第5話 夏の宿敵
「ふわぁ~……。おはよう」
「あ、ああ。おはよう……。昨日はよく眠れたかな?」
「ええ。私はよく眠れたけど、
「いえ、自分が恥ずかしくて……」
「どういうこと?」
ベッドから体を起こした
「やっぱり別の部屋で寝た方がいいと思うの、俺」
「すごく今更なことを言うのね。その答えは昨日出たしょ?」
「まぁそうなんだけどね? やっぱりうら若き男女が一つ屋根の下。もとい一つ部屋の中っていうのはいかがなものかなって……」
「大丈夫よ。私は気にしないし」
俺が気にするんだよなぁ! いろいろ気にしないといけないことが増えちゃったからなぁ!
ていうか昨日ほっぺつんつんしてる時に起きてたならそう言ってくれよ! なんか俺一人ですっごくバカみたいじゃん! あぁ~~ッ! 今思い出しただけでも恥ずかしぃぃいい!!
そもそも起きてて黙ってたって、沙夜は意地が悪いよなぁ? 俺のこと内心すっげぇバカにしてたんじゃないか!? モテない男がどうのって思ってたんじゃないか!?
くそう、中身おばさんの癖に。……ってそうだよ、アラサー女に
「……ちょっと、今何考えてたのよ」
「いや、いい朝だなって! 今日も一日頑張ろうな! 俺もいろいろ気にするのやめることにするからさ!」
「は、はぁ……? なんかよく分かんない奴ね、あんたって」
一階に降りて顔を洗いながら、そうは言ったものの今日は何をしようかと思いを巡らせていた。
だらだら過ごすのが俺の夏休みの過ごし方だが、沙夜がいる手前あいつの体を元に戻す方法を考えておきたいというのが正直なところだ。
そもそもなんであいつが透明人間になってしまったのかを知らない限り、治す方法も分からないと思うんだけど、その辺の事情はなんだか話したがらない雰囲気だしなぁ……。
「地道にやってくしかない、よな」
「何が?」
「うおぉお!? びっくりしたぁ……」
後ろから声がしたものだから大きな声が出てしまった。振り返ると沙夜が俺のすぐ後ろで可笑しそうに笑っている。
「くふふっ……、情ってば驚きすぎよ」
「いきなり俺の後ろに立つなよ……。幽霊かと思ったじゃんか」
「何よ、幽霊とか苦手なわけ? 情けなーい」
「お、俺だって苦手なものの一つや二つある……」
「そういえば最初に私を幽霊だと思ってすごく怖がってたものね。気絶までして。ぷぷっ、今思い出しただけでも笑えるわ!」
「つい昨日追加されたばかりの人の黒歴史をほじくり返さないでくれるかなぁ!」
「ちょっと情、朝から何騒いでるのよー?」
先程の叫び声を聞きつけて、母さんが洗面台に顔を出す。
その時に俺の後ろの沙夜に頭がぶっ刺さっていたが、何事もなく沙夜のそびえ立つ絶壁のあたりから顔を突き出していた。
うえぇぇ……。なんかホラーな光景なんですけどぉ……。
「い、いやなんでもないよ、母さん。ちょっと虫が目の前に飛び出してきたもんだから」
「虫ぃ? そんなことでいちいち騒がないの!」
「分かったよ、騒いで悪かったって」
「悪かったって何よ、ごめんなさいでしょ?」
「……はいはい、ごめんなさい」
「はいはいは余計よ? 分かった?」
「はい、ごめんなさい」
そこまでしてようやく母さんは納得したように頷いて沙夜の胸から頭を引っこ抜いて引き下がった。
「……あぁ~、めんどくせぇ……」
「あれも情のことを案じて言ってるのよ、きっと。お母さんは情に礼儀正しい立派な大人になってもらいたいのね」
「家族なんだからそんなにかしこまらなくてもいいと思わないか?」
「親しき仲にも礼儀ありって言うでしょ? 家族は一番近い所に居る他人よ。ちゃんと相手を思いやる気持ちがこもっていればお母さんもあんなことは言わないと思うわよ」
「……」
沙夜の言わんとすることは分かる。分かるけど実行できるかって言われると難しいんだ。
次は気を付けようって思っても、いざまた同じようにがみがみ言われると、ついカッとなって言い返してしまう。最近そんなことだから母さんがウザったらしいったらない。
「もう母さんのことはいいだろ? それより沙夜は今日からどうするんだよ?」
「どうするって、なにを?」
「いやさ、俺の家に居候するのは別にいいんだけどさ、どこか遊びに行ったりとかなにかしたいこととか、ないのかよ?」
そう尋ねると、沙夜は腕を組んでしばし
「あ、じゃあ私夏祭りに行きたいわ。あとプールとキャンプ」
「へぇ、いいんじゃないか? 俺以外のにはぶつかる心配もないから夏祭りの人混みもへっちゃらだし。あ、でもキャンプとか、お前自分で道具とか持てないし難しいんじゃないか?」
そもそもプールって、水には浸かれないんじゃないか? もし浸かれたとしても周囲から見たらそこだけ水がなくなるわけだからホラーになっちゃうよ? 心霊現象になっちゃうよ?
「大丈夫よ。だって道具は情が持っていくんですもの」
「……は? どゆこと?」
「ん? だって情と一緒に行くんでしょ?」
……え? 今そんな話してましたっけ?
「ちょ、ちょっと待て。お前が一人で行くんだろ? 夏祭りもプールもキャンプもさ」
「はぁ? 何言ってんのよ。私それじゃあめちゃくちゃ寂しいやつじゃない! プールとキャンプはまだ分からなくもないけど、夏祭りはどう考えても一人じゃ無理でしょ!」
沙夜は腰に手を当てて身を乗り出す。
近い近い。顔近いんですけど! 俺は母さんみたいにはすり抜けられないんですけどっ!
「いやいや、最近の若者はきっと夏祭りも一人で行くんだって。いいじゃん、ナンパ待ちしてれば」
「いやよ! そりゃ私は美少女だから? 一人でいれば声もかけられ放題だろうけど? 私誰にも見えないじゃない!」
「イマジナリーフレンドジョークだよ。そうカリカリすんなって」
「笑えないわよ!」
まぁ確かにジョークのセンスは壊滅的だったな。
しかし、俺もついていくのが前提でそのチョイスって、なんかおかしくない? まるでデートみたいじゃん?
「俺はいいよ。だって夏祭りとか人が多いだけで疲れるし、プールもわざわざ着替えるのも億劫だし、キャンプなんてそもそも俺達だけでどうやって行くんだよって話だし」
「なによ面倒くさがりねぇ〜。そんなんだとろくな青春送れないわよ?」
「いいよ別に。青春なんて疲れるだけだし」
「そういうこと言うやつに限って、歳を取るとあの頃に戻りたいとかって言い出すのよ。10代なんてあっという間に終わっちゃうんだから」
「さすが、言葉の重みが違うなぁ」
「ちょっとぉ? それどういう意味かしらぁ?」
「さて、これ以上騒ぐとまた母さんが来ちゃうからなー。静かにしないとなー」
「おいこらぁ! すっとぼけんじゃないわよっ!」
すたこらさっさと逃げ出す俺の後ろをついてきて、ポコスカ俺の頭を叩いて来る沙夜は、イマジナリーフレンドというより背後霊の方が適しているんじゃないかと、そう思った。
てか、この光景も他の人から見たらただヘドバンしてる人になるんだよな。現に母さんもおかしなものを見る目で俺を見ている……。大丈夫、将来バンドマンになるとか言い出しませんから。
しかし青春、ねぇ。いまいちぴんと来ないワードだ。
若い時分はあっという間に過ぎていくとか、今できることをやっておけとか、苦労は買ってでもしろとか、正直よく分からない。
あっという間に過ぎていくって感覚も、そのあっという間を生きている俺からすれば、だらだらと続く日常でしかないし。今できることが何なのかも分からないし。苦労なんてできればしたくもないし。
若いうちはエネルギッシュになんでもチャレンジしろとか、そんなの若いころに何もしてこなかった大人たちの言い訳だろ? 俺にまで押し付けないでほしい。俺はただ、自分にとって平和な日常を、極めて省エネ的に過ごせればそれでいいんだ。文化祭ではしゃぐ奴の気が知れないよ、まったく。
……でも、それは俺の考えだ。沙夜は違う。
俺の頭を叩くことを止めて後ろでぶつくさ文句を言っているこの女の子は、今俺が当たり前に過ごしている時間を、これから過ごすであろう時間を奪われてしまったのだ。当然、やりたかったこともたくさんあっただろう。
哀れと、思わないわけじゃない。
「いいわよ、じゃあ私一人で行くから。情はどうせ一緒に遊びに行く友達も彼女もいないだろうからって気を使ってあげたのに。一人寂しく孤独な夏に沈むといいわ! この童貞! 非モテ! ボッチ!」
「おいちょっとこらぁ! 人がせっかく一緒に行ってもいいかなって気になりかけてるのに、なんてこと言うんですかあんたは!」
「え、嘘。一緒に行ってくれるの!? やったぁ!」
「うん。今その気がそがれてるって話をしてるんですけどねぇ!?」
「じゃあまずはプールね! 楽しみになってきたわ! 情は私の運転手兼荷物持ちよ!」
「やっぱりお前一人で行けぇ!」
はぁ、朝から騒がしいのなんの。
でも、別に嫌じゃない。ただ起きて寝てを繰り返すだけの夏休みよりもずっと、きっと。
――――
「じゃあその前にやらなきゃいけないことがあるわね」
俺の部屋にたどり着くと沙夜はいかにも楽しそうにそう言った。
「え、水着買いに行くとか言い出さないよね? 俺やだよ一人で女性用水着漁るの。ポリスメーンのお世話になりたくないよ?」
「そうじゃないわよ。それよりももっと根本的な問題」
沙夜はそう言って俺の机の上を指差す。
そこには昨日のまま放置された一眼レフと、夏休みの宿題の山。
「宿題。やったんでしょうね?」
「……ふっ、少し長い話になるが、聞いてくれるか?」
「重い過去を話すような雰囲気出してもだめよ。簡潔に10文字以内で答えなさい」
「ほぼ手つかずです」
俺の清々しいほどの答えに、沙夜はため息を漏らす。
「どうした? 感極まったか?」
「んなわけないでしょ! 呆れてものも言えないのよ!」
「なんだ、紛らわしい」
「どこが!?」
沙夜は偉そうに腰に手を当てると、ズカズカと俺の机の横まで歩いてくる。
そしてこちらを振り返り、顎で宿題の方を指し示す。
「え、なに? あぁ、分かった! 燃やせってこと? 沙夜は結構ワイルドな方法が好みなんだな」
「ちげーわよ! 今からやるの!」
「え……? 今から? 起きたばかりなのに? う、嘘だ!?」
「……何をそんなに驚いてるのよ。いいから座りなさい。私が見てあげるから」
「ま、まて、ひとまず落ち着け! 今日はこんなに暑いんだぞ? 真夏日なんだぞ? そんな日に宿題なんてできるわけがない。常識ってものを考えろって!」
「そんな常識があってたまるもんですか! いいからつべこべ言わずやる! 今日中に終わらせるからね」
沙夜は逃げ出そうとする俺の腕を掴み、無理矢理にでも椅子に座らせようとする。
たかだか女子一人の力くらいどうってことはないと思ったが、これが案外しぶとい!
床に敷いてある
「ぐっ! 重い……! 出るとこ出てないくせにっ……!」
「ちょっとぉ! 私は重くないからね!? あと最後の方なんつったぁ!?」
俺はしばらくそんな抵抗を続けていたが、やがてこんなことをしていること自体疲れるのだと悟り、渋々勉強机に向き合った。
「ようやく無駄な抵抗をやめたわね……。無駄に疲れさせるんじゃないわよ」
「全くだ。ちょっと疲れたから休憩しよう」
「まだ始まってもいないっての! ほらやる!」
「はーい……」
まるでお母さんみたいだ。がみがみババアは一人で十分だっての……。
俺は宿題の隣に置いてあった一眼レフを手に取ると、レンズを宿題に向ける。
「この屈辱、忘れはせんぞぉ……」
そう
「ほらカメラなんていじってないで、ペンを持ちなさい! 私がきっちり見てあげるから、覚悟しなさいよ〜!」
「うぅ……。もう家に帰りたい……」
「ここがあんたの家でしょうが」
俺は仕方なくカメラをシャーペンに持ち替えて、宿題と格闘を始めるのだった。
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