第223の扉 封印のその先に
「姫様、お話があります」
太陽がうつむきがちに風花に話しかける。彼の隣には優一とうららが優しく佇んでいた。まるでそっと背中を押すように。
「翼、こっち来い」
「ん? うん」
翼を促して部屋の外へと出ていく。「外におります、何かあれば呼んでください」と太陽に声をかけて。
「どうしたの?」
扉が静かに閉められて、二人っきりの室内。首を傾げた風花が太陽を見つめる。
今の太陽は何かに怯えているように見えた。太陽と風花は長い付き合い。両親同士の仲が良く、幼い頃から良く遊んでいた。面倒見がよく、お兄さん的存在で、いつも頼っていたような気がする。そんな彼の不安げで、自信無さげなその態度。今まで風花は見たことがなかった。
「私は、……ずっとあなた様に隠し事をしております」
風花がどんな話なのだろうと首を傾げていると、震える声で太陽は言葉を紡いだ。その発言に心臓を掴まれたような恐怖心が彼女を襲う。
「かくし、ごと?」
「はい。姫が記憶を失ったことを利用して、記憶の扉に鍵をかけました。心のしずくを取り戻しても、とある記憶が戻らないように、と。」
風花の心のしずく。聖魔対戦で董魔に砕かれ、世界中に散らばった。風花の魔力、感情、記憶を内包しており、彼女の大切な物である。
自分は何を隠されているのだろう。風花の心が不安で埋まり、瞳が揺れる。
「何を、隠しているの?」
「ある方の存在を消しております」
「存在……それって月のこと?」
「俺じゃないよ。だけど、原理は一緒。お前、『記憶の中に白い靄がある』って言ってたろ? その靄の正体は俺との記憶だけじゃなかったってこと」
太陽と入れ替わり月が説明してくれる。
太陽の中に存在している別人格の月。彼の存在も以前は鍵をかけられていた。そのため、心のしずくを取り戻す度に風花が見ていた記憶の中に彼は居ない。白色の霧として表現されて、ぼんやりとそこにいる。
今は月の封印は解けているが、風花の中にはまだもう一人との思い出が帰ってきていない、ということのようだ。
「白い部分は月だと思っていたのに、違ったんだね」
頭の中のいまだ晴れない霧の中。封印の後遺症で月との思い出がぼんやりとしているだけだと思っていたが、そうではなかったようだ。
もしかすると、太陽たちはこれを狙っていたのではないだろうか。今封印されている人の記憶を徹底的に隠すため、風花が霧を疑問に思っても「月との思い出」と言ってしまえば納得するように。霧の向こうにいる人物は、そこまでして隠さなくてはいけない危険な相手なのだろうか。
「誰が、いないの?」
風花の声が自然と震えた。今から自分はどんな存在を思い出すのだろうか、と。
そして、それと同時に考えた。
彼らが今このタイミングでそれを自分に打ち明けることの意味。ずっと秘密にし続けてきたその人物の存在を告げるのに、この時を選んだ意味。それを考えると……
あぁ、そうか……
______________
「まだ隠されている人が居たんだね、知らなかったよ」
「まあな」
優一とうららから事情を聞いた翼が、納得の声をあげる。今頃二人は隠された秘密について話しているのだろう。
一体どんな内容なのだろうか。風花想いの太陽と月が、思い出させない方がいいと判断した情報。風花を悲しませてしまうものなのだろう。
「何か悲しいことを封印されてるんだね」
「その逆だよ」
「逆?」
優一の口から出てきた思いがけない言葉に、翼は呆気にとられた。「逆」とはどういう意味なのだろう。ますます意味が分からない。
「だから、質が悪いんだ」
翼が首を傾げていると、優一が苦し気に呟いていた。
______________
風花の頭の中に董魔の言葉と、ローブを被った少女の姿が浮かび上がる。
『この子を殺してくれるかい?』
私が殺さないといけないローブの人って……
「風花様の双子の姉君、風吹様です」
お姉ちゃんなんだ。
「ふぶき……おねぇ、ちゃん」
太陽の口から出たその言葉。聞いた瞬間、今まで覆いかぶさっていた霧が一気に晴れ、姉との思い出が頭の中を駈け廻った。
風になびく白い髪。真っ直ぐに見つめてくれるその瞳。自分の名前を優しく呼んでくれるその声。
彼女と過ごした日々が、楽しかった日常が、ダムが決壊したように溢れて止まらない。
「お姉ちゃん、おね、ぇ、……ちゃん」
そして風花の瞳からは涙が。ポロポロと溢れ、頬を伝った。そして……
「ふふっ、お姉ちゃん。そうだよ、私にはお姉ちゃんがいるの、風吹お姉ちゃん。当たり前のように一緒にいたのに、今まで忘れていたなんて。太陽たちの魔法はすごいんだねぇ、んふふっ」
風花は嬉しそうに笑った。「お姉ちゃん」という言葉を何度も口に出して確かめる。大切な宝物を抱きしめる子供のように。もう二度と失くしてしまわないようにしっかりと、何度も、何度も……
「姫、様」
「ふふっ、お姉ちゃん、大好きなおねぇちゃん。せっかく……思い出せた、のに、なんで、戦わないと、いけないの。……殺さないと、いけないのかな」
しかし、次第に笑顔が薄れ、嬉し涙はすぐ、悲しみの涙に変わった。太陽はそんな彼女に何も言えない。
「思い出した……あの時、お姉ちゃんが私を庇って董魔さんに捕まったんだ。それで、心を凍らされて。その後すぐに私も心を割られて」
風花はぼんやりと思い出し始めた姉との記憶を辿っていく。
聖魔対戦で心を失った風花。そしてそれは姉の風吹も同じだった。そして心を砕かれた風花とは異なり、風吹は心を凍らされた。とある呪いと共に。
『風花姫の心のしずくが全て集まるまで、この氷は溶けることはないだろう』
「だから、太陽たちはお姉ちゃんのことを隠してたんだね。私が一人で突っ走らないように」
風花の問いかけに、太陽はゆっくりと頷いた。
風花は自己犠牲精神が強い。自分が傷つくことより仲間が傷つくことを極端に厭う。そんな彼女が姉の存在を知ったらどうだろう。姉の眠りを覚ます方法が、自分の心のしずくを集めることだと知ったらどうだろう。彼女の行動は想像に容易い。
だから、太陽は風花の記憶に鍵をかけた。風花が必要以上に危険な目に合わないように。
「ローブの人の正体がお姉ちゃんだって、どうして分かったの? あの時太陽たちは居なかったのに」
風花が無理やり風の国に連れてこられ、董魔と対峙した時、太陽はその場に居なかった。
『この子を殺してくれるかい?』あの時董魔から投げられた問いかけに、風花の頭がまたズキンと痛んだ。
「タタン様が教えてくれたのです。風吹様の精神は呪いを受けてからタタン様が保護してくれていました。しかし、先日そのお姿が突然消えたようです」
精神世界、夢の国で時を過ごしていた風吹。太陽と月は以前彼女に会っている。心を凍らされているために、無表情で無感情のままで。
そんな彼女が突然姿を消した。董魔が呪いを弱めて、風吹が自分の命令通りに動くようにしたのだろう、とタタンは言っていた。本当は魔界に居る京也に真偽を確かめたいのだが、彼との連絡が取れない。彼の身に何かあったのだろうか。
「そっか……」
太陽が京也の身を案じていると、風花はポツリと呟いて俯いた。
彼女の心の中には、複雑な感情が渦巻いているのだろう。思い出せた記憶の懐かしさ、大好きな姉を殺さなければいけないという悲しみ。
俯いたその表情の先は分からない。風花は今何を思っているのだろう。
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