第178の扉  その色の意味

「午後からね、相原くんが一緒に回ってくれるんだって」

「そうなのですか。楽しみですね」

「太陽も一緒に行こうね」


 風花が接客そっちのけで太陽と話し込んでしまっている。教室内の客が少し落ち着いて、暇なのだ。風花がサボっている訳では決してない。

 カフェの営業は午前と午後の交代制。午前にシフトに入っているメンバーは午後から自由行動である。


「んふふ♪」


 そして翼の名前が出た瞬間、風花から音符が噴き出した。午後からのことが楽しみなのだろう。

 彼女はまだ恋を自覚できないものの、恋する少女。気になる異性との文化祭巡りは、楽しみなようだ。これは何とかして、翼と風花が二人きりになる場面を作ってあげたい。


「あ、の、やめてください」


 風花と太陽がのほほんとしていると、教室の奥の席で何やら不穏な空気。その中心地に居るのは接客をしていた愛梨と、一人の男性客。20代後半くらいだろうか。男は愛梨の手を掴んで離そうとしない。


「いいでしょ、もうほとんどお客さんいないじゃん」

「こ、困ります」

「そんなこと言わずに」


 愛梨の手を掴んで、無理矢理教室の外へと連れていこうとする客。愛梨は抵抗するのだが、相手は自分より年上の男性。その力には到底敵わない。ずるずると外へと引っ張られていく。


「あの」

「あ?」


 しかし、愛梨が連れ出されそうになった時に、男性客の前に風花が立ちはだかった。彼女は先ほどまで太陽の近くに居たのに、いつの間にあんなところに行ったのだろうか。


「お友達が心配なのかな? 君も一緒に行こうか」


 太陽が驚いてフリーズしていると、男性は気持ち悪い笑顔を風花にも向け始める。そして、風花までも連れていこうと手を伸ばした。


「遠慮させていただきます」


 風花は男性をふわりと交わし、愛梨が掴まれていた手を弾いた。流石は身体能力の高い風花。そのまま愛梨を連れて、教室の奥の控室に行こうと歩き出す。

 二人とも連れ去られてしまうかと思ったが、何事もなく無事に過ぎ去りそう。太陽が安心して息を吐きだしていると……


「調子に乗るなよ、このガキ!」

「うわ!」


 逆上した男性が風花を思いっきり突き飛ばす。体格差のある男性の一撃は中学二年生の少女には強すぎた。風花は勢いよく吹き飛ばされ、鈍い音ともに壁にぶつかる。


「風花ちゃん!」


 愛梨が駆け寄り、呼びかけるも風花は全く反応を返してくれない。衝撃で意識が飛んだようだ。ぐったりとしたまま、愛梨に抱きかかえられている。


「桜木さん!」

「風ちゃん!」


 愛梨の叫び声を聞いて、翼と美羽が異変に気がついた。そして美羽がぐいっと男性客に詰め寄る。


「ちょっと、あんた!」

「俺は少し押しただけだろう。そいつが勝手に転んだんだ」


 二人の間で言い争いが繰り広げられ、教室全体にピリピリと空気が走った。


「太陽、桜木の治療を……は?」


 そんな中、優一が太陽に治療を頼もうとしたのだが、彼の姿を見て固まる。

 太陽の白色の髪が真っ黒に染まり、身体中に黒い物を纏っていたのだ。そしてそこからは太陽とは別の魔力を感じる。とても禍々しく、まるで京也がそこに居るような錯覚さえ覚えた。


「うそ、だろ」


 優一の混乱が続く中、太陽からブワッと黒い煙のような物が噴き出した。息が詰まるような不気味なソレは、瞬く間に教室中にいきわたる。その煙に包まれた瞬間、クラスメイトや客が気を失ってバタバタと倒れた。教室内で意識を保っているのは、翼、美羽、愛梨、優一の4人のみ。


「え、なに?」

「太陽、くん?」


 翼と美羽が戸惑いの声をあげているが、事態を理解できる人物は一人もいない。彼の身に何が起こっているのだろう。


「死ね」

「ぐっ」


 全員が固まる中、太陽は風花を突き飛ばした男性の元へ。首を掴み持ち上げて、容赦なく手に力を込め始めた。男性から苦しそうなうめき声が漏れるも、彼は腕の力を緩めない。ギロリと鋭い目線で男性を睨みつけている。


「ちょっと太陽くん!」

「おい、やりすぎ!」


 彼の行動に翼が叫び、優一が慌てて止めに入る。太陽の腕を引きはがそうと掴むのだが、彼は力を緩めてくれない。そして、徐々に男性の顔が青くなり、本格的に呼吸が止まり始めてしまった。


「本当に死ぬって!」

「邪魔」

「!?」


 太陽の口から今までに聞いたことのないくらいの低い声が飛び出す。声を発しただけなのに、心臓を掴まれているかのような恐怖が優一を襲った。そして……


「!?」

「優一くん!」


 バンッという鈍い音と共に、優一の身体が吹き飛ばされる。太陽が一瞬で優一の腹に拳を入れ、吹き飛ばしたらしい。彼は教室の端まで飛ばされて行き、頭を打ち付けて気絶した。


「太陽、くん……?」


 普段の太陽とはあまりにも違いすぎる雰囲気、言動。太陽の身に一体何が起こっているのだろうか。


「う、ぁ……」


 翼が考えている間にも太陽は男性の首を絞め続けている。このままでは本当に男性の命が消えてしまうだろう。


「どうしたら……」


 翼の背中に嫌な汗が流れ落ちる。今の太陽に自分たちの声は届かないだろう。彼を唯一止められるであろう風花は、依然意識が戻らない。愛梨が呼びかけているが、反応が返ってこないのだ。

 魔法で攻撃してでも止めなくてはいけないが、自分の実力で本気の太陽を止められるのだろうか。

 彼はかなり強い。普段は戦闘に加わることはあまりないが、その剣の腕前はピカイチ。そして、魔法を使わずに優一を吹き飛ばした。彼は身体能力もかなり高い。迂闊に近づけば、翼も優一の二の舞になってしまうだろう。


「え、何?」


 翼が太陽を倒す算段を考え込んでいると、愛梨の後ろに真っ黒な禍々しい扉が出現。太陽の変化に引き続き、何が起こっているのだろう、と混乱していると、その扉がゆっくりと開く。そして


「はぁ、何この状況?」


 中からはめんどくさそうに欠伸をしている京也が。状況を理解できない彼が辺りを見回すと、そこはまさに地獄絵図。倒れて意識を飛ばしている風花と優一。今にも泣きだしそうな翼と美羽と愛梨。真っ黒な雰囲気を漂わせる太陽。


「なるほどね」


 京也は地獄絵図を見て何かを理解したようだ。彼はおもむろに太陽の方へ歩みを進めていく。太陽は依然風花を突き飛ばした男性の首を締めあげており、男性は口から泡を吹きだしていた。


「もうやめとけ、そいつ死ぬぞ」

「あ?」


 京也の声に太陽が反応を示すも、相変わらず低い声と乱暴な口調。普段の彼からは全く想像ができない。


「何だよ京也、邪魔」


 その言葉と共に太陽は鋭い殺気を京也に放った。京也は涼しい顔をして対峙しているが、彼から距離を取っている翼たちの元にも殺気が届く。冷たく突き刺すような残酷な殺気。息がつまり、汗が滴り落ちる。すぐ近くでその威圧を受けている京也には、凄まじい殺気が届いているのだろう。


「全く、世話が焼ける」


 しかし、相変わらず京也はめんどくさそう。だるそうに頭を掻きながら、距離を詰め……


 ドカンッ


 太陽のお腹に拳を入れた。その衝撃で彼は教室の奥の壁まで飛んでいき、鈍い音と共に気絶。そして、辺りを包み込んでいた黒色の煙が消え、彼の黒い姿もいつもの白色の姿に戻った。


「何が、起きたの……」


 取り残された翼と美羽と愛梨。今の一瞬で何が起こったのだろうか。翼たちがポカンと眺めている中、京也はまた欠伸をし、真っ黒な扉の中に消えていった。
























「大変申し訳ありませんでした」

「いや、いいよ、そこまでしなくて」


 苦笑いの優一の前には土下座をする太陽が。京也が立ち去ってからすぐにクラスメイト、客は復活。何事もなかったかのように、カフェの営業が再開された。

 気絶していた優一、風花、太陽の三人もほどなくして復活。そして今、翼から事情を聞いた太陽が、顔を真っ青にして優一に土下座をしている所である。


「誠に申し訳ございません」

「いいから、頭上げろって」


 さっきから優一は許しているのだが、太陽の謝罪が止まらない。一時意識を飛ばしたものの、特に怪我もなく元気なのでこれ以上謝罪してもらっても困るのである。


「事情はまだ無理か?」

「……申し訳ありません」

「ん、いいよ」


 太陽の返答に優一は小さくため息をつく。今回の彼の変化。太陽の隠し事に関する物だろう。

 太陽は風花の心の器に魔法をかけて、封印している記憶がある。以前、話してくれるように促したものの、いまだ話してくれていない。彼なりにいろいろ考えることがあるのだろう。


「とりあえず、翼と横山には口裏合わせてもらってるから、桜木に伝わることはないと思う」

「ありがとうございます」

「ほら、折角の文化祭だ。楽しんで来い」


 優一はいつまでも頭を下げ続ける太陽の頭を無理やり上げさせる。今日は文化祭。少しのトラブルはあったものの、彼にもきちんと楽しんでほしい。


「太陽! 相原くんが案内してくれるんだって!」


 優一が宥めていると、遠くから風花の元気な声が届いた。彼女は完全に復活しており、頭の上にまたアホ毛が生えている。


「桜木が呼んでるぞ。行ってこい」

「……ありがとうございます」


 まだ何か言いたげな太陽だが、優一が強制的に背中を押してしまうので、風花の元へと向かった。翼と風花の三人でこれから出店を回るようだ。


「楽しみなの!」


 アホ毛をぴょこぴょこ揺らしながら、風花は本当に楽しそう。そんな彼女の隣では翼がモザイク寸前である。


「行ってらっしゃい……」


 そんな楽しそうな三人に笑顔で手を振る優一。しかし、彼らの姿が見えなくなると同時に顔が曇った。今彼は何を思っているのだろう。

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