第97の扉  自己犠牲

「おめでとう」

「ありがとうございます」


 大会主催者が表彰台に上がった翼にメダルをかけてくれる。翼はにこにこ笑顔だ。観客たちは翼を含め、この大会の選手に惜しみない拍手を送ってくれる。


 勝った、勝ったんだ、僕が。


 翼の心を達成感が満たしていく。






 表彰式が終わり、翼、風花、優一は選手控室へと戻った。翼はいまだほくほく笑顔である。余程優勝できたことが嬉しいのだろう。

 思い返すと、今まで翼が自分の成長をきちんと実感できる場面は少なかったのかもしれない。以前、伊東ひさしとの一件で『翼は自分だけ活躍できない』と言っていた。翼は他のメンバーに比べれば、表立った活躍の場面は少ない。彼はずっとそれを気にしていたのだろう。

 そんな翼にとって今回の優勝という出来事は、自らの自信へとつながる大きな一歩だ。彼の姿を見ていると風花と優一は自然に頬が緩む。


「あ、颯くん」


 扉を開けると、のんびりとくつろいでいる颯の姿が。颯はこの部屋で試合を観戦していたらしい。


「おめでとぉ!」

「えへへ、ありがとう」


 翼は颯に褒められてますます笑顔になる。自分は強くなった。優勝できたのだ。彼の心が達成感で包まれていく。


「……」


 優一は隣にいる風花を見る。彼女はまだ翼に事情を説明するつもりはないらしい。颯と楽しそうに話す翼の様子を眺めているだけ。一体いつ話すのだろう、と優一が考えていると……


「風ちゃん、めっけ!」


 部屋の入り口から元気な声が響く。風花がそちらに目を向けると、そこには結愛。そして


「あ……」


 黒色のオーラを纏ううららが。風花は彼女の登場に太陽に言われていた忠告を思い出した。太陽の代わりに、うららがやってくると言われていたことも。

 風花は翼のことに必死で、コロッと忘れていた。うららは黒色の笑顔のまま風花の方へと足を進める。


「これはヤバいな」

「およ?」


 風花の隣にいた優一はうららのブラックモードを敏感に感じ取る。結愛を連れて、うららの視界から素早くログアウトした。そして、彼らが消えると同時に


「うわっ!」


 風花の驚いた声が響く。うららが風花の両頬をパチンと挟み込んだのだ。それと同時に黒い雰囲気が濃くなった。


「ほへんははぃ(ごめんなさい)」


 風花はうららに頬を挟まれているため上手く話せない。うららは今ブラックモード。鋭い瞳で風花のことを見ている。そして……


「私は心配しました」

「……」

「あなたが遠くに行ってしまったらどうしようかと」


 うららは瞳を潤ませて、風花に訴える。もうブラックモードは完全に消えていた。瞳は普段と同じ、優しい光を放っている。






 うららは結愛と一緒に風花の医務室へと足を運んだ。しかし、カーテンを開けるとそこに風花の姿はない。どこに行ったのだろうと考えていたら、医務室のモニターに翼の姿が映った。モニター越しでも分かるくらいに、バーサーカー状態の彼は異常だった。


「風花さん、まさか……」


 風花は先ほどまで太陽の言いつけを守り、医務室のモニターで試合を観戦していたのであろう。しかし、そこに翼の異変を見つけた。おそらく飛び出して行ったに違いない。

 治りかけているとはいえ、彼女は怪我人。そうでなくても、バーサーカー状態の翼の前に風花が飛び出したらどうなるだろう。いくら彼女が強くても、最悪の事態が起こるかもしれない。うららは自分の想像した最悪の結末に顔を青くして、競技会場へと走った。


 幸い何もなく、風花だけでなく優一や太陽たちも無事だったが、それは結果だ。その時のうららにそんなことは考えられない。





「うららちゃん……」


 うららの話を聞いた風花は無表情、何かの感情を押し込めているように。風花は他人の心の動きに敏感だ。うららがどれだけ自分を心配してくれたのか分からない程、彼女は鈍くない。


 あの時の風花にバーサーカー状態の翼を止められる算段はなかった。それでも飛び出さずにはいられなかったのだ。彼が誰かを傷つける姿を見たくなかったから。しかし……



 その誰か・・に風花は自分自身を入れない。



 風花は自分が傷ついてでも、たとえ死んででも翼のことを止める。その覚悟で飛び出した。もちろん、周りにいる優一や太陽たちは傷つけずに。


「風花さん……」


 うららは風花の自己犠牲に勘付いているのだろう。だから彼女に自分のことも大切にしてほしいと訴える。


「あなたが傷つけば悲しむ人がいるんですよ」

「……」

「みんなあなたのことを大切に思っているんです」


 うららは瞳を潤ませながら風花に訴える。今回の出来事は余程うららを心配させてしまったのだろう。その思いを知り、風花の顔が苦痛に歪んだ。


「心配かけてごめんなさい」

「ご自分のことも大切にしてくださいますか?」

「……」


 うららの言葉に風花は返事ができない。彼女の言っていることはよく分かる。自分が傷つけば悲しんでくれる人がいるのだ、と。自分のことを大切に思ってくれる人がたくさんいるのだ、と。分かっている、理解している。しかし……



「……約束はできない」



 風花がポツリとつぶやいた。その答えにうららの顔が悲しく歪む。


「風花さん」

「うららちゃんがすごく心配してくれているのは分かっている。でも、私は……」


 風花はそこで言葉を区切り、自分の中で言葉を探し始めた。うららは彼女の言葉の先をじっと待つ。

 風花は自分がバラバラにならないように、両手で自分を抱きしめて話の続きを紡ぎ出した。


「私が、みんなを守るんだ。まだ弱くて、傷つけてしまうことも多いけど、みんなのことを守りたいの」


 風花の目が潤む。彼女は自分が傷つくことよりも、仲間が傷つくことに対して痛みを感じる。だから、必要以上に自分自身を犠牲にしようとする。

 うららは泣き出してしまった風花をそっと抱いた。


「風花さんは本当に優しい方ですわ。優しすぎるくらいに。その優しさを少しでもいいので、ご自分にも分けてあげてくださいまし」

「自分に、分ける……」


 今まで自己犠牲しかしてこなかった彼女は、それ以外の術を知らない。そして、優しすぎる少女には難しいことなのかもしれない。


「今は難しいかもしれませんが、いずれできるようになりますわ」

「うん……うららちゃん、ありがとう」


 うららはギュっと抱き着いてくる風花の頭を撫でる。彼女がこのまま自己犠牲を続ければ、いずれ限界がくるだろう。本当に壊れてしまう前に、自分にも優しくなってもらわなくてはいけない。

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