったわよ?」
「もう恋心なんて残っていないはずなのに、消えていく送り火にふと彼女のことを思い出してしまう。うん、なんていい句なんだ」
「おーい、帰ってきなさーい。あんたまでご先祖様と一緒にどこか行かなくてもいいのよ」
「沙夜、俺平安時代に行ったら歌バトルでトップを取れる気がするんだ」
「一体どこまで行ってきたのよ……」
きっと俺の前世は平安貴族で、数多の女性を落としに落としてきた光源氏的な男だったに違いない。まぁ、仮にそうだったとしても今の俺にはなんの影響も及ぼしてないんですけどね。
平安時代のお嬢様たちにモテモテになる妄想をしながら、俺は
今日は送り盆。夕方になるとこうして送り火を焚き、諏訪部家で集まって墓参りに行くのだ。提灯を手に行進するさまは、さながら山間密教のようだ。ベッドのシーツでも被ってきたほうが良かったかも知れない。
沙夜は来なくてもいいと言ったのだが、暇だからついて来ると言う。
「お盆って冥界への道が開いてるんだろ? 沙夜間違ってあの世に帰っちゃうんじゃないか?」
「だから私は幽霊じゃないっての! 死んですらいないし!」
「ほぼ幽霊みたいなもんじゃん? 年取らないし、食事いらないし。なぜか寝るけども」
「ぜんっぜん違うわよ! 宙に浮いたりとか呪力を使えたりもしないし」
そんなことを話しながら両親に追いつき、怪しまれないように口を
沙夜は俺にとって当たり前にそこにいる存在だから、話しかけられるとついつい普通に返していまうが、先程父さんからツッコまれたように他人から見ると独り言を言っているだけなんだ。気をつけないと近いうちに病院を受診させられかねない。気をつけるとしよう。
それから俺たちはその他の親戚と合流して、提灯を片手にぞろぞろと墓参りをした。
こんなに賑やかに送ったら、ご先祖様たちも名残惜しくて帰るのが嫌になるんじゃないかと思ったが、ここから出て行けッー! とばかりに墓前で大量の線香を
「……」
じっと、墓前にそえられた線香を眺めて、沙夜は何を思うのだろう。
その切なげな表情からはいつもの
俺はそっとカメラを構えると、ファインダーに彼女を収める。
カシャッと世界を切り取ると、沙夜は驚いたようにこちらを振り返った。
「ちょっと! 何撮ってんのよ? 撮影するときは事務所に通してからにしてくれる?」
「なんでアイドル気取りなんだよ」
「まぁ? 私の可愛さを持ってすればアイドルも夢じゃないってことよ」
「ちょっと何言ってるか分かんないですね。あって卒業間際のアイドルでしょ」
「ちょっとそれどういう意味よ!? おばさんだって言いたいの? アラサーはアイドルになれないっていうの!?」
「いえいえ、けしてそんなことは」
「目を逸らすなぁ!」
元気になった、のかな? いつもと変わらない元気なツッコミだ。
でも、一時的には良くなっても、根本を解決しない限り何も変わらない。
そもそもアラサーではないと断固抗議する沙夜をあしらいながら、俺は沙夜のことをまだあまり知らないのだと思い知る。
その奥底に隠した秘密に触れていいのか。まだ迷っている。
あるいはただ、怖気づいているだけなのかもしれない。
――――
「情。次は夏祭りよ!」
墓参りを終えて帰宅し、夕食を食べ終わって部屋に帰った途端、沙夜はそんなことを言った。
「えぇ、プール行ったばっかじゃん。もう次行くのぉ? 後一週間くらい休もう」
「何情けない声出してんのよ。それに一週間も待ってたら夏休みが終わっちゃうでしょうが! この時期だと夏祭りも終盤だろうし、急がないと行けるところがなくなっちゃうわよ」
「なんかあれみたいだな、結婚を焦って婚活する――、あいやなんでもないです」
夏だというのに凍えるような視線で
その表情、まさに年とか結婚の話をすると怒り出すアラサーそのもの。母さんも三十代のときは年齢の話すると同じ顔してた。
「……で? 行くの? 行かないの?」
「ぜひご一緒させていただきますお嬢様」
両腕を組んで威圧的な沙夜に、俺は思わず即答してしまう。
これが蛇に睨まれたカエルの気持ちかぁ。あいつらも必死に生きてんだなぁ。俺も皮膚呼吸すらままならない息苦しさを感じるぜ……。皮膚呼吸できないけど。
「あら、ようやく私の運転手兼荷物持ちのとしての自覚が芽生えてきたかしら? なんなら召使いに昇格させてあげてもいいのよ?」
「
「え、なにそれ? ていうか何よ、嫌なわけ?」
「いやまさかー、こうえいだなー。うれしーなー」
「嘘でももう少し感情込めなさいよ!」
「召使いになんてなるくらいなら死んだほうがマシだってッ! ぜっっっったいに嫌だッ!!」
「嘘でもいいからオブラートに包みなさいよぅ!」
「当方オブラートは在庫切れでして」
「じゃあ入荷しなさいっ!」
ビシバシと俺の肩を叩く沙夜を避けながら、俺はパソコンを立ち上げる。
すると沙夜は途端に大人しくなって、食い入るように画面を見つめ始めた。
「何するの?」
「これから夏祭りの日程を調べるんだよ。近所のはもう終わってるから、少し遠出になるかもなぁ」
「へぇ、こんなに薄いのにしっかり映るのねぇ」
「おい、いいからちょっと離れろ」
「なによぉ、照れてんのぉ~?」
ちげぇよ、見られたくないんだよ! これは俺の
「そうだよ! お前みたいな可愛い女子が近くにいると緊張するの!」
「え、え? うそ、ほんとに!?」
「ホントホント、だから早く離れろって」
「わ、分かった……」
急いで離れてもらうために沙夜の妄言に乗っかったが、沙夜は随分としおらしくなったな。いつもああなら可愛いのに。
あれ、でもそう考えてみると沙夜って俺の好みに近いのでは……?
見た目だけなら
…………。
い、いや! ないない! それはないって! 見た目はたしかにそうかも知れないけど、性格がそれを台無しにしてあまりあるほど好みじゃない! 俺はもっと大人しい女の子が好みだし!!
「ま、まぁ、私はたしかに可愛いけど、改めてはっきりそう言われるとなんか照れるじゃない……。いや! 照れてはないけどっ! 意表を突かれただけだけどっ!」
チラリと沙夜の様子を
い、いや、恥ずかしがってる場合じゃない。今のうちに夏祭りの会場を調べないと。
ひとまず見られて困るものはすべて画面上から消し去り、Webの検索履歴も削除しておく。
それから俺はなかなか進まない手をなんとか動かし、ネットで直近に開催する近所の夏祭りを調べてみた。
「お、一番近いのだと明後日の灯篭流しだな。やっぱな、2つ隣の町だ」
「それって遠いの?」
俺が独り言のように呟くと、俺の顔のすぐ横に沙夜の顔が現れる。
近い近い! 肩に
「あ、ああ。電車でざっと20分くらいかな」
「ふーん、でもそれ逃しちゃうともう情の学校が始まっちゃうんじゃない?」
「そうだな」
平常心、平常心だ俺。心頭滅却すればいい匂いもまた腐臭。……あれ、なんか違うような?
なんにしても、どうしてこいつこんなにいい匂いするの? シャンプーとかしてないよね? 体は汚れないから風呂に入る必要ないって言ってたもんね? ていうか物理的に入れないよね?
うぉぉお! 沈まれ俺の鼓動! 治まれ手の震え!
聞こえないよね? 俺の心臓めっちゃバクバクいってるけどまさか聞こえてないよね?
「じゃあ明後日のこれに行きましょ! そうと決まったら浴衣に着替える練習が必要ね」
沙夜はすっと俺から離れると、気合の入ったガッツポーズを見せる。
あぁぁ、よかったぁ……。バレずに済んだぁ……。
くそぅ、変に意識したせいでなんでもないことでドキドキしてしまった……。もしバレていたらこの先しばらくはそのネタでいじられることになりかねない。沙夜と出会ってそんなに長くないからそうなるとは限らないけど、あいつの性格的にそんな予感がする……。
「ということで、浴衣の資料持ってきて?」
「また男の部屋にはないようなものを……」
「あ、またエッチな絵とか見せたら取り
「すでに取り憑かれてるようなもんなんだよなぁ」
「こーんな美少女に取り憑かれるなら本望でしょ?」
「はいはい、そーですね」
「あー! 今美少女でも中身おばさんとかって考えたでしょ!? 私はおばさんでも幽霊でもないからっ!」
「被害妄想!? あと取り憑く云々はお前が言い出したんだろ!」
おばさんだなんだって、そんなことはこれっぽっちも考えてなかった。
ただ、まぁ……。幽霊は苦手だけどさ、沙夜に取り憑かれるなら、案外悪くないかもって……。
い、いや! なし! 今のなし! 寝て起きるだけの夏休みを送るはずがこんなに騒がしい毎日になってるし、プールだ夏祭りだって振り回されるし、父さんや母さんからは変な目で見られるし、いいことなんてないってっ!
「うん、ないない。絶対ないわ」
「何がないのよ?」
「お前が取り憑くことで生じるメリット。百害あって一利なしだわ」
「ちょっとぉ! 確実に利益あんでしょうがっ! 美少女が常にそばにいてくれるのよ? 情みたいな童貞非モテ男子には喉から手が出るほどほしいシチュエーションのはずでしょ!」
「童貞非モテ男子にも選ぶ権利くらいありますぅ!」
「ないわよ! 童貞で非モテでボッチな情にはそんなもの存在しないのよ?」
「人権無視!? それに俺はボッチじゃないし、まだモテ期が来てないだけで非モテではない!」
「モテ期なんて都市伝説を信じている時点で非モテ確定なのよ!」
「え? あれって都市伝説なの? 俺の純情を返してッ!」
「どんだけこじらせてるのよ!?」
まったく、騒がしいったらありゃしない。俺の平和だった夏休みを返してくれ。
そんなことを思いながらも、口元には微かな笑みが浮かんでいた。
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