第219の扉  動き出した歯車

 風の国への扉を開くと、目の前に風花がペタンと座り込んでいた。


「桜木さん!」

「……っ、あぃ、はらくん」


 風花は歯をカタカタと鳴らしながら、か細い声で翼の名前を呼んだ。見た所怪我などは無さそうだが、ひどく苦しそう。冷たくなった手で駆け寄ってきた翼の服をギュッと握った。


「……はぁ、はぁ」

「ど、どうしたの?」

「姫様、落ち着いてください。過呼吸になりかけています。何か恐ろしい出来事でもあったのかもしれません」


 翼が戸惑っていると、風花の後ろに回り込んだ太陽が背中を撫でながら呟いている。彼の言う通り、風花の呼吸は荒く、表情もひどく怯えていた。彼女が消えてからのどれくらい経っているのだろう。余程恐ろしいことがあったに違いない。

 しかし、ここは風花の自国、風の国。王女である彼女がここまで怯える事態が起こるだろうか。


「?」


 翼は疑問を覚えて周りを見渡してみる。

 白い壁を基調とした広間。装飾が立派な大きな扉と、日の光が心地よく降り注いでいる窓。奥には王が座る場所だろうか、立派な椅子が鎮座している。

 一見おかしなところは見当たらない。整然とした王の間のように思える。しかし……


「静かすぎる」


 シンとした室内。ここは王宮、国のトップの場所である。王女である風花がここまで取り乱している事態が発生しているのに、兵士一人の姿さえも見つからない。それどころか、物音一つ聞こえない。不気味なほどの静寂だった。


「敵が潜んでいるかもしれません。私は城の中を見て参ります。姫のことをお頼みしてもよろしいでしょうか」

「うん、気をつけて」

「神崎、俺たちも行こう」

「はい」


 剣をすぐに抜けるように手をかけた太陽が、緊張の面持ちで広間から出ていく。それに続いて、優一とうららも出て行った。しかし、彼らの背中が遠ざかるにつれて、風花の様子が変化し始める。


「なる、せくん……うらら、ちゃん、あ、あぁっ」

「どうしたの、桜木さん。大丈夫、きっとすぐに戻ってくるよ」

「……たぃ、よぅ。んぅ、たい、ょう。つきぃ……どこ?」

「ちゃんと帰ってくるから安心して」


 風花はひどく不安なのだろう。ポロポロと涙を流しながら、全員の名前を繰り返している。翼はそんな彼女が少しでも安心できるように、すすり泣く背中をずっと擦っていた。しかし……


「みんな、がぁ、怪我して、……血、血がたくさん出てぇ」

「ん? 大丈夫だよ、怪我してない。みんな無事だよ」

「わ、たし……の、せいで……」

「桜木さんは何も悪いことしてないよ。心配しなくていいからね」

「違うの。私は、なにも、んぅ、できなくて……私の、せいでっ」


 風花は息が苦しいにも関わらず、言葉を紡ぐことをやめてくれない。涙を流しながら、次第に息も更にか細くなっていく。


「ま、まもれなくて……みんながぁ、し、し……」

「誰も怪我してないよ? ちゃんと居るから、安心して」

「で、でも、わた、しが……わたしが、守れない、せいで、あ、あぁあ」


 ひゅうひゅう、と細い呼吸が部屋に響く。翼が必死に宥めるも、風花はパニック状態。まともに話を聞いてくれそうにない。どうしたら彼女を落ち着けることができるだろうか。











「桜木さん」


 翼は少し考えた後、彼女の名前を優しく囁き、震える身体を抱きしめる。そして、風花の耳を自分の胸に押し付けた。


「聞こえるかな、僕の心臓の音。トクン、トクンって動いてるよ。ちゃんと生きてる、温かいでしょ?」

「あ、ぁ、……ん」

「大丈夫だよ、心配しないで。だから、桜木さんの苦しいの取ろうね、ゆっくり息してみようか」


 翼は風花を安心させるように声をかけ続け、息をしやすいように呼吸のペースで背中を擦った。そして風花の身体を抱きしめたまま、ゆりかごのように身体をユラユラと揺らす。


「あぃ、はら、く……はぁ……ふぅ」

「上手だね、そのままゆっくり息してね」


 最初はひゅうひゅう、と言っていた呼吸だが、次第に落ち着いてくる。そして震えも収まった。






______________








「あ、お帰りなさい」


 風花が落ち着き、翼の腕の中でうとうとしていた頃、太陽たち偵察部隊が戻ってきた。


「ただいま戻りました」

「どうだった?」

「何者かの襲撃のようで、王、王妃を始めとして城内に居る者全員眠っておりました。まだ調べてはいませんが、もしかすると国中の人が眠っているかもしれません」


 太陽から語られた事実で、翼たちを取り巻く静寂の意味が分かった。うるさいくらいの静寂。国中の人たちが眠りについているのなら、納得がいく。


「とりあえず敵が潜んでいることはなさそうなのですが、……姫様、何があったのかお話いただくことは可能でしょうか?」

「……」


 太陽が優しく微笑みかけながら、翼の腕の中にいる風花に話しかける。精神状態が不安定な風花に説明させるのは苦かもしれないが、敵の形跡が一切なく、謎が多すぎた。


「……」


 一同が不安げな瞳で風花のことを見つめる中、ゆっくりと息を吸って口を開く。ほんの一瞬、彼女が泣き出してしまいそうな顔をしたのは気のせいだろうか。


「扉を……開いて」


 風花はか細い声でそう言うと太陽に縋る。また何か思い出してしまったのだろうか、顔が苦し気に歪んでいた。

 この場所で説明させるのは苦痛があまりにも大きすぎるのかもしれない。太陽は腕を一振りして家へと続く扉を出現させた。


「あれ? どうしたの?」

「……」


 しかし、うらら、優一、翼と順に扉をくぐり、残りは風花と太陽のみとなった時、風花の歩みがピタリと止まった。そして、開いている扉に手をかけて……


「……さよなら」


 パタンと静かに扉を閉じた。


「は?」

「どういうことですの?」


 追い出された形になってしまった三人。混乱の声が家の中にこだまする。更に風花が閉めた数分後、扉はその姿を消してしまった。


「どうすんだよ、太陽しか扉魔法使えないんだぞ」


 優一がイライラしながら呟いている。

 異世界を自由に行き来できる扉魔法。彼らの中では太陽しか使えない。そんな彼も今は声の届かない風の国にいる。どういうことなのか説明をしてほしくても、勝手にこんなことをした苛立ちも、彼らには届かない。


「桜木さん……」


 扉を閉じた時の彼女の表情が翼の頭から離れない。今までに見たことのない位悲し気で、何かに怯えている表情をしていた。






______________








「姫様、どうされたのです? なぜ、扉を……」


 一方、風の国。太陽も翼たちと同様、風花のいきなりの行動に驚きを隠せない。彼女は何を考えているのだろう。


「いやだ」

「?」

「太陽、嫌い。向こうに行って」

「いきなり、なにを」

「嫌なの、大嫌い。太陽も月も、他のみんなも。みんなみんな大嫌い!」


 風花は頭をブンブンと振って、「嫌い」と連呼し始めた。先ほどまで落ち着いていたのが嘘のような変わり様。


「どうしてそんなことを申されるのです!? 何があったのですか?」

「いやだ! 嫌なの!」


 太陽は暴れる風花を宥めようと、強引に腕の中に引き込んで声をかける。しかし風花は止まってくれない。太陽の腕を振りほどこうと、ジタバタとし続けていた。


「みんな嫌い。私、ちゃんと嫌いになるから」


 次第に声が湿って、頬を涙で濡らした。彼女のその声は何か切羽詰まっているような、苦し気な感情を滲ませている。


「だから……お願いっ」


 そして、その苦し気な声音のまま、風花は縋り付いて懇願した。
















「殺さないで」

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