第101の扉 結末は変わらない
「ちょっと顔洗ってくるね」
翼は泣き終わると、顔を整えるために部屋を出ていく。彼の顔は晴れやかだった。自分の力の真実、優勝の結末を知ることができたからだろう。
太陽は翼の晴れやかな表情を見ていると、自分の心も軽くなるのを感じた。今の彼には弱虫だと、役立たずだと、自分を責め続けていた黒い感情は全く見えない。最初に会った時に比べて、見違えるような変化を遂げていた。彼がずっと努力をして、成長できた結果だろう。
自分のことのように嬉しく感じながら、太陽はふと隣に座っている風花へ目線を移す。
「姫様?」
風花の様子に太陽は首を傾げた。彼女は何だか苦しそうな表情をして、胸元の服をギュっと握りしめていた。どうしたのだろうか。普段の彼女なら、翼の笑顔を見て柔らかく微笑んでいるはずなのに、今の彼女からはその欠片さえ見つけられない。
「太、陽……」
太陽が悩み込んでいると、風花がいつにも増して真剣な声で彼の名前を呼んだ。そして、瞳に戸惑いの色を濃くして、口を開く。
「あ、ぁ、あのね、胸が痛いの……」
「!?」
風花はパルトとの戦闘で胸を突き刺されている。すぐに医療班が治療を施し、跡も残らず完治したはずだが、今になって何か異常が起きたのだろうか。
風花の発言を聞き、太陽は回復魔法を施そうと慌てて診断眼鏡をかける。
「いつ頃から痛むのですか?」
「最初に痛いなって思ったのは、紅刃さんが学校に攻めてきた時くらいから」
「ん?」
太陽は風花の発言を聞き、ピタリと固まった。大会で負った傷が原因で痛んでいると思ったが、どうもそうではないらしい。風花は鬼ごっこの時に一度痛みを感じ、その後もふとした瞬間に痛みを感じていたようだ。そんなにも前から痛みに苦しんでいたのか。太陽は全く気がつかなかった。心筋梗塞、狭心症、太陽は頭の中で思い当たる病名を並べていく。
「でも少しチクッとしたら、すぐに無くなるの」
風花の発言にますます太陽は首を傾げる。そんな特徴の病気はあっただろうか。太陽は病気を探るため、風花に質問を続ける。
「どんな時に痛むのですか?」
「相原くんを見ていると、痛い」
「……」
風花の言葉を聞き、太陽の頭の中に一つの病名が浮かび上がった。これは『恋の病』だ。風花は翼に恋心を抱いているのだろう。
胸がしめつけられたり、苦しいと感じる。そしてその痛みは少しすれば収まる。風花が上げた症状の特徴と合致する。翼を見ていると症状が出る、と言った彼女の言葉が決定打だ。
「どうしよう、私、死んじゃう?」
風花は自分の身に起こっていることが全く理解できていないようで、不安そうな様子。先ほども翼を見ていると、胸がチクチクと痛んだそうだ。だから彼女は苦しそうにしていたのだろう。
風花の患っている病は命を奪うものではない。そして、時間が解決してくれるものだろう。しかし……
「……」
太陽は難しい顔をして黙り込む。彼の頭の中には、以前の国家会議で決定した条件が駆け巡っていた。翼たちも知らないその条件。風花が最後の最後まで隠し通すと決めた優しくも残酷な条件。太陽は苦痛に顔を歪めた。
「大変だぁ、わた、し、死ぬ?」
今の風花は心が欠けた状態。そんな彼女は自分の恋心を理解することができない。だから、こうして不安なのだろう。いずれ心が戻れば、彼女はきっと今の気持ちを理解することができる。それでも……
この恋が実ることはない。
太陽は揺るぐことのないその結果に、顔を歪める。
風花が心を取り戻し、翼への恋心を知ったとしても。
翼も風花のことを想い、恋していても。
『実らない』という結末だけは変わることはない。決して。
「たい、よぅ」
風花は太陽が黙り込んで苦しそうな顔をしているので、心配そう。死の病と思っているのだろう。彼女の瞳に絶望が浮かんでいる。太陽はそんな彼女を安心させるように笑顔を作って話しかけた。
「姫様、大丈夫ですよ。そんなに重い病気ではありませんから」
「そうなの……」
「しかし残念なのですが、私では治療することができません」
「ふぇ……」
治療できないと聞いて風花の不安な感情が跳ね上がる。太陽は今まで様々な怪我、病気を治療してきた。その彼が匙を投げたのだ。風花の心に絶望が広がる。
「し、ぬ……おわっ、た」
「姫、大丈夫です。死にません。終わっておりません」
「うぅ……」
風花は太陽に見捨てられたので頭を抱えた。そもそも風花のかかっている病は、世界中のどんな名医でも完治させることはできないだろう。それほどにこの病は難しい。
「大丈夫ですよ。姫、そんなに落ち込まないでください」
「……うん」
太陽は優しく風花の背中をさする。彼の暖かい手で何とか彼女は落ち着きを取り戻したようだ。
風花が恋心を芽生えさせることができたのは、それだけ心のしずくを取り戻すことができたからだろう。彼女がこうやって自分の感情に戸惑う姿は、微笑ましいことだ。しかし、彼女は恋心を自覚した時、一体どう行動するだろう。
風花も当然、国家会議で決定した条件を知っている。だから自身の恋が実らないことも分かるだろう。恋心を自覚するのが幸せなのか、知らない方が幸せなのか。それは太陽にも分からない。そして心のしずくを取り戻せば取り戻すだけ、彼女がこの感情を理解できるようになる日は近づく。
「どうしたらいいんでしょうね……」
太陽は風花の今後の運命を思い、遠くを見つめた。彼女が自分の気持ちに気がついた時、彼女に何をしてあげられるのだろう。何もできない、できることが何もない。太陽は自身の無力さを感じ、拳を握った。
自分にできるのは、今回のようにただ彼女を抱きしめることだけかもしれない。
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