第220の扉  大好きな人

「落ち着きましたか?」

「うん、ごめんなさい」

「いえいえ」


 しばらくすると、風花は落ち着きを取り戻し謝罪してくれた。長年従者を務めている太陽でも、風花があれほど取り乱し怯える姿は初めてだった。余程のことが彼女の身に起こったのだろう。


「あのね……」


 翼たちにも後ほど謝らねばならないな、と考えていると、風花がゆっくりと口を開いてくれた。


「董魔さんに、会ったの」




※※※




「ここは?」


 時は少し遡り、風花がキッチンでクッキーの準備をしている頃。突然目の前に白色の扉が出現。何事だろうと驚いている間に、扉の中から無数の黒い手が出てきて、中に引き釣り込まれてしまった。そして、風花が辺りを見渡すと、そこは風の国の王宮、王の間。


「こんにちは、風花姫」

「董魔、さん」


 本来なら国王である風馬が座っているはずの場所には、魔界の王であり京也の父親である黒田董魔の姿が。真っ黒なローブを着ており、不気味にその瞳を光らせている。


「どうして、ここに?」

「君に会いたくてね。風馬に呼んでもらうように頼んだのに、聞いてくれなかった。手荒な真似をして済まなかったね」

「父様はどこですか?」

「向こうの方で眠っているよ。大丈夫、危害は加えていないから。邪魔をされても困るから、国の人達にも眠ってもらったよ」


 静まり返った城内。普段なら兵士たちの賑やかな声が聞こえているはずなのに、全くの無音。それらが不気味な空気に拍車をかけていた。


「どうして、私に会いたかったんですか?」

「君に頼みがあってね」

「頼み?」


 恐る恐る風花が尋ねると、董魔はニッコリと微笑んだ。そして、椅子の影からローブを被った人物が現れる。その人物はフードを深く被っているため、顔を確認することが出来ない。

 頼みとは何だろう、この人物は誰だろう、と考え込んでいると、董魔は微笑んだまま言葉を続けた。


「この女の子を殺してくれるかい?」


 日常会話でも楽しむかのような声音で紡がれた言葉。しかし、内容はあまりにも非日常過ぎる。


「風花姫、君に殺してほしいんだ」

「……できません。その子は誰なんですか? それに殺されなくてはいけないような悪いことでもしたのですか?」

「そうか……何か理由が必要なのか」


 風花の返答に足して、何かを考えるような仕草を見せた董魔。そして、不気味ににっこりと笑って再び口を開く。


「君の大好きな人たちを殺そうか」

「え……」

「家族、友達、誰でもいい、大好きな人たちがいるだろう。その人たちをこの子に殺してもらおう。そうすれば、この子を殺す気になるだろう?」


 董魔のその言葉に風花は背筋が凍る思いがした。

 大好きな人たち。両親、太陽、月、京也、梨都、兵士やメイドのみんな、風の国の国民。そして、翼や優一を始めとする学校の友達たち。他にも月の国のひかるや美鈴、水の国の玲奈や勝……

 今まで生きてきて出会った人たち、自分に親切にしてくれて助けてくれた仲間たち。たくさんの人たちの笑顔が風花の頭の中に浮かんだ。


「なるほど……その人たちが君の大好きな人なんだね」

「え……」


 董魔がパチンと指を鳴らす。すると、風花の後ろからドサッという嫌な音が響いた。音に誘われて振る向くと、そこは一面血の海で。見慣れた服を着た人物がぐったりと横たわっていた。そして、その隣には返り血を浴びた先ほどのローブの少女が立っている。


「な、んで……」

「まだ足りないね。次はどの子にしたい?」

「やめてください!」

「……あぁ、次はその子がいいんだね」


 風花の静止も聞かずに、董魔はまたパチンと指を鳴らした。そして、嫌な音と共に先ほど笑顔を思い浮かべた友の姿が、変わり果てた姿で横たわる。


「や、だ」


 風花は耳を塞いで目を閉じて、必死に何も考えないように努めた。どんな魔法を使っているのか分からないが、董魔は自分の思考を読んでいる。風花が思い浮かべてしまった人から順に彼はローブの少女に仕留めさせていくつもりだろう。


「次はその子かな?」


 しかし、考えないようにすればするほど、仲間たちとの楽しかった思い出を描いてしまう。風花の努力虚しく、董魔が指を鳴らす音はしばらく響き渡った。





※※※






「その後、気がついたら董魔さんは居なくて。城の中を見たけど、みんな眠っているだけで怪我してなかった」

「……」

「訳が分からなくて、どうしたらいいか分からなくて。そうしたら太陽たちが来てくれたの」

「そう、でしたか」


 風花は震えながらも、太陽の董魔とのやり取りを打ち明けてくれる。途中から彼女の頬に涙が伝った。頭の中には血の海が広がっているのだろう。彼女は何人の友の死を見たのか。


「大好きな人たちを殺すって……だから、私が嫌いにならないといけないって思って」


 先ほど『嫌い』と連呼された言葉たち。風花は自分が『好き』と認識しなければ、董魔の手にかからないと思ったのだろう。だから、太陽のことも嫌いになろうとして叫んで遠ざけた。


「相原くんたちを、早く帰さないといけないと思って、それで……それで……」

「姫様……」

「どうしよぅ……私が、私と出会ったから、みんな、死んじゃう」


 自分のせいで、危険な目に合わせてしまう。命の危険に陥れてしまう。

 すべては自分と出会ってしまったせいで。

「君のせいじゃない」と、優しく受け入れてくれた彼らが、消えてしまう。


「関わったら、ダメだったんだ。私のせいで、みんなが……」


 自分のせいだと責め続ける風花。太陽は静かに彼女を抱きしめて、その背中を擦った。














「……」


 泣きつかれて眠ってしまった風花。彼女の目元に残った雫をソッとぬぐって、太陽は部屋を出る。そして、静かな廊下を歩きながら董魔の魔法と意図について考えていた。


「董魔さんは幻覚魔法を得意としますから、姫はそれに惑わされたのでしょうね」


 先ほど風花が話してくれた董魔とのやり取り。恐らくほとんどが董魔の出現させた幻覚空間での出来事だろう。魔法を巧みに操って、風花の思考を読んでいるように見せかけた。そして、本人が術にかかったことすら理解できない程、その魔法の入り口は自然に紡がれる。


「どうしたらいいんでしょうか……」


 声と共にため息が漏れる。

 この事態を収束させるためには、どうすればいいのだろうか。董魔は攻撃魔法も多彩に扱うことが出来る。実際に戦うことになれば一筋縄ではいかない相手だ。

 彼の言う通り、ローブの少女を殺さなければ終わらないのだろうか。そもそもローブの少女は誰なのだろう。


「にゃん!」

「おや、みけさん?」


 悩み込んで歩いていると、いつの間にか目の前には夢の国の王タタンの使い魔である、みけの姿が。

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