第128の扉 冷たい風
「くっそ」
優一が苦しそうに悪態をつく。目の前の敵を倒せる気がしない。敵はキリ一人。こちらは翼、優一、彬人の三人がかり。それにも関わらず、全くダメージを負わせている気がしない。
「早く桜木さんたちの所に行かないと……」
三人の心に焦りが混じる。ここは敵のアジト。キリの他にもインセクト族がいるだろう。彼女たちの身が危ないのだ。一刻も早く向かわなくてはいけない。
「んー、殺すのはもったいないかな。でもなー」
一方、目の前のキリは余裕の表情。こちらの攻撃を軽々と弾き、翼たちを値踏みするような視線を向けている。人を商品としてしか見ないようだ。その態度にはますます腹が立つ。
「
「おおっと、危ないなー」
余裕の表情を見せ続けるキリに、翼が拳を叩き込もうとするも、彼はひらりと身を翻し、避けていく。圧倒的な戦力差。このままではこちらの魔力が尽きてしまう。どうしたらいいのだろうか。考え込んでいると……
「!?」
重く冷たい風が彼らの元に届く。息ができない、心臓が握られているかのような、死の恐怖を感じた。
「ん、これはちょっとマズいかな……」
キリも殺気を感じたようで、翼たちに背を向けて走り去ってしまった。
「ふ、俺たちに恐れをなしたようだ」
「違うだろ、追うぞ! あいつの向かった方には桜木たちが居る」
いきなりのキリの行動に状況が理解できなかったが、何だか嫌な予感がする。三人は急いで、彼を追った。
―――――――――――――――
「は?」
太陽に注射器が刺さる寸前の所で、冷たい風がクワを射抜いた。気配を感じて、振り返ると……
「おい、どうしてお前が」
そこには先ほどまで気絶していたはずの風花が、冷たい風を体に纏わせて立っていた。彼女の白い髪が不気味に揺れている。
風花は薬により意識を奪われていたはず。薬の効果が切れるにしては早すぎる。状況を理解できず驚いていると、風花の瞳がクワを捕らえた。そして
「ぐはっ!」
苦しそうな声と共に、クワが口からドバっと血を吐き出す。
「なん、で……」
その腹部に風穴を開けながら、ドサッと、倒れ込んだ。彼の周りに血溜まりが出来上がる。
「ひ、めさま?」
「……」
クワの手から解放された太陽が尋ねるも、風花は答えない。手は真っ赤に染まっていた。彼女がクワの腹部に穴をあけたのだ。
風花の瞳には普段の優しい光は見つけられない。何も映していない虚ろな瞳。身体を切り付けられるような冷たい風。ピリピリとした威圧感。
「バーサーカー?」
太陽がポツリと呟く。恐れていた事態が起こってしまった。
先ほど風花はリミッター解除をしようとした途中で、気絶させられている。おそらく制御機構が狂い、最大限まで振り切った状態で今、目覚めたのだろう。
「……」
風花は太陽の声に反応しない。倒れて血を吹きだしているクワをその瞳に捕らえていた。そして、ゆっくりと彼の元へ歩みを進める。
「あーあ、もう」
混乱している現場へキリが登場。急いでクワへと駆け寄り、抱きかかえた。彼はもう虫の息。キリにもたれてぐったりとしている。
「桜木、さん?」
遅れてやってきた翼たちが彼女に呼びかけるも、風花は全く反応を示さない。彼女の瞳は目の前のクワとキリしか映していない。
「これはマズイねぇ」
クワを庇いながら風花に短剣を向けるキリだが、彼のその手は震えていた。風花が放つ殺気、威圧感が凄まじいのだ。
風花はそんな彼に構わず、ゆっくりとキリたちの方に手を向ける。その行為に太陽の顔が真っ青になった。
「皆さん、シールド展開してください! 姫に誰も殺させないで!」
「
太陽の叫び声と共に、風花が呪文を唱える。辺り一面を凄まじい風が包み込み、屋敷の壁が砕けていった。その衝撃波が止んだ時、屋敷は跡形もなく塵となっていた。
「ゲホッ、ゴホッ」
口から大量に吐血しながら、キリが崩れ落ちる。優一と彬人が彼らを守るためにシールドを展開していたが、あっけなく消し飛んでしまった。彼らの真っ赤な血液が流れていく。
「どうなってんだよ……」
優一が戸惑いの声を漏らす。風花が発生させた風爆発で屋敷は崩壊。翼の展開したシールドにより、ハナカラ族と彼らは何とか無事。数名瓦礫に埋もれたが、今救助中である。
「桜木さん……?」
風花の攻撃でキリもクワも戦闘不能、屋敷も崩壊。美羽たちを連れ戻すことに成功した。これで戦いは終わった。もう敵はいない。
「……」
それなのに風花からの風が止まない。もう倒すべき敵はいないというのに、冷たい風を辺りに吹かせている。彼女の髪が不気味に風になびいていた。
風花との距離は50メートルほど。その距離でもビリッと皮膚が裂けるかのような感覚が襲ってくる。
「今の姫には自我がありません。迂闊に近づくと、身体が消し飛びますよ」
太陽が苦しそうに顔を歪め、説明してくれる。彼の状態も相当ひどい。クワとの戦いでやられたのだろう。鈴蘭たちが急いで治療を開始していた。
「自我が、ない?」
『風花が翼たちを殺すかもしれない』
太陽はそう言っている。優一たちは彼のその言葉に顔を青くした。今の風花は、以前バトル大会で発動した翼のバーサーカー状態と同じなのだろう。
圧倒的な力を持っていたバーサーカー翼。それの風花バージョンだ。破壊力はどれほどなのだろう。想像もつかない。
「ぐ……」
優一は拳をギュっと握る。まだ距離はあるというのに、彼女からの威圧が凄まじい。息が詰まって、呼吸が乱れた。少しでも動けば、死んでしまうような感覚を覚える。彼の心にまた『死』の恐怖が発生した。
「どうすれば」
太陽はまともに歩ける状況じゃない。彬人は瓦礫に埋もれた人たちを救出している。美羽と一葉はいまだ気絶中。ハナカラ族の人たちはクワ、キリを含む怪我人の治療に当たっていた。
優一がこの状況に絶望する中、ただ一人、彼女の方へ歩みを進める人物が。
「は? おい、翼、待て!」
翼が何の迷いもなく、風花の方へ近づいていく。優一が声をあげるも、彼の歩みは止まらない。
「翼、待て、行くな! 死ぬぞ‼」
優一が必死に叫んで、彼の足を止めようとする。本当なら殴り飛ばしてでも彼を止めたいのだが、優一の足は恐怖で動かない。
今の風花には自我がない。彼女の視界に入ったら、身体が消し飛んでも不思議ではないこの状況。そんな状況下でも翼の歩みは止まらない。
「おい!」
「大丈夫だよ」
翼は優一にニコリと微笑みかける。その笑顔は普段と何も変わらない、彼の笑顔だった。
「なに、言って……」
「だって、そこにいるのは桜木さんなんだ」
翼は胸元のネックレスをギュっと握りしめて、風花への歩みを進めていく。
恐怖を感じると、その感情が人一倍身体に出やすい翼。それにも関わらず、彼の手は、足は、声は、全く震えていなかった。今の彼の心に恐怖の感情は全くない。
翼は風花を優しいその瞳に映しながら、普段と同じ声で話しかける。
「桜木さん、今、そっちに行くからね」
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