第190の扉 懐かしい温度
「ふぅ……」
『太陽お疲れ』
翼たちが帰宅し、自室で一息ついた太陽の口から自然と息が漏れる。月が心配そうな声を出しているが、今日はいろんなことが起こり過ぎたのだ。月の封印解除、風花の過去の話、記憶の話、翼たちのなんちゃって濡れ場などなど。今日は盛りだくさんの一日だった。太陽の疲労度は限界である。
「流石に疲れました」
『しばらく俺が変わるからゆっくりしてろよ』
「ありがとうございます」
身体から黒い物が噴き出して、髪を染め上げる。ツンとした目元に変わって、人格が月とチェンジ。
「まぁ、変わったけどもうやることないよな?」
『そうですね、翼さんたちは帰られましたし、姫は自室で学校の宿題をしてますから。しかし……』
「何か忘れている気がする……」
『んー、まだ何かやらねばならないことがあったような……』
頭を捻って考えるが、なかなか答えは出てこない。思い出せないということは、大したことではないのかもしれない。月は考えるのを諦めて、ボフンと布団に転がった。すると……
「いやあああああああ!」
隣の部屋から風花の悲鳴が。そして、ドタドタと足音を響かせてこちらに近づいて来る音がする。
「あー、思い出したわ。まだでかい問題が残ってたやん」
『まだ休めそうにありませんね』
風花の行動で全てを悟った月と太陽。ゴンゴンゴンゴン!と叩かれた扉を開けて、彼女を部屋へ招く。
「うぁぁぁぁ、たぃよぅ、つきぃ。大変なのぉ、グスン」
月が扉を開いた瞬間、風花がめそめそと泣きながら抱き着いてきた。
「はいはい。とりあえず顔を何とかしろ、汚い。チーンして、ほら」
「チーン!」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの風花の顔を、月が丁寧に整えてくれる。あっという間に元通りの桜木風花に戻った。しかし、戻った途端真っ青な顔をして、携帯電話の画面を見せてくる。
「あ、あああ、あのね! 母様が、母様が、大変なことになっているの!」
そこには優風から届いた何十通ものメールが。
『風花ちゃん? お母さんはずっと電話をかけているのだけれど、どうして出てくれないの?』
『太陽くんたちが大臣を辞任ってどういうことなのかしら? そもそもそんなに簡単に辞任できると思っているの?』
『一度お母さんとお話しましょうね? このメールを見たらすぐに帰ってきなさい』
『あ、そうだ、お父さんも一緒にいるから覚悟していらっしゃい』
『このメールも無視したらどうなるか、分かっているわよね?』
「どどどどっどっ、どうしよう、母様怒ってる」
「だろうな」
ひどく慌てた様子の風花とは一変、月は非常に落ち着いている。そもそも思い出していただきたい、彼女が先ほど母親に電話して何を言ったのかを。大臣辞任を告げて、一方的に電話を切ったのだ。これで怒られないはずがない。
「つきぃ、私、殺される……」
「流石にそこまではしないだろ」
優風は普段は温厚なのだが、怒るととてつもなく怖い。その怖さは風花がこうやってパニックになるほどである。
「まだ死にたくないよぉ」
「……」
ぶるぶると震えながら、泣き始める風花。また顔がとんでもないことになっている。
「仕方ねーな、俺と太陽だけで行くか?」
『その方が良さそうですね。今の状態の姫と帰国したら、余計に事態が悪化するような気がします』
優風の話は月の封印に関することだろう。風花は封印はなしでいいと言っていたが、風の国の状況を考えると、それは難しいはず。そんな話し合いの場にパニック風花を連れて行けば、大パニックである。
「風花、行ってくるから、一人で留守番できるな?」
「でででも、そんなことしたら月と太陽が殺される! 母様怖いもん!」
「勝手に殺すなよ。大丈夫だから、ちゃんと帰ってくるよ。風花のことも殺さないようにお願いしてくるから」
「あぁぁ、生きて帰ってくるんだよぉ」
「はいはい」
なぜか母親を殺人鬼にしてくる風花を一人残して、腕を一振り。太陽と人格をチェンジして、月が奥の奥へ隠れこむと、風の国への扉の中に消えていった。
「風馬様、優風様」
「「お帰りなさい」」
風の国に帰国した太陽。彼の前には風花の父親と母親、風の国の王と王妃である風馬と優風が。ぺこりと頭を下げる太陽を優しく受け入れてくれた。
「やっぱり風花を置いてあなたたちだけが来たのね」
流石は風花の親。彼女があのメールを見て、パニックになることは分かっていたようだ。そして、太陽が彼女を置いてくることまでお見通しだったらしい。
「風花から電話があった時はびっくりしたわ」
「申し訳ございません」
「風花が月くんの名前を呼んだから、何となくの事情は分かるのだけれど」
「ご想像通りの展開でございます。記憶の扉が一つ開きました」
太陽が事情を説明し、ぺこりと頭を下げる。彼の頭は本当に申し訳なさそうに下がっていた。
彼らが心を痛めることではないはずなのに、背負い込まなくてもいい物を背負わせてしまった。風馬と優風はその様子を見て、胸がチクリと痛くなる。
「もう一度、月を封印し……」
「その必要はないよ」
「え」
風馬の優しい声に驚き顔を上げると、二人はニッコリと微笑んでくれていた。
「太陽くんも月くんも風の国の大切な国民の一人。どちらかが隠れていないといけないなんて、もう止めにしましょう」
「まだ魔界の人を恨む感情は完全には消えていない。だから、月くんが堂々と街の中を歩いたりすることはできないだろう。それでも、以前のような危険な目には合わせないと約束するよ」
二人にとって今の国内の状況は放っておけるものではない。混合の人たちを国外へと導いたのも、封印という形で太陽たちを守ったのも、全て彼らの命を守るため。
そして、今だ渦巻いている憎しみの感情を消すために、日々努力をしている。『いつかのその日』を一日も早く訪れさせるために。
「でも、俺が風花の側にいたら……」
「もし何か言われたり、されたりしたら、すぐ私たちに言いなさい」
「徹底的に潰してあげる」
「「……」」
予想外の展開に慌てて月が声を上げるも、ニコリと微笑んで、真っ黒な言葉を紡いだ風馬と優風。あの娘にこの親ありである。太陽と月は開いた口が塞がらない。
「ごめんね、何も気にせずに暮らせれば、それが一番良いのだけれど」
「今まですまない、そしてありがとう」
二人の優しい言葉に太陽の目頭が熱くなった。太陽に封印と言う形を取らせてしまったことは、二人にとっては納得のできるものではなかったのだろう。それでも、自分たちがこれ以上理不尽に晒されないように、守ろうとしてくれる。
どこまでこの人たちは自分に優しくしてくれるのだろう。まるで本当の息子のように。
「ぁ……の」
そんな優しさを受けて、太陽と月の中でとある感情が巻き起こった。まだ両親が存命だった頃、温かくて優しくて大切な記憶。
「一つだけ、わがままを言っても……良いでしょうか」
太陽は服を握りしめて、唇をもにゅもにゅし始める。彼の頬がほんの少し赤いのは気のせいか。
「どうしたの?」
「あ、のぉ……そのぉ……」
「私たちにできることなら何でもしてあげるわ。遠慮せずに言ってごらんなさい」
にこりと微笑んでくれる優風をチラチラと見ながら、太陽は小さく言葉を紡ぐ。
「……ハグを、して、ほしいのです。お二人に」
そう言うと、太陽は恥ずかしそうに両手を広げた。風馬と優風の姿が、自分の両親の姿と重なったのだろう。
「ダメ、でしょうか……」
もうこの世にはいない両親。それでももう一度、あの温かなぬくもりに包まれたい。そう思うことは我がままだろうか。
「私たちで良ければ何回でもさせて」
自分たちを求めてくれる少年の願いを、聞かないという選択肢はない。風馬と優風は太陽のもとへ歩み寄り、微笑みながら包み込む。それと同時に懐かしくて、温かな感情が太陽と月の胸に蘇った。
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