第67の扉 お返し
「あれ? 桜木さんは?」
掃除が終わり翼と優一が教室に戻ると、そこに風花の姿がない。もうすぐ授業が始まる時間なのに、居ないのはおかしい。翼がきょろきょろしていると、愛梨が教えてくれた。
「ゴミ捨てに行ったよ」
「え!? 一人で?」
「ヤバい」
風花は以前、ゴミ捨てに行き、そこでひさしに拉致されている。彼女に一人で歩かないように伝えたのに、コロっと忘れたらしい。
翼たちは真っ青になって教室を飛び出した。
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「桜木さん!」「桜木!」
二人が急いで駆けつけると、そこには案の定風花とひさしが。彼女は退路を塞ぐように再び壁に押し付けられている。前回同様、間一髪の所で間に合ったか、と思ったのだが……
「あい、はらくん、なるせ、くん」
風花が弱々しく名前を呼んだ。彼女の表情を見て、二人がピリッとした空気を纏う。
「桜木さんに何をしたの?」
「何もしてない」
「嘘言うな、それならどうしてそんな顔してんだ?」
「あ? いつもと変わってないだろうが」
ひさしには普通の無表情に見えるようだ。しかし、長く彼女と時間を共にしている二人にはそう見えない。
今、風花はかなり怖がっている。彼女の瞳が今までに見たことがないくらい恐怖の色を示しているのだ。
翼がひさしを退かして、風花の前に立つ。
「桜木さん、大丈夫?」
「ぁ、ぃ、はら、くん」
翼たちの登場で力が抜けたのだろう。しゃがみ込んでしまった風花の身体を翼が支えた。彼女の身体は小さく震えているように思える。今まで風花がここまでの恐怖を訴えたことがあるだろうか。
風花は心が欠けている。しかし、それは何も感じない訳ではない。感情が外に出にくいだけ。
彼女の感情が外に出てくる時は、それだけその感情が強くなった証。取り戻した心が多くなり、感情表現が出やすくなったものの、まだその表情は儚くて、掴みにくい。
「う……ぁ」
その風花が震えている。瞳の中には恐怖の色を濃くして。余程の恐怖が彼女を包み込んでいるのだろう。
「おい、お前、役立たずのくせにヒーロー気取りか?」
ひさしは翼の行動が気に食わなかったようで、強引に彼の胸倉を掴んで引き上げた。今までの翼ならこの行動で震え出し、逃げ出していただろう。しかし、もう違う。翼の心に植え付けられた
「っ……」
翼は歯を食いしばり、キッとひさしを睨みつける。普段と異なる様子にひさしがたじろいだ。
「な、んだよ、弱虫」
「僕のことはいいんだ」
「は?」
「僕のことはなんて言っても構わない。弱虫だろうが、役立たずだろうが、バカだろうが、アホだろうが何でも。でも……」
翼の瞳に宿っていた光が更に強くなる。今まで見たことのない彼の変化にひさしの掴んでいた手が離れた。
「桜木さんを傷つけることは許さない」
「っ……」
どす黒く、低く放たれた翼の言葉でひさしの首が締まった。息苦しさ、死の恐怖を感じ、ひさしはその場にいられない。翼たちに背を向けて去っていく。
「桜木さん、怖かったよね。遅くなってごめんね」
「……」
ひさしが去った後、しゃがみこんでいる風花に声をかけるも、彼女は何も答えてくれない。胸元を押さえて、小さく震えているように見える。
「俺らのこと怖いか? 横山か藤咲呼んでこようか?」
優一の問いかけに風花がふるふると首を振る。
胸元を押さえているので、ひさしに乱暴でもされたのかと思い尋ねたが、どうやら違うようだ。彼女の服も髪も全く乱れていない。何があったのだろう。
時は彼らが来る少し前まで遡る。
「のぁ!?」
「おい、お前」
風花はまたゴミ捨て途中で攫われた。人気のない所に連れ込まれると、壁へと押し付けられた。目の前には伊藤ひさし。彼はかなり苛ついているようだ。鋭い光を放つ目が風花を射ぬく。
「あ、あの……」
「お前の石寄越せ」
「……いや」
「弱虫が守っているものを壊したら、どんな顔するんだろうな」
ひさしは翼をとことん絶望へ突き落としたいらしい。彼が必死に守ろうとしているのが心のしずく。これを奪って京也に渡したらどう思うだろうか。
「やだ」
しかし風花は渡そうとしない。その様子にはますます腹が立つ。
しばらく眉間にしわを寄せて、怖い顔をしていたひさしだが、何かを思いついたようだ。不敵な笑みを浮かべて口を開く。
「魔神を出しているのは俺なんだ」
ひさしは風花に魔神カードを見せつける。その行動に風花の肩がピクリと動いた。
「石渡せ。そうすればもう魔神を出さない」
「渡したくない」
「誰かが傷ついてもいいのか?」
その言葉に風花の動きがピタリと固まる。瞳の中に恐怖が浮かんだ。
「俺が教室でこのカードを使ったら、どうなると思う?」
「ぁ……」
生徒がたくさんいる教室に、あんな巨大な魔神が出現したらどうなるだろう。校舎は崩壊、下の階の人間は押しつぶされて何人もの命が消えるだろう。
風花はそれを想像し、ますます恐怖に包まれる。そして……
「お前が居なくなればいいんだ」
「ぅ……」
「そうすればあいつはただの弱虫に戻る。怯えて震えるだけの泣き虫に」
「……」
「もう誰も怪我しない。平和な日常が戻ってくるんだ」
「……」
「そもそも、お前が全部壊したんだろ?」
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「っ……」
翼はぐっと拳を握った。爪が手のひらに食い込み血が滲むも、構わずギュっと握りしめる。
「うぅ……」
風花は依然胸を押さえてうずくまっている。彼の放った言葉が重い鎖となって、突き刺さっているのだろう。
冷たくて重い鎖。彼は的確に人の心を抉る言葉を投げてくる。言ってほしくない言葉を選んで投げつけるのだ。今回も風花が誰も傷つけたくないという感情を理解していたのだろう。
彼の鎖を解くには、言葉しかない。鎖を絶ちきれるくらいの暖かい言葉。以前、風花が翼にかけてくれたように。
「桜木さん」
翼は悔しさ、悲しさ、憎しみ、全ての感情をしまい込んで、風花へと暖かい言葉を紡いでいく。
「僕たちは誰も、君に居なくなってほしいなんて思っていない」
「……」
「そばに居てほしいんだ」
「……」
「君のそばに居させてほしい」
翼の言葉で風花がやっと顔をあげてくれる。彼女は今にも泣きだしそうな表情をしていた。彼女の恐怖を思うと、こちらまで胸が痛くなる。
翼は優しく微笑みかけ、彼女への言葉を紡ぐ。
「僕は君のおかげで一歩踏み出せたんだ。ずっと弱虫で、いやまだ弱いけど、君が僕の努力を見てくれるから、僕は歩いていける。それも全部君が居てくれたから」
翼は風花がかけてくれた言葉を思い浮かべる。自分の頑張りを、努力を全て見ていてくれた。それを真っ直ぐに伝えてくれた彼女。
風花が居なければ、まだ翼は弱虫の鎖に捕らわれたままだろう。
「翼だけじゃないぞ。俺らみんなそうだ。お前と出会えたからこんなに仲良くなれたし、変われた」
翼の言葉に加えて、優一も伝えてくれる。
精霊付き8人は風花が繋げるまでほとんど接点はなかった。同じクラスなので多少の関わりはあるが、それだけ。そんな彼らが仲良くなれたのは風花が繋げてくれたからだろう。そして、優一自身、兄との関係で悩んでいたことが、彼女との出会いで変われたのだ。
「私の……そばに」
風花は胸の中がポカポカする感覚に包まれた。
自分と出会ってしまったから不幸になった。危ない目に合わせてしまった。
怪我をするかもしれない、辛い経験をするかもしれない、それでも彼女と出会わなければ見れない景色がある。二人はそれを教えてくれた。
彼女の中から自分を責める感情が薄れていく。ひさしが植え付けた冷たい鎖が溶けていく。
「桜木さん」「桜木」
二人は優しく彼女の名前を呼び、手を広げた。そして……
「「おいで」」
彼らの言葉と共に、暖かな風が風花を包み込む。自分を受け入れてくれた。ここに居ていいのだと、近くに来ていいのだと伝えてくれた。
「っ……」
風花は彼らの手を取り、胸の中に飛び込んだ。優しく、暖かい体温が伝わってくる。翼と優一は風花のことをギュッと力強く抱きしめてくれた。もう、彼女を離さないように。
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「くっそ、弱虫の奴め。見てろ、教室でこいつを出してやる」
ひさしはズカズカと歩みを進めながら、魔神カードを握りしめる。教室に戻ったらすぐにでも出現させて、彼らに絶望を味合わせてやろうと意気込んでいた。しかし……
「何するんだよ!」
彼の前に京也が現れ、するっと彼の手から最後の魔神カードを奪い取った。今の京也は普段よりも目を鋭く光らせて、鋭い威圧感を放っているように思う。そんな彼の様子にたじろぐも、ひさしはカードを取り返そうと、詰め寄って行く。
「返せよ!」
「さっさと消えろ、殺すぞ」
「ちょっと、ゴリラくん。まだ殺してもらったら困るんだよねぇ」
目だけでひさしを仕留めそうな勢いの京也の元へ、新しい声が降ってくる。彼が振り向くと……
「ねぇ、あんたよね? 伊東ひさしって」
「ちょっと、私たちとお話しようか」
にっこりと微笑む美羽と一葉の姿が。彼女たちの登場に、京也は満足したのかスッと消えた。
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「風ちゃん!」「風花さん!」
「のぁ!?」
教室に戻った途端、風花の元に飛び込んできた結愛とうらら。バランスを崩し、三人諸とも床に転がる所だったが、後ろに居た翼と優一が彼女たちを支えたので、無事である。
「あ! 見つかったんだねぇ、良かったぁ」
「ふ、天使とのエンカウント」
訳)会えて良かったです
そんな彼女たちの後ろから颯と彬人もやってくる。彼らも心配して探してくれたようだ。
「みん、な……」
彼らの行動に風花の瞳が揺れる。胸の中に暖かな感情が広がった。こんなにも暖かい気持ちになったのは初めてだ。この気持ちは何という名前だろう。
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