第93の扉  決勝戦開幕

「頑張ってねぇ」

「ふ、負けられない戦いが今始まる……」

「アリガトウ、ゴザイマス」


 のんびりとした颯の声と意味不明な彬人の声援に、翼はまたロボット化して返事する。ガチガチに緊張して競技会場へと歩みを進めた。


「めちゃくちゃ緊張してるじゃんかぁ」

「ふ、生まれたての小鹿の如く震え方だな」

「ぶはっ!」


 翼の背中を見送った彬人が変なことを呟くので、ツボの浅い颯が吹きだす。苦しそうな笑い声が響いているが、もちろん翼はそれどころではない。





【バトル大会決勝戦 相原翼 VS メグ】


「わーーーーーー」


 観客の興奮した声援が会場内を包み込む。バトル大会決勝戦。この試合の勝者が優勝。長かった大会の頂点がついに決まろうとしていた。


「ヨロシク、オネガイ、シマス」

「……」


 両者競技会場に入場し、対峙。ピリピリとした空気が辺りを包んでいた。

 翼が挨拶をするもメグは無反応。メグは翼よりも身長が小さく小柄。その体格にあっていない程の大きなローブに身を包んでいる。顔が全く見えない。それがより一層彼女の得体のしれない感じに拍車をかける。


「勝つんだ……」


 翼はそんなメグを前にして、恐怖が増したが、自分を奮い立たせるように呟き、杖をギュっと握りしめる。

 自分たちがこのバトル大会に挑戦している意味。それは『強くなるため』

 守りたいものを全て守れるくらいの強さがほしい。そのヒントを探るためにこの大会に挑んだ。怖くてもやるしかない。ここまで来たら優勝するしかない。

 翼はぐっと唇を噛みしめる。


「試合開始!」

「……」


 審判の声が響き、翼の緊張は頂点に達した。先手必勝で仕掛けようと杖の先に魔力を込める。しかし……


「っ!」


 メグの視線に射抜かれて翼はごくりとつばを飲む。試合開始の合図と共にメグの放つ殺気が増したのだ。鋭く冷たい目が翼を捉える。じっとりと汗をかいてきた。息が苦しい。


『あいつはヤバい……』


 優一の言葉が翼の頭に浮かび上がる。想像以上だ。メグの目は「殺してやる」と言っている。目だけでそれを感じ取れるくらい、彼女の殺気はすさまじい。これまでの戦闘で、京也たちから殺気を投げられることはあったが、比べ物にならないくらいの殺気が翼を襲う。


「ぐぅ……」


 翼の口から苦しそうな声が漏れる。自分だけ重力が増しているかのような感覚がした。体が重い。

 そんな翼には構わずメグが姿勢を低くし、戦闘態勢に入った。依然鋭い殺気を纏ったまま。翼は顔を苦痛に歪めながらも、杖をぐっと握りその攻撃に備える。だが……


「え」


 翼は驚きの声をあげる。彼はジッとメグを見ていたはずだった。しかし、何の音もなく彼女は翼のすぐ目の前までやってきたのだ。ふわりと、一瞬で。手には短剣を持っている。


「っ…… そ、swordソード!!!」


 翼は咄嗟に呪文を唱え、杖を剣に変化させる。彼女の殺気で声が出にくかったが、間一髪でメグの攻撃を受け止めることができた。ボワッと暖かい炎に包まれて、彼女の剣を受け止める。


「……」


 翼に攻撃を受け止められると、メグはすぐに距離を取った。しかし、その目はまだ鋭く光っている。『お前を殺してやる』と言っている。


「はぁ、はぁ」


 翼は何とか攻撃を防ぐことができたが、その額には大量の汗が噴き出ていた。呼吸も苦しく乱れ、心臓が激しく脈を打つ。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 なんだろう、この感覚……

 すごく苦しい。


 死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ。


 殺してやると目の前の瞳が言っている。

 本気で殺しに来ている殺気は、こんなにも苦しくて、冷たいものなんだ。

 ヤバい、ヤバい、ヤバい。どうしよう、このままだと死ぬ。確実に死ぬ。

 殺される。


 翼は今がバトル大会の最中であること、殺しは禁止であることなど、すべて忘れていた。冷たく、鋭い視線に射抜かれてパニックになっている。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 翼の呼吸はどんどん速くなる。全身の血液が物凄いスピードで駆け巡る。


 嫌だ、嫌だ。死にたくない。死にたくない。

 怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。


 翼の頭の中でグルグルと思考が回っていく。彼の心を恐怖が支配した。





「翼?」


 観客席にいる優一が翼の異変に気がついた。

 普段戦闘時に彼がパニックになることは何度かあったが、今回はその比ではない。苦しそうな息、大量の汗、真っ白な顔……

 どうも様子がおかしい。


「優一さん」


 医務室からやってきた太陽が、考え込んでいた優一に話しかける。彼も翼の異変を感じ取っているようだ。難しい表情をしながら翼のことを見ていた。


「何かあっても大丈夫なように、戦闘態勢をよろしくお願いします」

「分かった」「む?」


 太陽は優一の隣に座りながら、隣にいた彬人にも声をかけた。優一と彬人はいつでも魔法を出せるよう杖を、太陽は剣を抜けるように準備する。







「失礼します……あら?」


 うららが医務室に到着し、風花がいるベッドのカーテンを開ける。しかしそこに彼女の姿はない。


「およ? どこに行ったのかな」


 うららと共に医務室にやってきた結愛も、不思議そうに声をあげる。辺りを見回してみるも彼女の姿は見つけられない。


「あ、一葉ちゃんだ!」


 結愛が窓の外に一葉の姿を見つける。何だか思いつめたような表情をしているようだ。


「どうしたのでしょうか?」

「さぁ?」


 二人で首を傾げるも答えは出ない。そして風花の姿も見つけることはできなかった。







「はぁ、はぁ」

「……」


 メグは苦しそうな様子の翼を不審に思いながらも、短剣を構え、決着をつけようと向かっていく。翼は苦しそうに胸を押さえうつむいているため、メグの突進には気づかない。

 観客の誰もが勝負があったと思った瞬間……





 ボフンッ!


 突然翼の体を赤黒い炎が包み込む。


「……っ!?」


 メグは咄嗟に後ろに飛びのき、間一髪で翼の炎から逃れた。その炎からは普段の優しく温かい雰囲気は感じない。どす黒く、冷たい炎が彼を包み込んでいた。先ほどまでの彼とは異なる雰囲気にメグは警戒態勢を濃くする。しかし……


「はははっ」


 翼の口から楽しそうな笑い声が響いた。そのあまりにも感情がなく、乾いた笑い声に、心臓を握られているような感覚がメグを襲った。


「ぁ……」


 うつむいていた顔を上げた翼の表情を見て、思わずメグから声が漏れる。彼は目を見開き、にっこりと笑っていたのだ。何とも不気味なその笑顔。そして、もう息は乱れておらず、汗も引いていた。

 ほんの一瞬の出来事と変化。彼に一体何があったのだろうか。


「!?」


 驚くメグには構わずに翼は一歩、歩みを進める。それと同時に、今まで感じたことのないような殺気がメグに届いた。上から押しつぶされるかのような感覚に襲われる。


「あ、あぁ……」


 メグはガクガクと震えながら、ぺたんとしゃがみこむ。彼女から殺気はもう完全に消えており、怯えきってしまっていた。形勢逆転。もうメグに戦う意思はないだろう。そんな彼女の視界に審判が映った。

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