第3話 未来との邂逅

「はぁ、はぁ……。こんなことになるならあの時そのカメラぶっ壊しとくんだったわ……」

「まぁそういうなって。いい写真だぞ? これ。ちなみにタイトルは『中身はアラサー』だ」

「ふざけんじゃないわよ! そんな不名誉なタイトルの写真残してたまるもんですか!」


 肩で息をする沙夜さよは、どうやら疲れはするらしいということが分かった。

 どうやら誰からも認められない、触れられない透明人間ということと、透明人間になってから体の成長が止まっていることを除けば普通の女の子と変わりなさそうだ。

 なんか普通に地面歩いてるし、瞬間移動とかしないし。



 一通りの鬼ごっこを終えて落ち着いてみると、もう辺りはヒグラシの鳴き声にエンマコオロギ鳴き声が混ざり始めていた。

 ヒグラシのカナカナカナ……、という鳴き声に、エンマコオロギのリリリリ……という鳴き声が重なる。

 その他にもいくつもの虫たちが声を上げ、この夏に絶対彼女を作ろうと命を燃やしている。

 ……って、昼も夜も絶対彼女作りたい男ばっかりじゃん! これだから夏ってやつは……。


 見れば空も紫色に染まり、いくつもの星がはっきりと目に見える様になっていた。


 しかしこんなに暗くなってはさすがに両親も心配するだろう。デッサンにいったいいつまで時間をかけるつもりだと言われそうだ。



「俺はそろそろ帰らなきゃいけないけど、沙夜はどうするんだ? この神社にいるのか?」


 俺が声をかけると、沙夜は膝に手を当てて休んでいる体勢のまま顔だけをこちらに向ける。

 そうするとどうしても上目づかいでにらまれる感じになるのだが、その目に覇気がなかったためそこまで怖くはなかった。


「うーん、そうねぇ。もう何年もここにいるし、このままここにいるつもりよ」

「でも夜の神社って怖くない? 家に帰った方がいいだろ」

「家には、帰らない」

「どうして? 家出してきたわけじゃないんだろ? だったら女の子一人でこんな神社にいるよりよっぽど――」

「帰らないの! ……別に家族に不満があるわけじゃないけど、それだけは絶対あり得ないのよ」


 沙夜はかたくなな態度でそう言った。その意志は固く、譲る気はないとはっきりと伝わってきた。

 うーん、でも女の子一人こんな朽ちかけの神社に置いていくわけにもいかないしなぁ。どうしたもんかなぁ。




「あ、それじゃあ俺の家来るか?」


「…………は?」





 ――――





「た、ただいまぁ~……」

「あ! やっと帰ってきたわねぇ、じょう! もうすぐ夕食だっていうのにいつまで遊び歩いてたの! スケッチとか言ってスケッチブックも鉛筆も持たないで!」

「ち、ちげーよ、デッサンだよ! あとスケッチブックは持って行かなかったけどカメラは持って行ったし! この写真使って後で書くからいーの!」

「そんなんじゃその時の気持ちとかまで表せないんじゃないの!? ちょっと、聞いてるの? 情!」


 俺はがみがみババアのお小言を無視して靴を脱ぎ、さっさと階段を上がってしまう。


 あー、めんどくせぇ……。いちいちうるさいんだよなぁ、母さんは。

 俺だってもう高校二年生なんだ。夕食前に帰ってきたんだからそんなにがみがみ言わなくてもいいだろ。いつまで小学生扱いするんだっての、全く……。


「いいお母さんね」

「んなわけ。いつまでも人を子ども扱いしやがって……」

「だって子供でしょう?」

「そうだけどそうじゃないの!」


 なんだかむしゃくしゃする。くそう、母さんのせいで気分最悪だよ。



 そんな俺をほほえましいものを見るような眼で見つめながら後ろをついて来る沙夜は、懐かしそうに目を細める。


「お母さんはきっと情のことが心配だったのよ。とっても大事にされてるんだわ」

「……はんっ、どうだか。それよりほんとに見えてないのな。母さん何も言わなかったし」


 沙夜は俺が家に入ってからずっと俺の後ろをついてきているが、母さんの目の前に出ても母さんは何も言わなかった。

 もし見えていたらその子は誰だとか、女の子をこんな時間に家に連れて来るとは何事だとか、お父さん情がついに大人の階段を登ろうとしていますよとか騒ぐはずなのだ。

 それが完全スルー。もちろんそれは、俺が日常的にかつ堂々と女の子を部屋に連れ込むゲス野郎だからとかではない。決してない。悲しいけど。


「だから言ったでしょ? 私は情以外には見えない。私の声も聞こえない」

「……本当なんだな」


 目の前で透明人間であることを証明された気分で、なんだか悲しくなる。

 本当に沙夜は10年もこんな風に誰にも相手にされない、いない者扱いされてきたのだと思うと、ついそんな暗い気持ちになってしまう。



「なに落ち込んでるのよ。大胆にも私を部屋に誘っておいてぇ~」

「ちがっ、あれはそういう意味じゃないっての!」

「え~? 本当? 私って美少女だし、清楚だし、今にも消えてしまいそうな儚さがあるじゃない? そこらの男は放っておかないと思うの」

「今にも襲い掛かってきそうな不気味さの間違いじゃないの? おばさん」

「おいこら、おばさん言うなっての! まだ17歳だから! 心も体も17歳だから!」

「悲しいよな。でも時間って確実に人に年を取らせるんだよ。体も、心も……」

「ちょっと、そこですごく悲しそうに目を伏せない! 私から目を逸らさない! こっち向きなさいっ!」


 そんな風に騒いでも、母さんは何も言ってこない。やっぱり声も聞こえていないようだ。


 確かに沙夜の言う通り、俺が沙夜を家に誘ったのだが、決してそういう下心があったわけではない。

 俺は単に女の子を独りあんな神社に置いておくわけにはいかなかったってだけで、紳士として当然の対応をしたまでなのだ。



「でも沙夜だってOKしたじゃないか。もしかしてそういうこと期待してるんじゃないだろうなぁ……」

「ちょ、人を淫乱女みたいに言わないでくれる!? 私そんなに軽い女じゃありませんから!」

「じゃあなんでだよ?」

「それは……。言いたくない」


 沙夜は階段を上り切ったところで立ち止まると、気まずそうに目を逸らす。


「やっぱり……!」

「だぁー、もうっ! 違うわよ! 単に人と話せるのが久しぶりだったからなんか名残惜しくなったっていうか、寂しくなったって、いう、かぁ……」


 言葉はしりすぼみに小さくなっていって、沙夜は徐々に恥ずかしそうに目を伏せていく。

 その様子がなんだか俺が恥ずかしいセリフを言わせたように思えて、とても扇情的に感じる。


「そ、そうかっ」


 思わず俺も顔が熱くなるのを感じて、上ずった声が出てしまった。


 なんだよちくしょう。しおらしくしてれば可愛いじゃんかよぅ……。

 見た目は確かに沙夜が自信をもって言うだけのことはあるって程の美少女だが、性格が見た目のお嬢様っぽさに反して強気だから、俺のストライクゾーンからは外れていると思ったが、こういう態度をとるのは反則じゃない? 沈まれ俺の心ぉ。



 俺は心頭滅却してから、右手と右足を同時に出して歩き始める。

 あれ、おかしいな、めっちゃ歩きづらいんだけど。


「こ、ここが俺の部屋。散らかってるけど好きに使ってくれていいから」

「ふ、ふーん。言うほど散らかってないじゃない? ていうかあんたの家大きわね。私の家ほどじゃないけど」

「こんなのこの辺じゃ普通だろ? でかいくらいしかとりえのないボロ家だからな。あとさらっと家の大きさでマウントとってくるのやめような?」


 俺の家は昔ながらの農家の家といった風で、木造二階建てだ。

 上下階ともに南と東に採光用の大きな窓があり、冬はそこから冷気が絶え間なく吹き込むので寒いったらありゃしないし、夏場は立てつけが悪い網戸の隙間からアリやらハエやらが侵入してきて大変だし、木造のせいで二階は夏場くそ暑いし。いいことなんてない。


 さっき登ってきた階段だって踏むたびにギシギシ言ってうるさいし、トイレだって最近まで汲み取り式だったんだ。もう臭いったらなかった。

 二階の床がフローリングになって、トイレが水洗になって、ようやく少しましになってきたけど、まだまだ不満点の方が多いのがこの家だ。


 ちなみに俺の部屋は広さで言うと9畳くらいで、部屋に入って右手にベランダに続く大きな窓。左手奥にベッド。右奥の角に勉強机とパソコンがあり、そのすぐ隣に大きな本棚がある。

 あとは入ってすぐ右手に押し入れがある。洋服とか昔のゲーム機とか、いろいろ詰め込んである。

 何の面白みもない、普通の部屋だ。


「でも懐かしい感じがして私は好きよ」

「さすが。神社に住んでた女子はいうことが違うねぇ」

「ちょっとそれバカにしてるんじゃないでしょうね?」


 そんなやり取りをしているうちに、先ほどまでの心の乱れはどこかに行ってしまって、俺は手早く部屋を片付けると空いたスペースに座布団を敷いた。



「まぁひとまずここに座ってくれ。寝るところはどうしようかまだ考え中だけど、なんとかなるだろ」

「別に気にしなくてもいいわよ。私床で寝るから」

「いやいや、仮にも女の子を床で寝かせるわけにわいかないだろ。布団持ってくるよ」

「仮にもってねぇ……。でもそれだとご両親に怪しまれない? 自分のベッドはあるのにわざわざ布団持ってくるなんて」


 む、それもそうだな。だとすると俺が別の部屋で寝るのもおかしな話になってしまう。

 ……あれ? これっていろいろ詰んでるんじゃない? 沙夜に別の部屋で寝てもらおうにも布団用意してっていうのもおかしな話だし。


「じゃ、じゃあ沙夜が俺のベッドで寝てくれ。俺は床で寝るから」

「そう言って、後でベッドに残った私の残り香とか嗅ぐつもりじゃないでしょうね?」

「お前にとって俺はどんな変態なんだよ……。そんな発想ができる沙夜の方がよっぽど変態だよ……。淫乱だよぉ……」

「ちょ、女の子に向かって変態に淫乱とは何事よ!? 取り消して! 取り消しなさい!」


 変態だよぉ……、淫乱だよぉ……、と呟きながら俺は階段を降りていく。

 沙夜はそんな俺の背中に取り消せ取り消せと叫び続けていたが、俺はそれらを全部無視して夕食を食べに向かうのだった。





 ――――





「手を洗えだの、うがいをしろだの、宿題をやれだの、あんのババアはいちいちうるさいったらねぇよ。んなこと言われなくたって分かってるっての!」


 がみがみババアの再攻撃によって再び気分を害した俺は、ぶつくさと言いながら階段を登って自分の部屋へと向かった。


『へぇ、ここにもないんだ。ということはあとはあっち――』


 扉の前に立つと沙夜の声が聞こえた。いったい何をしているんだろう。


「おい、なにしてんだ」

「うひゃぁ! ちょっと、部屋に入るときはノックくらいしなさいよ!?」

「いや、ここ俺の部屋だから。自分の部屋にノックして入ってる奴いたら頭おかしいから」


 こんこん、入りますよー。うん、どうぞー。とか一人でやってるとしたらだいぶ心配な奴だ……。


 それは置いておいて、ドアを開けて部屋に入ると、沙夜がなにやら本棚の上をあさろうとしていたようだ。

 本棚には触れないから、何とか背伸びして見ようとしていたようだが、生憎あいにくとその低い身長では届かなかったようだ。


「んで、何してたんだ?」

「え、えー? 別に何もしてないんですけどぉー?」

「隠すの下手くそかよ」


 目が泳ぎまくってるぞ。縦横無尽に駆け巡ってるぞ。戦場だったら確実に武勲上げてるレベルだぞ。


「べ、別に、私は男の子の部屋に来たのが初めてとか、男の子の部屋に来たら必ずエッチな本を探さなくてはいけないとか、そんなこと思ってないんだからねっ!」

「うん、今全部説明してくれたね。ありがとう」

「いやだからっ、違うって言ってんでしょ!?」

「ちなみにいうと俺の部屋にエッチな本はない。あんな地雷原、自分の部屋に置いておくはずないだろ」

「え、うそ……。男の子はみんなそういうものだって聞いてたのに……」

「なぜそこでショックを受ける!? 男子高校生を何だと思ってるんだ!?」


 そもそもエロ本なんて買う金ないし、拾ったものなんてばっちくて持ち帰りたくないし、最近はパソコンでなんでもできる時代なんだよ。


 かく言う俺もパソコンの中身はひどいものだ。他人には見せられない絶対不可侵領域プライベート・ワールドがそこにはある。



「それにしても情の部屋って私の知らないものがたくさんあるのね。これとか何よ?」


 沙夜は物珍し気にくだんのパソコンを見つめている。おいやめろ、それは俺の絶対不可侵領域プライベート・ワールドだと言ったろうに! いや言ってないけど!


「そ、それはパソコンだよ。沙夜も見たことくらいあるだろ?」

「パソコン!? この薄っぺらいのが? パソコンってもっと大きくてテレビくらいある奴でしょ……?」


「うん、それ昔のパソコンな? しかもデスクトップのやつ。これはノートパソコンって言って、もち運びとかに便利なやつなんだよ。あと沙夜の言ってるテレビはもう古いテレビだぞ。いまは薄型の時代だ」


 俺の説明に沙夜は驚きを隠しもせず、口を開いて固まったまま何も言葉を発せられないようだ。


「テレビは昔のブラウン管テレビから、こんくらいの薄さの液晶テレビっていのに切り替わってるんだよ。知らなかったのか?」


 おれは片手で分厚い辞書くらいの幅を作ると、沙夜に見せてやる。

 生憎と俺の家にはまだ液晶テレビはないが、お金持ちの家や町の家電量販店に行けば見ることくらいは造作もない。


 沙夜は驚いた表情のまま首を横に振ると、次に机の上に置いてあった俺の携帯電話を指さした。


「じゃ、じゃあこれは!? これはなんなの!?」

「それは携帯電話だ。手に取って開いて――って、お前には無理だったんだな」


 俺は机に歩み寄って携帯電話を手に取ると、二つ折りのそれを開いて見せた。

 するとパッと画面に光がともり、ホーム画面のカレンダーや天気といった情報が映し出される。


「な、なによこれ? これが携帯電話? アンテナは?」

「もうあんなの伸ばす時代は終わったんだよ。ここに内蔵されてる」


 そう言って携帯電話の上の縁をトントンと叩くと、沙夜はほぅ、とため息をついた。




「私、こんな体になってからしばらくはあちこち行ってたけど、ここ9年くらいはこの町もろくに歩かないで神社にいたから……。時代は10年で随分変わったのね」




「……じつは携帯電話も大きく進化し始めてるぞ。いまはこの二つ折りの携帯電話じゃなくて、こういう板みたいなやつ。スマートフォンっていうのが登場してな? これがまたすごくてさ――」


 10年で時代は随分と変わった。沙夜のそのセリフは確かな重みがあった。

 それは時間であり、苦悩であり、今までに沙夜が感じてきたすべてなのだと思った。



 それから教えてやった今の時代のテクノロジーを、沙夜は目を輝かせながら、時には驚きにほうけながら、それでも終始興味深げに聞いていた。

 これじゃあまるで世間知らずのお嬢様だ。この世界のことを何も知らない。アンティーク店に引きこもっていたのではないかと疑いたくなるほどの知識量のなさだ。


 ……まぁ、分からないことがあっても誰も教えてくれなかったのだから、仕方ないだろう。

 でもその分俺が教えてあげればいいんだから。



 俺は一眼レフを手に取り、物珍しげな顔で携帯電話の画面をのぞき込んでいる沙夜をファインダーに収めた。


 軽快なシャッター音がこの世界を、この一瞬を切り取る。


「ちょ、何撮ってんのよ。あ、でこれはどうなってるの?」


 写真を撮られたことに文句を言うよりも、今は携帯電話の方が気になるようだ。

 俺はカメラの画面に映し出された沙夜の写真を確認すると、説明に戻っていく。


 机の上に置かれたカメラの画面には、好奇心で目を爛々らんらんと輝かせた沙夜の横顔が写しだされていた。

 そうさな、タイトルをつけるとするなら、「未来との邂逅かいこう」かな。

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