第98の扉 クラウチングスタートで走り出せ
「横山さんが、目覚めない?」
表彰式後も、美羽は眠り続けている。何も異常はないのだが、意識が戻らないのだ。
翼はチラリと隣にいる風花を見る。彼女は黙って美羽を見つめていた。おそらく今回の出来事に責任を感じているのだろう。その表情はとても苦しそうな表情だった。
「みなさん、宿の手配を致しました。今日はもう休みましょう」
太陽が全員に話しかけた。目覚めない美羽を置いて帰国することはできない。この世界には魔法に詳しい医師がいるため、彼女が目覚めるまで、待機した方がいいだろう。
太陽が手配してくれた宿へと向かい、それぞれ部屋へ散っていった。
「おい、かず……」
「相原くん、優勝おめでとう」
彬人が一葉に話しかけようとすると、あからさまに彼女は距離をとる。今もわざと翼に話しかけに行った。
「ぷくぅ!」
そんな彼女の様子に、彬人はぷくぅと頬を膨らませる。
一葉は水の国の帰国後から、様子がおかしい。何となくでしかなかった違和感が、さっきの涙で確信へと変わった。
彬人は涙の理由を問おうと話しかけているのだが、彼女はそれに答えない。今みたいに避けられるか、顔面に拳をもらって逃げられる。
「ふむ、どうしたものか……」
彬人が楽になれる方法を考えていると、彼の視界に映った人物が一人。
翌日
美羽はまだ目覚めない。医務室に重い空気が立ち込めていた。
「気分転換に周辺を観光してきてはいかがでしょうか?」
重い空気を切り裂くように太陽が口を開く。会場の周辺には商店街があり、衣料品、魔術書専門店などなどたくさんの店が並んでいた。
「ふ、俺を呼ぶ声が聞こえる」
訳)カッコイイ装備がたくさんありそうです
太陽の提案に真っ先に彬人が食いつく。彼は口ではカッコイイことを言っているが、その瞳は子供のようにキラキラと輝いていた。そして、頭の上には彼の感情を表すかのように、二本のアホ毛がぴょこぴょこと跳ねている。
「結愛も声が聞こえる気がするぅ!」
彬人の発言に反応して、結愛も目をキラキラと輝かせる。彼女の頭の上にもアホ毛が。
二人は今にも商店街へ走っていきそうだ。医務室から出て、クラウチングスタートで走り出そうとしている。そんな後ろから……
「はしゃぎ過ぎてはいけませんわよ?」
うららの声がかかった。その声は黒い雰囲気を纏っているようにも感じる。
「およ……」
「ゲームオーバーか……」
あからさまにしょんぼりする二人。そして、更に追い打ちをかけるように、うららが口を開いた。
「成瀬さんも一緒に行きましょう?」
「ん? 俺も?」
「えぇ……」「およ……」
優一の同行と聞いて、彬人と結愛に絶望が広がった。この二人がついて来たら、自由な異世界探索は無理だろう。
しかし危険も多い異世界で、彬人と結愛のコンビを野放しにしたらどうなるだろうか。想像しただけでも、うららにブラックモードが降臨しそうである。優一とうららの同行は妥当な判断のように感じる。しょげかえる彬人と結愛に、翼は苦笑いしかできない。
「ウチは美羽の傍に残るよ。一人にしておくのは心配だし」
「それじゃあ、俺も残ろうかなぁ。眠いし」
一葉と颯はそう言うと、美羽の病室へと歩いていった。颯は早速欠伸を連発している。すぐに眠りの国へ旅立っていきそうだ。
「相原くん」
そして、風花がついに翼を呼んだ。何だか難しい顔をしている。彼女の雰囲気に、翼はごくりとつばを飲んだ。
「わぁぁぁぁ!」
「ふ、流石は異世界……」
彬人と結愛はキラキラと目を輝かせている。先ほどまでしょんぼりモードだったのに、今はもう元気そうだ。立ち直りの速さ光の如し。
その少し後ろで、優一とうららは二人の行動を監視していた。今のところ楽しそうに買い物しているだけで、特に目立った悪さはしていない。
漆黒と深淵を愛する彬人と不思議ちゃんでテンションの高い結愛。二人は翼たち10人の中で『混ぜるな危険』コンビだろう。一体どんな化学反応が起こるのか想像もつかない。
優一とうららは注意しながら、二人のことを眺めていた。そして、うららには二人の他にも気になる人物がもう一人。
「お前ら、あんまり遠く行くなよ」
隣にいる優一だ。彼の態度は普段と何も変わらないようにも見える。しかし、うららは彼の雰囲気に、どこか違和感を覚えていた。
「……」
違和感を覚える、というだけで決定的なものは掴めていない。うららの思い過ごしだろうか。優一はいつもキツイ言い方で冷たい印象を与えやすいが、今日の彼はいつにも増して、その冷たさに拍車がかかっているように感じる。その中に何かを隠すように。
「あ……」
うららから声が漏れる。違和感の正体に気がついたのだ。そして、その正体を離さないように、手を伸ばす。
「え、神崎?」
優一がうららの行動に驚きの声をあげる。それもそのはず。うららが優一の手を握ったのだ。突然の行動に彼は驚きが隠せない。
「どうした? 何かあったか?」
「震えています」
うららが掴んだ優一の違和感。それは彼の震える手。うららは優しく彼の手を包み込む。彼の手はとても冷たかった。まるで血が通っていないかのように。
「……バレたか」
優一はうららに握られた手を振りほどくことも、握り返すこともしない。されるがまま。
「怖いんだ」
メグと戦ってから、手の震えが収まらない。あの鋭く冷たい視線を忘れることができない。『殺してやる』と言っているような目を。
メグは暗殺部隊所属の戦士らしい。彼女の目は今までの経験で培われてきたものだろう。
その目を見て、息がつまるような感覚がした。声も出ないし、動けない。ましてや技も発動できない。今までに経験したことのない恐怖を感じた。本気で『死』を感じた。
優一の心を恐怖が支配し、『震え』という形で現れたのだろう。
「成瀬さん……」
「ダメだよな、こんなんじゃ。俺が言い出したことなのに」
優一は苦しそうな笑顔をうららに向けた。
このバトル大会の前にみんなと話したこと。「強くなる。殺さないために、殺されないために」自分たちは『殺す』覚悟ではなく、『守る』覚悟をするのだと、そうみんなで決めた。しかし、それはとても難しいこと。
今後、メグ以上の殺気を向けられることもあるだろう。その時自分はきちんと戦えるのだろうか。体験した恐怖は消えることがない。彼の心に根強く残る。
優一の手はうららに握りしめられながらも、震えていた。恐ろしいほど冷たく、彼の心に残っている感情を表すかのように。
「そのままでいいと思います」
うららは握りしめる手にぎゅっと力を込めて、彼へと言葉を紡ぐ。自分の体温が、優一へと伝わっていくように。
「『怖い』という感情は当たり前ですわ。その感情を失くすことはできません。いいえ、失くしたらいけないと思います。私は『怖い』という感情を失くして、戦いに挑むことの方が怖いです」
うららの紡いでくれる暖かな言葉が徐々に優一に届き始めた。心地よい彼女の声が胸の中の冷たさを消していく。
「ですから、成瀬さんはそのままでいいと思います」
彼の手はもう震えていない。震えの消えた暖かい手で、しっかりと彼女の手を握り返した。
「心配かけてごめんな……ありがとう」
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