第228の扉 さよならまたね
「やっと、揃った」
風花は最後の心のしずくを大切そうに手のひらで握る。彼女の瞳が嬉しそうに、だけどどこか寂しそうな複雑な色を示した。
「終わったんだね」
「うん……」
翼が声をかけると、その複雑な色の瞳のまま、風花は微笑んでくれた。
心のしずくがすべて揃った。長かった彼女の冒険がついに終わったのだ。そして、それは翼たちとの別れを意味している。彼女はこの世界の人間ではない。心のしずくが揃った今、この世界に滞在する理由はもうなくなってしまった。
その現実を認識し、翼の顔が暗くなる。しかし、必死にその暗さを隠して、普段通りの笑顔を浮かべた。
「おめでとう」
少し、声が湿ってしまっただろうか。声に複雑な感情が乗ってしまったような気がする。
「ありがとう。無事に集めることができたのはみんなのおかげだよ。本当にありがとう」
しかし、風花はそのことには触れずに、笑ってくれた。いつも通りの優しい笑顔。
毎日のように見ていた彼女の笑顔。しばらく見ることはできないのだろう。そう考えると、胸の奥がズキンと痛みだし、瞳に熱い物が溢れ出した。
「このしずくはお姉ちゃんの所に帰ったら戻すことにするね」
翼が必死に想いを噛み殺していると、風花がいそいそとしずくをポケットにしまっている。
風の国で待つ風花の姉、風吹。彼女は戦いの後再び眠りについた。董魔自身は消えたものの、長い期間かけられていたその呪いは持続しているようだ。
しかし、風花の心のしずくが全て揃えば、彼女も目を覚ます。風花は姉の目覚めのその瞬間、隣に居たいのだろう。
「姫様ー」
「あ、太陽が呼んでる。相原くん、また明日ね」
「うん、また明日」
太陽の声と共に、風花が家の中へと消えていく。もう、彼女と「また明日」と挨拶することはできないのだろう。翼は胸にぽっかり穴が開いたような感覚を覚えた。
______________
翌日、学校の校庭。そこに翼たち精霊付き8人が集まっていた。
「姫様……お時間でございます」
「うん」
太陽が風の国へとつながる扉を召喚する。真っ白な扉、真ん中には桜の紋章が。
ついに、別れの時がやってきた。
「今まで本当にありがとう。みんなのおかげですごく楽しかった……」
風花は全員の顔を一人ずつ、名残惜しそうに見つめながら別れの言葉を口にする。そして、太陽に促されながら、扉へと手をかけた。
「バイバイ」
「楽しかったよ」
美羽たちも目に涙を浮かべながら、風花へ別れの言葉を口にする。
次に彼女に会える日はいつだろうか。風花は風の国のお姫様。そんな立場では簡単にこちらの世界に戻っては来れないかもしれない。
「桜木さん、またね」
翼の告げた別れの言葉に、風花の肩が微かに揺れた。そして、ゆっくりと振り向き、彼女も別れの言葉を告げる。
「……さよなら」
振り向いた風花の表情を見て、翼は咄嗟に彼女へと手を伸ばした。そして、無我夢中で自身の腕の中に包み込む。
「相原く……」
「桜木さん」
戸惑い、口を開きかけた風花の言葉を遮って、翼が風花にだけ聞こえるような小声で名前を呼ぶ。そして……
「何が怖いの?」
風花の瞳の中に浮かんでいる恐怖の感情。約一年間、ずっと彼女と冒険を続けてきた彼だからこそ見つけた風花のSOS。
あの時と、同じ。風の国から僕たちを無理矢理帰した時と、同じ……
君は何をそんなに怖がっているの?
「……ごめん、なさい」
ポツリと小さな声で告げられた謝罪の言葉。風花の瞳はますます恐怖の色を濃くし始めた。そして微かだが、風花の身体が震えているような気もする。
「翼さん、姫を離してください」
太陽が普段よりも厳しい声音で言葉を発した。彼は風花の恐怖の感情が分かっているのだろう。だからこそ、翼たちから遠ざけようとしている。
風花の謝罪と、太陽からの拒絶。この二つで風花の恐怖の対象の正体を掴んだ。
風花の恐怖の対象は、翼たち自身。
「え、ちょ、翼さん!?」
「いきなりどうしたの!?」
そして、次の瞬間風花を抱きかかえて、撃たれた弾丸のように颯爽と走って行く。取り残された優一たちは遠ざかる彼の背中をポカンと見つめることしかできなかった。
______________
「相原、くん?」
「ごめんね、びっくりしたよね」
翼は太陽たちが見えなくなるまで距離を取ると、乱れる息を整えながら風花を下した。
「桜木さん、僕に話してくれない? 君が何を怖がっているのか」
「……」
翼の問いかけに風花が彼との距離を取る。怯えたようなその仕草。彼女のその行動で、翼は全ての謎が解けた気がした。
あの時と同じ「さよなら」の言葉と表情。
風花はもうここには帰ってきてくれない。彼女はいつも「またね」と別れの挨拶を告げる。そして彼女が「さよなら」という別れの言葉を使ったのは、唯一風の国でのあの場面のみ。
風花の見せた恐怖の感情と翼たちを怖がる理由。
風花は『自分たちがもう二度とここに帰ってくることがない』という事実を、翼たちに知られることを恐れている。恐怖の感情を突き止めようと尋ねた翼に怯えた仕草を見せたのはこのためだろう。
理由を告げずに別れを望んだ彼女の決断。
『帰ってこない』という事実を翼たちが知れば、怒られると思ったのだろうか。しかし、もう二度と会えないのであれば、尚更別れの場面は大切にしたい。その感情を理解できない風花ではないだろう。それならばなぜこのような別れの場面を選んだのか。考えられる理由はただ一つ……
「僕たちは、忘れないよ」
「……」
風花たちはこの世界へは二度と帰ってこない。そして、翼たちの中から彼らに関する記憶が消される。
風花が本当のことを告げずに別れを選んだ理由。それは最後の別れは笑顔でさよならを言いたかったから。彼らに真実を告げれば、怒られるだろうし、泣かせてしまうだろう。そんな顔はさせたくなかった。なぜなら……
「僕は君に伝えたいことがあるんだ」
風花たちの中には記憶が残るから。最後に瞳に焼き付ける仲間たちの姿は、笑顔が良かった。もう二度と会えないのなら、思い出すのは笑っている姿が欲しい。
「僕は君と出会って変われた」
翼はゆっくりと言葉を紡ぐ。声が濡れないように気をつけながら、しっかりと彼女に言葉を届けていく。
翼は風花と出会い、変わった。強くなれた。
自分のことを弱虫だと、役立たずだと言っていた少年は、勇気を取り戻し、前を向くことができた。
「僕は……僕たちは……っ」
忘れたくないこの感情。こんなに胸が熱くなったのは、初めてだった。それも全て風花に出会えたから。彼女がここまで自分を強くしてくれた。
ずっとそばに居てくれた。
自分の努力を、頑張りを、一粒も零さずに見ていてくれた。
優しくて、温かくて、素敵な女の子。
「君が大好き」
誰かを大好きになる心。胸が温かくて仕方ない。この感情を知ることができたのも、全ては風花と出会えたから。
「僕は君が好き。笑った顔も、怒った顔も、泣いている顔も、全部好き。その声も、仕草も、全部……っ」
それと同時に、こんなに苦しく切ない物だと初めて知った。
大好きな彼女に会えるのは、今日が最後。自分の中の全ての感情を伝えたいのに、胸に熱い物が込み上げて、言葉として出てきてくれない。
次第に視界が揺れ始め、我慢できないほど瞳が涙で溢れていく。
「僕は、忘れない」
彼女は最初に言っていた。『自分たち魔法使いの存在は、知らせてはいけない』と。世界の均衡を守るために、距離を保たなければならないのだと。
「絶対に忘れない。君のことも、この気持ちも」
だから、今回の措置は恐らく偉い人たちの判断なのだろう。もしかすると、ずっと前から記憶が消されることは決まっていたのかもしれない。
「だからいつか帰ってきて」
もうどうにもならないことなのかもしれない。それでも……
「待っているから、みんなで」
もう一度彼女の笑顔に会いたい。そう思ってしまうのはわがままだろうか。
「ありがとう」
しかし、風花は嬉しそうに頷いてくれる。その笑顔には、さっきまで浮かんでいた恐怖の感情は欠片も浮かんでいなかった。
「さよなら、またね」
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