第221の扉 止まらなかった感情の欠片
「寝ちゃってた」
しばらくして、風花がゆっくりと目を覚ました。太陽が運んでくれたのだろう、自室に居る。
今までの恐ろしい出来事が全て夢だったらいいのに。
そう小さく呟くも、城内は相変わらずの静けさ。その静寂が夢ではないことを物語っていた。
「嫌い……」
ポツリと呟きながら、彼の姿を思い浮かべてみる。
やっと自分の気持ちを知ることができ、感情と正直に向き合おうとしていたのに、こんなにも無理矢理な形で摘み取らなくてはいけないなんて。
風花は胸の奥がギュっと痛くなったが、このままでは死なせてしまう未来しか描けない。例え隣に居なくても、彼には生きていてほしいと思うから。風花は彼の顔を頭の中で描いては消して、必死に嫌いなのだと思い込む。
「あ……」
そんな中ふと机の上に目をむけると、そこには携帯電話が。開いてみると画面いっぱいに『相原翼』の文字。ずっと風花に電話をかけてくれていたらしい。着信履歴が全て彼で埋まっている。
彼の名前を見た瞬間、瞳が涙で濡れた。押し込めた感情たちが胸の中から溢れ出す。様々な感情たちの中で、一番早く飛び出したのは、
……会いたいな
もう一度会いたい、という純粋で真っ直ぐな気持ち。
「出てきたら、ダメ……」
風花は飛び出してくる感情たちを、心の奥底に無理やり押し込める。一つ、また一つ。しかし、仕舞い込む度に胸が苦しくて堪らない。少しでも気を抜いたら飛び立ってしまいそうだった。それでも必死にかき集めて、箱の中に入れていく。
しかし……
「うわっ!?」
着信を知らせる音楽が突然鳴り響き、風花は携帯を取り落としてしまった。そしてその拍子に通話ボタンが押される。
『あ! 桜木さん?』
響いたのは、いつもと同じ。優しくて、暖かい彼の声。
その声と共に、先ほど風花が必死に押し込めた感情の箱の扉が開く。胸の中で溢れて溢れて止まらない。風花は飛び出さないように、慌てて口を手で覆った。
『良かったぁ、やっと繋がった……』
余程心配してくれていたのだろう、翼の声は若干湿り気を帯びている。
あんなに一方的で強引な別れ方をしたのに。
理由も告げずに追い出して、扉を閉めてしまったのに。
今までたくさん貰った優しさも、強さも、思い出も……「ありがとう」すら言えなかった。そんな恩知らずな自分なのに。
『桜木さん?』
優しく自分の名前を呼んでくれる彼に、会いたくて仕方ない。風花の胸の中で、感情が渦を巻きだし、溢れだそうと勢いを増した。
相原くんに会いたい。いつものように笑いかけてほしい。触れてほしい。一緒に居てほしい。
会いたい、会いたい、会いたい。今すぐ会いたい。
会いに来て、会いに行きたい。
「っ……ダ、メ」
風花はまた感情を奥に押し込めようとする。しかし、一度勢いを持ってしまった感情の渦はなかなか止まってくれない。外へ出て行こうと喉のすぐそこまで来ている。
ダメ。絶対にダメ。会いたいなんて言ったらダメなんだ。
これ以上巻き込んだらダメ。
もう聞けないと思っていた彼の声を聞けた。それだけで十分なのではないだろうか。今日だけではない。出会ってから今まで、十分過ぎるほどの物を彼はくれた。
だから……
風花は一つ深呼吸をして通話終了ボタンへと手を伸ばす。
『そばに行ったらダメかな?』
しかし、風花の指が届くその前に、翼の声が響いた。優しいその声に、風花の胸がズキンと痛みだす。
『君が背負っている物を、僕にも少し分けてほしい』
「うぁ……」
彼の優しい言葉が、風花の押し込めた言葉たちを連れ出そうと誘った。風花は言葉が飛び出して行かないように、自分の口をギュっと押える。少しでも気を抜いたら飛び出してしまいそうだった。
『まださよならはしたくない』
「んぅ……」
『頼りないかもしれないけど、君のそばに居たい』
「っ……」
翼が言葉を伝える度に、風花から苦しそうな声が漏れる。
ダメダメダメ。絶対にダメ。
巻き込んだらダメ。返事をしたらダメ。
早く電話を切らないと。もし、あの言葉を言われたら、もう……
『桜木さん』
戻れなくなる。
ダメ、お願い。その先を言わないで。
『僕は君に会いたい』
「会い、たい……」
一言ポロリと風花の口を飛び出した。一度出始めた言葉は止まらない。風花が押し込めようとしていた言葉たちは止まってくれない。次々と風花の口から飛び出して、翼に届く。
「わた、しも、会いたい……」
『……うん』
「相原くんに、みんなに、会いたい」
『……うん』
「まだ、さよならしたくない」
『大丈夫、分かってるよ』
翼は風花の言葉を全て受け止めてくれた。優しく、温かく、包み込んでくれるように。どこまでも甘く、甘く、甘く……
「『桜木さん』」
心地よい彼の声。電話の声と重なって、すぐ側に感じた。驚いた風花が振り向くと……
「会いに来たよ」
そこには翼が。いつも通りの笑顔で立っている。
「……なん、で」
翼は扉魔法を使えない。彼は異界へと渡ってくる術を持たないはずなのに、どうやってここに来たのだろう。
「ねぇ、桜木さん」
風花が混乱していると、翼は優しく彼女の名前を呼び、一歩その歩みを進めた。突然の彼の行動に風花はビクッと身構えたが、その足はすぐに止まる。
「神崎さんが言ってたよね? 『できる、できない』じゃなくて『したい、したくない』で動くべきだって」
「……」
「だから、僕は君に伝えたいことがある」
翼は瞳の優しい光をより一層温かく光らせると、また一歩風花へと歩みを進める。彼のその動作に、風花が身構えることはなかった。
「僕たちは君の力になりたい」
「……」
「僕たちは君を助けたい」
「……」
「君のことが大好きだから」
ニコリと微笑んで彼は手を差し出した。
「そばに居させて」
彼のその言葉と共に、風花の心の中に優しい風が吹く。そして、自然と彼の方へ手が伸びて、その温かい胸へと抱き着いた。
あぁ、もうダメだ。
私はこの人のことを嫌いになれない。どんなに努力しても、きっと好き以外の感情を抱けない。
死なせてしまうのに。生きていてほしいのに。
ごめんなさい……
「大好き」
止まらなかった感情の欠片が、涙と共に風花の口からポロッと零れ落ちた。
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