第186の扉  憎しみの矛先

 風花が心を失った原因である、風の国と魔界の戦争。通称聖魔せいま対戦。両国に多大な犠牲をもたらし、戦いは終結。

 これは、そんな戦争から一カ月ほど経った頃のお話。


「ちょっと、月! 散らかさないでください」

「あ……ごめん、ごめん。手が滑っちゃってさ」


 風の国にある、とある一軒家。現在、月が盛大にクッキーを散らばしたところである。太陽にブツクサと文句を言われながらも、月がせっせとクッキーを拾い始めた。


「ちゃんと掃除機かけてくださいよ」

「へいへい」


 太陽と月はこの家で一人暮らし。かつてここにはあと二人、彼らの両親の姿があった。しかし、もう二人はこの世にいない。聖魔対戦で戦死している。


「よっし、終わった!」

「まだです、向こうの方に散らばってます」

「ありゃ?」


 少しずつだが、二人だけでの生活にも慣れてきた。そんな中……


 パリーン!


「え……」


 ガラスが割れる嫌な音が響き渡った。見ると、リビングの窓を突き破って、石が投げ込まれている。


「またか……」


 月が悲しそうに顔を歪めて、投げ込まれた石を眺めた。


 聖魔対戦が終息してからというもの、太陽たちのような混合の人に対する嫌がらせが頻発している。

 家族や友人、愛する人を殺した魔界。加えて、自国の姫、風花の心を砕いた戦争。風の国の国民は戦争を仕掛けてきた魔界に強い負の感情を抱いた。

 そして、その感情の矛先は魔界の血が混じっている混合の人たちへ。


「太陽ごめんな、俺が居るからだよな」

「何を言うのですか! 悪いのは月ではなくて、嫌がらせをしてくる方たちですよ!」


 魔の魔力を持つ側の人格が、奥深くに隠れていても、気が立っている風の国の人達は目ざとくその魔力を感知し、攻撃してくる。街を歩くだけでも、攻撃的な視線を向けられた。


「風花たちのことも何とかしないといけないのに、こんなに攻撃的だと動きようがない……」

「時が経つのを待ちましょう。いずれ憎しみの感情も落ち着くでしょう」

「ごめんな、俺が足を引っ張る」

「ですから、あなたは何も悪いことしてないんですよ! 謝らないでください」


 月が自責の念にかられる中、人格が太陽とチェンジ。身体から白い物が吹き出して、目がくりっとした目元に変わった。


「さて、月は掃除が苦手ですから私が片付けます! あなたはゆっくりしててくださいね!」

「……ありがと」


 太陽が箒を手にして、明るく宣言してくれる。月は彼の心遣いと優しさに、ほんの少し元気を取り戻した。


「?」


 しかし、二人の仲睦まじい会話を遮るように、割れた窓ガラスからコロンと小さな物体が。そして次の瞬間……


 ドカーン!


 けたたましい音を響かせて、爆発。家が木っ端微塵に弾け飛び、至るところから炎が上がる。












「ケホッ、コホッ」


 散らばる瓦礫の中、間一髪で爆発の直撃を逃れることができた太陽。腕や足に多少怪我を負ったものの、何とか動けそう。煙を吸い込まないように姿勢を低くしながら、燃え盛る家から脱出した。


「あはは、仕留めたか?」

「この炎だから、間違いなく消し炭になっているだろうよ」


 脱出する途中、ひどく不快な声が耳に届いた。そちらの方へ目をやると、燃えている家を見ながら、ニヤニヤと笑っている。

 人が死んでいたかもしれないのに、どうして笑えるのだろう。亡き両親との思い出が残った家を燃やして、何が楽しいのだろう。

 この光景を前にして、笑える彼らの感情が理解できなかった。







 _______________







「それから、国全体で狩りが激化していった」


 毎日のように国のどこかで爆発音が響き渡る。その度に、何かが壊れ、悲鳴が上がり、どこかで誰かが死んでいく。

 国民全体が混合の人たちを狩ることに必死になっていた。


「何もせず国に居れば、殺されていたかもしれない。だから、太陽の魔力で俺の魔力を包み込んで封印してもらったんだ。俺の存在がバレないように」


 太陽の奥深くに沈み込むことで、外部から月の魔力を感知することができなくなった。こうして初めて、太陽は普通の生活を取り戻すことができた。


「他の人たちは王が国外に手引きしてくれた」


 混合狩りが激化する中、国王である風馬の働きかけで、国内に残っていた混合の人たちを保護。隣国に協力を要請し、国外で安全に暮らせるように手引きしてくれた。


『必ずあなたたちにとっても、住みやすい国になるよう約束する』


 風馬は混合の人たちに謝罪と約束をした。いつか必ず、と。

 誰も虐げられない、明るい未来を作り上げる、と。

 だからその時には、もう一度この国へ、と。


「王様が約束してくれた『いつかのその日まで』、俺たちは待つって決めたんだ」


 一度花開いてしまった憎しみの感情は、そう簡単には消えない。月が生きているという事実が知られれば、太陽たちは再び命を狙われるだろう。だから彼はずっと封印していた。王が約束してくれた、いつかのその日を夢見て。









「そんなことが……」


 翼たちは語られた残酷な出来事に言葉を失う。

 風花のいる風の国。京也のいる魔界。この二つの国に確執があるのは知っていたが、これほどの物なのか。幼い少年を殺さなくてはいけないほどのことだったのか。

 混合の人たちは一体何人が殺されたのか。


「はい、チーンしてください」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃの風花の顔を、本日二度目で整える。風花はずっと太陽の服を握って離そうとしない。

 残酷すぎる事実。でも風花がいつか知ってしまう現実。太陽が隠したかったのはこのことだろう。

 風花はいつも国民のことが大好きで、温かくて優しい人たちだと話してくれていた。そんな彼らの残酷すぎる冷酷な一面。優しい少女には辛すぎる。

 彼女は、今、何を思っているのだろう。翼たちが心配の視線を向ける中、風花が口を開いた。


「……太陽、月」

「はい」

「私、風の国に帰る」

「姫様……」


 風花の言葉に太陽の顔が歪む。風花は太陽の瞳をまっすぐ見つめて、話を進めた。


「みんなに説明する。混合の人たちは何も悪いことをしてないって。もうやめようって、ちゃんと説明するから」


 風花の言葉に太陽はぐっと唇を噛む。彼女は今も渦巻いている憎しみの感情を消したいと願った。風の国の姫である風花の言葉は、国中に伝わるだろう。しかし……


「お気持ちだけ受け取らせていただきます」

「どう、して……」


 太陽は彼女の提案を却下。目を閉じて、感情を飲み込んだ後、いつもの優しい笑顔を風花に向ける。


「納得できない方が、多いのです」


 混合狩りが行われていることは、風の国の王である風馬も承知の事実。彼も説得を試みたが、結果は失敗。風の国にはいまだ魔界を恨む人物がたくさんいる。


「聖魔対戦は多くのものを奪いすぎました」


 大切な家族、友人。

 そして、生き残った人でも深手の重傷を負い、身体の一部を失った者。未来、夢を奪われた者。

 加えて、自国の姫である風花の心まで砕いていった。風の国の国民たちが魔界に対して強い嫌悪感、憎しみの感情を抱くことは仕方のないことかもしれない。


「憎むなと告げることの方が、酷でしょう」


 誰かを憎まなければ、自分が壊れてしまう。憎い、憎い、憎い。すべてが憎い。自分から、自分たちから全てを奪っていった者たちが。

 そして、そんな彼らの前には混合の人々が。憎しみの矛先が彼らに向いてしまうことを誰も止められなかった。


「誰かを憎まねば、前に進めぬ方もいるのです」


 もちろん、その行為は許されることではない。許してはいけない。憎しみは憎しみしか生まないのだから。それでも止まれない。憎まずにはいられなかった。


「太、陽」


 太陽の言葉を聞いて再び大量の涙が、風花の頬を伝う。

 風花が行動しても、状況は変わらない、変えられない。彼女が何を伝えても、憎しみの中に居る風の国の人達には届かない。失われた命、夢、未来は何一つ戻ることはない。


「なんで、今まで秘密に……記憶を隠さなくても……」

「俺が太陽に頼んだんだ、風花から隠してくれって。自分のことだけでも、精いっぱいなお前に、これ以上負担をかけたくなかった」


 太陽と交代した月が優しく微笑みながら、言葉を紡ぐ。

 風花がこの事実を知れば、心を痛めることは分かっていた。それなら黙っていようと彼らは考えたのだ。風花に必要以上の負担をかける必要はないと。


「負担だなんて、そんなこと……」


 風花はポロポロと涙を流す。彼女の涙は次から次へと溢れて止まらない。それを見て、月が彼女の頬の涙を指で優しくすくった。


「これはお前の痛みじゃない。だからそんな顔すんな」


 風花は優しすぎるのだ。他人の痛みまでも自分の物のように感じ、悲しんで涙を流してくれる。しかし、それでは彼女自身が壊れてしまうだろう。


「月、つき……」


 月は泣きじゃくる風花を抱きしめ、優しく包み込む。


 これが風花に内緒にしたかったこと。風花が心を砕かれ、記憶を失ったことを利用して、月の存在を思い出さないように、国民たちの裏の側面を思い出さないように、魔法をかけた。


 風花が月を知る時は、風の国の国民から憎しみの感情が消えた時。王が約束してくれた『いつか』のその未来の日まで、隠し通そうとしていたのだろう。彼女がそれまで笑っていられるように……

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