第4話 空想の友

 携帯電話を紹介した後は、ゲームやら今はやりの遊びやらなんやらを紹介して、時間は過ぎていった。


「なぁ、沙夜さよは透明人間なんだよな?」

「ええ、そうよ?」

「じゃあどうして俺には見えるんだ? おかしいじゃないか、俺に見えてるなら沙夜は透明人間じゃないだろ?」


 一通りの説明を終えて、床に広げた説明したものたちを興味深げに眺める沙夜に、俺はたまらず問いかけた。

 透明人間とは透明でなければいけない。だってそうだろ? 俺に見えてる時点で透明じゃないんだから。厳密にはもう沙夜は透明人間じゃないはずだ。


「うーん、それは私にも分からないわ。じょうが特別な力を持ってるとかじゃない?」


 なんてことないように笑って、沙夜は再びこの時代のテクノロジーを物色する作業に戻っていく。


 ……ダメだ。ダメなんだよ。そんな曖昧な理由で誤魔化していい問題じゃない。

 だってこれは沙夜の人生を狂わせた現象だ。今までの10年間透明人間だった沙夜に、俺が出会えた理由がきっとあるはずなんだ。今その手がかりに一番近いのは沙夜なんだ。


「違うよ。俺にそんな霊感のような力はない。現に写真に収めるまで俺は沙夜を見れていなかっただろ?」

「んー、まぁそうね。じゃあ情が私の運命の相手だったとか?」

「おい、まじめに考えてくれ」

「……なにムキになってんのよ。別に何でもいいじゃない」

「よくない! 沙夜は元の体に戻りたくないのかよ!? 当たり前のように誰からも認められる、誰とでも触れ合える人間にさ! そんな透明人間じゃあんまりにも……!」


 沙夜は俺の叫びをその身に受けてなお、笑った。

 その笑みは本当に嬉しそうで、俺は勢いをそがれてしまう。


「うん、ありがとう。情は優しいのね。でも大丈夫、私には情がいてくれればそれでいいのよ。情が私の友達にさえなってくれればそれで」

「友達って、なんだよそれ……」

「それが私の願いだったから」


 そう言って尚も笑みを浮かべる沙夜は、本当にそれだけを望んでいるのだと俺に言い聞かせているかのようだった。


「そんなの改めて言わなくてもとっくに友達だろうが」


 俺の言葉のどこにそんなに驚く要素があったのだろうか。沙夜は目を見開き、俺の顔をまじまじと見つめた。

 そして次第にその瞳に涙を溜め、震える肩もそのままにうつむく。

 口元にやった手にあたる震えた吐息が、沙夜の今の感情を如実に表していた。


「……うん、ありがとう、情」

「あー……、なんだ。俺風呂入ってくるからさ、なんなら先に寝ててもいいぞ。ベッドには上がれるんだよな?」


 沙夜は俯いたまま頷く。どういうわけか体を預けるとなると物には触れられるらしい。


 俺は立ち上がり部屋を後にしようと扉に手をかける。


「ねぇ、情」

「……なに?」


 沙夜は震える声で俺を呼び止める。

 俺が立ち止まると、沙夜は一度鼻をすすり、目元を手でこすった。


「確かにあんたの言う通り私はもう透明人間とは言えないのかもしれないわ」


 沙夜はそう言って顔を上げる。




「私は情のイマジナリーフレンド。そっちのほうがしっくりくるのかもね」




 その笑顔は涙の痕がまだ消えてなかったけど。赤く目がれてはいたけれど。綺麗だと思った。

 今日初めて沙夜を見た時は幽霊のようで不気味だと思ったけど、今あの写真を見たら、きっと別の感想が浮かんでくるのかもしれない。


「……で、イマジナリーフレンド、ってなに? なんか強そう」

「ちょっと、今のいい雰囲気台無しじゃない! それくらい知ってなさいよ!」

「いや、知らないものは知らないし……」


 沙夜はあきれたように大きくため息をつくと、腕を組み偉そうな態度を取りながら説明してくれた。


「イマジナリーフレンドっていうのは直訳して空想の友達って意味よ。小さい子供によくみられる心理現象で、本人にしか見えない友達のことを指すわ。情も経験あったんじゃないかしら? 一緒に遊んだり、話し相手になってくれたり」


「いやぁ、そんなことなかったと思うけど」

「割とポピュラーな現象よ? ホントに知らなかったの?」

「うん、今知った」


 でも、イマジナリーフレンド、空想の友達か。言い得て妙だな。まさに俺と沙夜の関係はそれに近い。

 俺にとっては確かにそこに存在する友達でも、沙夜は他の人間には見えないし感じられない。きっと周りから見れば俺は、空想の中の友達とお話をしたり追いかけっこをしたりする痛い子なのだろう。


 ……あれ? それって結構重症……。


「空想の友達、か……。うん、確かにしっくりくるな」

「真面目な顔して言ってもさっきの雰囲気はもう台無しになってるんだからね?」


 どうやらテイク2は許されなかったらしい。現実とは厳しいものだなぁ。



「じゃあ俺は風呂に行くよ。くつろいでくれてもいいけど、余り物色しないでくれよ?」

「分かってるわよ! ……ねぇ情」

「なに?」

「友達って言ってくれて、私とっても嬉しかったわ」


 本当に、心の底からそう思っているのだろうと容易に想像がついた。

 なんでだろう。言葉は静かで穏やかだったのに、その気持ちは俺を押しつぶさんばかりの勢いで流れ込んでくる。


 だから俺もその気持ちに応えられる言葉を探したのだけど、残念ながら見つからなかった。


「……ああ」

「って、それだけ? そんなんだからモテないのよ、情は」

「モモ、モテないのは関係ないだろぉ!?」

「あ~、なになに? もしかして図星だった? ごっめーん、そうとは知らなくてぇ~」

「ダウト! その反応はダウトですぅ! 俺が透明人間について話してるときに沙夜はすでに俺が悲しい生き物だと知ってましたぁ!」

「そうやってムキになってまくし立てるからモテないのよ。もっと男は余裕を持たないとねぇ」

「おんごグギギ……!」

「なんかすごいうめき声出てるわよ、あんた……」


 なんだよぉ……、いいじゃんかよぉ……。セミだってあんなに必死で鳴いてメスを引き付けてんじゃんかよぉ……。余裕なんてこれっポッチもないじゃんかよぉ……。

 でもよく考えたら俺がほしいのは人間の彼女だったので、必死さはむしろ逆効果になるのだと悟った。


 くそぅ、中身がアラサーとはいえ女子の意見は素直に聞くべきか。このアラサー。中身おばさん。ついでに言うとペチャパイ。


「ちょっと、今失礼なこと考えたでしょ」

「いえ、これっポッチも」


 おばさんって大体こういうとき鋭いんだよなぁ。


「おい、また」

「いえなんでも。では僕はお風呂に行ってまいりますので。失礼」

「ちょ、逃げる気か! 今絶対私のことアラサーとかおばさんとか思ったでしょ!? 私はピチピチの17歳ですからぁ! まだまだ現役ですからぁ!」


 その発言がすでにおばさん臭いんだよなぁ。


「ちょっとまたぁ! あんた後で覚えておきなさいよぉ!!」





 ――――





 下に降りると母さんと父さんに一人で何をしゃべっていたのかといぶかしまれたので、友達と話をしてたと言い訳しておいた。

 うるさいから夜はほどほどにしなさいと言われたけど、んなことは分かってるよ。

 ……いやまぁ、確かに騒ぎすぎたかもしれないけど、それは沙夜が騒ぐから……。

 なんてことを言ったらまた沙夜にモテないだのなんだの言われるから言わないけどさ。


 俺は脱衣所で服を脱ぎ、古臭いタイル張りの浴室に入っていく。

 タイルの隙間はところどころカビが生えていて、外へと続く窓は無駄に大きく、夏だから涼しくていいものの、これが冬だとたまらなく寒いのだ。

 どうしてこんな設計になっているのか、つくづく意味が分からない。これには母さんも同じ意見らしく、早期解決が望まれる。



「っああ~……。疲れたぁ……」


 シャワーで体を流して浴槽につかると、思わずそんなセリフがこぼれた。

 そりゃそうだろう。初めは幽霊だなんだと騒いで逃げ回って。その後は写真を消せって追いかけ回されて。んで沙夜に請われるまま現代テクノロジーを紹介して。

 ついでにいえば沙夜は見た目だけは17歳の美少女なので、一緒の空間にずっといると言うのもそれなりに気を使った。疲れる要素なんて上げて行けばきりがないものだ。


「……でも、楽しかったよなぁ」


 それは偽らざる俺の気持ちだ。なぜだか沙夜とは初めて会った気がしないほどすんなりと接せてるし、楽しいって気持ちは本当だ。

 うん。この気持ちはずっといつまでも色あせさせたくないな。だから残していこう。

 今感じたこの気持ちと、出会った不思議な少女との思い出を一緒に切り取って残していこう。


「そういえばなんであいつは写真に写るんだろう。それも不思議だよなぁ?」


 そんなこと今考えたって分からん。いいやもうなんでも。



 そんな投げやりな思考で湯に口元まで沈めると、ブクブクと息を吐く。

 ほれほれ~、この世は金じゃぁ~、命短し恋せよ乙女じゃぁ~。あぶく銭などいくらでもくれてやるわ~い。


 浮かんでは爆ぜる泡を見て、そんなくだらない妄想を繰り広げているうちに、すっかり体も熱くなってしまった。


 ……命短し恋せよ乙女、か。10年前から時が止まってしまった沙夜には、この世界は一体どんな風に映っているのだろうか。

 本来ならもうとっくに働きに出て、早ければ結婚していたのかもしれない。そんなありふれた未来があったかもしれないのに、あいつはそれを急に奪われたのだ。


「元に戻りたいって、思うよなぁ。やっぱ」


 俺がいればいいだなんて、そんなはずがない。

 それにそういうセリフは本当に好きになったやつにいうものだ。10年ぶりに会えた人間だからって、今日会ったばかりの俺なんかに言っていいセリフじゃない。ちゃんとした体に戻って、生活を取り戻してから言うべきセリフだ。


「でも、その道は険しい、よなぁ……」


 それでもまぁ、できるだけはな。

 もしかしたらそれが理由なのかもしれないしさ。どうせ夏休みだって暇なんだし。夏休みが終わっても暇なんだし。


 俺は湯船から上がると頭と体を洗い、風呂を後にするのだった。





 ――――





「あれ、もう寝たのか」


 風呂からあがって一通り寝る準備をしたのちに部屋に戻ると、沙夜はすでにベッドの上でスヤスヤと寝息を立てていた。


「ホントに寝るのな。……にしても無防備だな、おい」


 服装は相変わらず白いワンピースのままだが、こう、角度によってはいろいろ見えそうだ。ええ。これはいけませんよ、非常にいけませんねぇ。

 おおっとぉ! 情選手これはイエローカードです! 危険信号ですねぇ。

 さあ抜剣しかけていますが何とか抑え込んだようです。再び鞘に収まりました。



 理性を保つために脳内実況を展開し、なんとかピンチを乗り切った俺は、おもむろに一眼レフを手にとる。


 カシャッ、と。

 無防備な沙夜の、その寝顔を切り取った。


「やっぱり写るな。不思議ぃ」


 写真に写った沙夜の顔が、そのまま俺の目の前にある。

 そっと指を伸ばして、その頬に触れてみる。


「つんつん、つんつんっとな。あそれつんつんと」

「う、ん……」

「おっと、いかんいかん」


 プニプニしていて気持ちよい。ずっと触ってられそうだが起こしてしまっては悪い。

 というよりやっぱり俺からでも触れるんだな。どうして俺だけなのか、それは謎だけど、今日はもう疲れたから考えるのはやめよう。



 俺は一眼レフのバッテリーを抜き取り、充電する。

 後は今日ついた砂とかをエアダスターで軽く落し、机の上に置いておく。あとは明日にでもやろう。


 そう割り切って俺は床に寝ころぶ。

 いつもと違って随分と硬い床だけれど、外から聞こえてくる虫や蛙の遠い声が心地よく鼓膜を打つもので、次第にまぶたは重みを増していく。


 意識がすっと遠のいて、とりとめのない思考が頭の中を駆け巡って、そろそろ眠りに落ちるといったその時、微かにその声を聞いた。


「……意気地なし」

「ッ!?」


 閉じかけていた瞼が一気に開いた。全身が火を噴くように熱くなって、汗が噴き出す。


 ……お、起きてた? 沙夜さん起きてらっしゃった? いままでずっと?

 じゃ、じゃあ俺がほっぺつんつんしてたのも気づいてらっしゃった? お気づきであらせられた?


「~~~~ッ」


 俺はそっと両の手で顔を覆う。

 もういっそ殺してくれぃ……。祟りでも呪いでもいいからぁ……。


 結局その夜、俺は日が昇り始める時間まで眠りにつくことはできなかったのだった。

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