第96の扉 乱れる呼吸
「迷いか……」
会場の廊下を一人ブツブツ呟きながら一葉が歩いていた。さっきから彼女は会場の中、外を歩きながらグルグルと考えを巡らせている。
『迷い』
試合で陽光に言われた台詞がずっと彼女の中に残って、黒い感情が渦巻いていた。
水の国での戦いをきっかけに、自分が感じてしまった迷い。人を殺す、殺される。自分の一撃が命の灯を消すかもしれないのに、それを迷いなく振らなければいけない。そうしなければ、守りたいものは守れない。
「そんな、こと……」
一葉は眉間にしわを寄せ、苦しそうなに唇を噛む。
彼女は剣道部のエース。ずっと剣を振って努力してきた。しかし、今その努力の結晶が人の命を奪う道具になるかけている。
剣を振った時に相手を切った感触と、苦しそうなうめき声が離れない。一葉は人を殺したわけではない。しかし、いつ消えても分からない戦いの連続。そんな緊張状態が一葉の心を蝕んだ。
一人で考え込んでいた、そんな中……
「え?」
目の前から足音が聞こえ、顔を上げるとそこには黒焦げの太陽と彬人が。二人のただならぬ状況に一葉は急いで駆け寄る。
「なに? 二人ともどうしたの?」
「ふ、闇の炎に抱かれて消えたのだ」
訳)バーサーカー状態の翼くんにやられました
「はぁ?」
彬人の言葉に変な声をあげる一葉。一体何が起きているのか理解できない。
一葉は先ほどの翼とメグの試合を観戦していない。自分のことで精いっぱいであったため、それどころではなかったのだ。しかし、目の前には黒焦げの二人。
「医務室! 医務室行かなくちゃ」
一葉は混乱しながらもとりあえず二人の治療をしなくてはと、医務室を目指す。自分の迷いの感情には一旦蓋をして、傷だらけの二人の腕を引っ張る。
「う……」
しかし、一葉の口から小さく声が漏れた。蓋をした迷いの感情が、押し込めた分だけ苦しく膨れる。彼女の顔が一瞬苦痛に歪んだ。
「む?」
一葉が自分の感情を押し込めていると、彬人から声が上がる。彼は一葉の変化を感じ取ったようだ。声をあげると同時に、先を歩こうとする彼女の肩を掴み、自分の方に引き寄せる。
「おい、一葉、何があった?」
「え?」
一葉が驚きながらも顔をあげると、目と鼻の先に彬人の顔。いつもはふざけている彼だが、今は真剣。余程一葉のことを心配しているのだろう。ふざけている雰囲気は全く感じない。一葉は彼の真剣な瞳に射抜かれる。
「ぁ……彬、人」
友達を助けたい、でも心の中の迷いは消せない。どうしたらいいのか分からない。殺す、殺される。守る、守れない。
不安に押しつぶされて、一葉の心は黒く染まった。
「どうしたのだ?」
優しく彬人に見つめられ、一葉は目を潤ませる。もう彼女は限界が近い。自分ではもう立っていられない。一葉は目の前の彬人に縋りついた。
「は? 一葉?」
思ってもみなかった彼女の行動に、彬人は驚きを隠せない。あたふたと両手を動かして慌てている。しかし一葉の涙は止まらない。彬人にしがみついて、ポロポロと涙を流していた。
「「……」」
彬人は隣の太陽と顔を見合わせる。彼にも困惑の表情が浮かんでいた。状況を理解できていないのは同じらしい。彬人は困惑しながらも、自分の胸にしがみつく一葉の頭をポンポンと撫でた。
「大丈夫か?」
「うん、ごめん」
しばらくすると一葉の涙は止まる。彼女が泣いている間、彬人はずっと抱きしめていてくれた。彼の暖かな体温が一葉の胸に広がって、黒い感情が流されていった。
「怪我しているのにごめんね。でも、ありがと。少し楽になった」
一葉はニコリと笑顔を向ける。一通り泣いてすっきりしたためか、先ほどよりもその表情は明るく、普段の一葉に近い笑顔を浮かべていた。
その表情を見て、彬人と太陽も安心する。何があったのかは分からないが、とりあえず大丈夫そうだ。太陽が一葉から詳しい事情を聞こうと口を開きかけた時
「やっぱり女の子は笑っていた方が可愛いな」
「っっっ!!!」
彬人がぽつりと呟いた。本人は何げなく放った一言だが、彼女にとってはかなりの破壊力を持つようだ。顔が赤く染まっていく。
「む? どうした」
彬人は赤く染まっていく一葉を不審に思ったのだろう。彼女との距離を縮めて、顔を覗き込んだ。彼のその行動に一葉の顔が更に赤くなる。
「大丈夫か? 熱でもあるか?」
そう言うと真剣な瞳で一葉を見つめた。まっすぐで透き通った色をした彬人の瞳が一葉を捕らえる。
「え、あ、うぁ……」
真剣な彼に射抜かれて、一葉はパニックになる。真っ赤な顔を更に赤く染め上げて、わなわなと唇を震わせていた。
「大丈夫か、お前」
明らかに普段とは違う一葉の態度に、彬人はますます心配そうに彼女を見つめる。その行動が一葉を追い詰めているということには気づかない。そして、一葉との距離を更に詰めて、彬人が彼女に触れようとその手を伸ばした。
「@?#“*+っっ!!!」
彬人の手が触れようとしたその瞬間、一葉は言葉にならない声をあげる。そして
「ぶへっ!」
彬人の顔面に一発入れてそのまま走り去っていった。彬人は壁まで綺麗に宙を舞い、鈍い音を響かせて激突する。
「なぜだ……」
「今のは彬人さんが悪いと思いますよ」
一連の流れを見ていた太陽が呟き、ジトっと蔑みの目を彼に注いでいる。
彬人が一葉に触れようとした理由。それは熱があるかもしれないから額を触って確かめようとした。ただそれだけだ。それ以上の感情は彼にはない。しかし、一葉は距離が近い彬人と、近づいてくる彼の腕でキャパオーバー。
「ふ、俺の美貌に見惚れたか」
あながち間違いではないのかもしれない。しかし、彬人は一葉の行動の意味がよく分かっていないだろう。くるくると回りながらポーズを決めていた。これは先が思いやられる。太陽は頭を抱えて、ため息をついた。
「はい、行きましょうね。治療してもらう傷が増えてしまいました」
「ふははっ」
彬人はいつもの調子に戻っているようだ。魔王のような笑い声を響かせながら、「名誉ある負傷だ」とか「戦士に傷は付き物さ」などと、
「もう、なんなのよ! あのバカ」
一葉は彬人を殴り飛ばした後、つかつかと廊下を進んでいく。真っ赤な顔はそのままで。
「なんで、こんなに熱いの…… 相手はあのバカなのよ。そんなのありえない」
一葉は乱れる呼吸と胸の高鳴りを押さえようと必死になっていた。しかし、抑えようと思えば思うほど更に乱れていく。
「どうしちゃったんだろう、私……」
彼女の赤い顔はしばらく続いたそうだ。
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