第217の扉  おやすみとおはよう

「こんの馬鹿! 朝から変なことに巻き込むな!」

「痛い! ごめんごめん、ちょっと気が動転しててさ」


 教室での翼優一カップル説が無事に否定された頃、優一が恨みがましく翼の頭をポカリと叩いた。気が動転していたにしても、「黙って僕に抱かれてよ」などと教室の真ん中で叫んではいけない。


「ほんとにごめんね。もうあんなことしないから」

「当たり前だ、あんなことが二回もあってたまるか」

「誠に申し訳ない……ん?」


 激オコな優一に対して陳謝していた翼だが、ふと窓の外を見てみると、一葉を抱っこして振り回している彬人の姿が目に入った。


「あぁ、やっとか」


 翼の視線に合わせて優一も窓の外に目を向けると、仲睦まじい二人の姿を発見。外野から見ると、何故に付き合っていないのかと言いたくなる距離感の二人だったのだが、ようやく恋の花が実ったようだ。


「良かったね、楽しそう」


 一葉たちを眺める翼は、二人を祝福するように穏やかな笑顔を浮かべている。しかし、一瞬その瞳の奥に寂し気な感情が見えた気がするのは気のせいだろうか。


「……」


 自分は彼のために何かできるだろうか、と優一は考える。

 風花との恋路。応援したい気持ちはあるのだが、背中を押していいのか分からない。翼が心を決めているのなら、外野が騒がしくするのは苦痛になるかもしれない。しかし、本当にこのままでいいのだろうか。


「はぁ……」


 優一は静かに一人ため息を零す。






______________





 魔界、京也の自室。


「本当にお一人で行かれるのですか?」

「あぁ」


 身支度を整える京也の背中に紅刃が話しかける。紅刃の他にも、たける、消助、さとりの魔界四天王が勢ぞろいしていた。異様な緊張感が部屋に充満している。


「しかし……」

「大丈夫、俺が会いに行くのは父さんなんだ。魔界の王様とかそんなの全部ナシにして、ただの父親、黒田董魔に会いに行く」


 心配そうに見つめる紅刃の瞳に、京也は笑顔を返す。


「だから、一人で大丈夫」


 しかし、そういう彼の手は微かに震えているように見えた。

 無理もないだろう。言葉ではああ言うものの、相手は魔界の王様、黒田董魔。亡き黒田まどかの敵として、京也のことを憎んでいるかもしれないのだ。怖くないはずがない。


「今まであまり言葉を交わすことができていなかった。だから、話せば何かが変わると思うんだ、きっと」


 それでも京也はニコリと笑う。そして、一つ息を吐いて、心を落ち着けると、父親の待つ王の間の扉を開けた。






______________








「失礼します」


 ギィっと重々しい音を響かせて扉が開く。部屋の中央にはどっしりと腰をかけている董魔の姿が。


「京也か、どうした? お前にはしずくを取ってくるように、言ってあったはずだが?」


 京也の入室に気がつき、董魔が顔を上げた。鋭い漆黒のその瞳が京也を捕らえて離さない。

 京也は息が詰まるのを感じたが、ゆっくりと心を落ち着けて、父親へと言葉を返す。


「嫌、です」

「何だと?」

「しずくを、奪いたくありません」

「ほぅ……私の命令に背くか」


 董魔にとっては嫌な返答のはずなのに、彼は嬉しそうににっこりと笑った。その感情と表情の違いに、背筋に嫌な汗が流れ落ちる。

 しかし、京也は真っ直ぐに父親を見つめて、口を開いた。


「父様、俺は聞きたいことがあるんです。あなたに聞きたいことが、たくさん」


 京也はグッと拳に力を込めて、董魔との距離を一歩進める。

 どうして心のしずくを狙うのか。

 どうしてこんなに苦しい命令を出してくるのか。

 どうして、どうして、どうして……

 聞きたいことがある。たくさんある。だけど……



「父さんは、俺のことが嫌いですか?」



 一番欲しい答えは、父親が自分のことを憎んでいるのか、という問い。

 今まで何の意味も持たないと思っていた命令の数々。「京也を苦しめるため」と、解を用意するのなら、彼らは一本の線に繋がる。


「あの時、母さんではなくて、俺が死んでいれば良かった。そう思っていますか?」


 もし自分が死んでいれば、今とは違う景色が描かれていただろう。

 たどり着いてしまった結論。そうであって欲しくないと願いながらも、それ以外の答えが見つからない。


「……」


 京也が息を呑んで答えを待つも、董魔は顔色一つ変えず、ただ京也を見ているだけ。

 京也の母親、黒田まどか。10年前、刺されそうになった京也を庇って、他界した。優しい母、大好きな母。そして、董魔にとっては愛する妻。

 京也は自責の念に駆られる日々を送ってきたが、董魔の瞳にこの事件はどう映っていたのだろう。





















「お前が死ねば良かった、と思ったことは一度もない」


 長い沈黙の後、董魔は答えをくれた。彼の言葉を聞き、京也が込めていた力が一気に抜ける。


「まどかのことは残念だが、お前が無事で良かったと思った。大好きな息子だから」


 董魔は淡々と言葉を紡いでくれる。しかし、命令を下す時の声音に比べて、今はほんの少しだけ柔らかいような気がした。

 京也はこみ上げてくる物をグッと飲み込んで、質問の続きを投げかける。


「……愛梨のことは、どうですか? 好きですか?」

「好きだよ。あの子は最近ますます、まどかに似てきたな」


 亡き妻の形を懐かしむように、目を細める董魔。彼のくれた言葉たちは、とても真っすぐで、嘘は一欠片もないように思える。

 しかし好いてくれているのなら、どうして京也が嫌がるような命令を出すのだろう。どうして、愛梨のことを異界に捨てたのだろう。

 彼が『好き』と言ってくれた言葉と、今までの行動がチグハグでひどく頭が痛い。


 どうして……

 なぜ……

 分からない。

 問いかけようと口を開くのに、言の葉は音にはならず、泡沫うたかたのように消えていく。


「っ……」

「どうした京也? 顔色が悪いようだが?」

「いえ、……何でも、ありません」


 董魔は頭を押さえている京也を心配そうな瞳で見つめる。その瞳は、幼い頃熱を出した自分に向けてくれたのと同じ物。温かくて、優しくて、心強くて、大好きな父の瞳。なのに……


「な、んで」


 なぜだろう、大好きなその瞳の奥深くに、ドロドロとした不気味な黒い物が漂って見えるのは。


「……っ」


 不気味なソレと目が合い、京也の頭痛は激しさを増した。立っていることもままならずしゃがみこんでしまう。


「少し休んだ方がいい。疲れているんだろう」


 倒れ込んだ京也の身体を董魔が優しく支えてくれた。

 その優しさ、笑顔はとても嬉しいのに、素直に喜べない。董魔が身体に触れる度に、徐々に意識が白んでいく。


「っ……父さんは」


 まだ聞きたいことがある。教えてほしいことがある。なのに、意識を保っていられない。それでも最後の力を振り絞って、京也は言葉を紡ぐ。



「俺たちのこと、を、……愛して、ますか?」



 きちんと発声できただろうか。届いただろうか。今の京也にはそれすら分からない。


「あい……、て……よ」


 しかし、声は届いたのだろう。董魔が笑顔で何か答えてくれた。だが、良く聞こえない。もう一度教えてほしいのに、口はもう動かない。京也はそのまま意識を飛ばした。












「お休み、京也。良い夢を」


 董魔は眠ってしまった京也を椅子にもたれかけさせ、自分の上着をソッとかける。そして、京也の頭を愛おしそうに数回撫でた。


「好きだよ、大好きだとも。お前も愛梨も、そして……あの子たちのことだってね」


 董魔は眠っている京也を見つめて、うっとりと呟いた。その横顔からは、何か猟奇的な歪んだ愛情を感じる。


「これからもっと好きになるだろう」


 コンコンコン。

 董魔がふぅっと息を吐いたと同時に、部屋の扉が心地よい音を奏でて叩かれた。そして、ゆっくりとその扉が開き、一人の人物が現れる。


「やぁ、おはよう。君が目覚めるのを待っていたよ」


 董魔はその人物を笑顔で招き入れた。

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