第81の扉  血のつながり

「あの子は俺たちの子供じゃない」

「それ本当なの、お父さん、お母さん」


 結愛はリビングの扉を開けて両親に声をかける。両親は結愛の存在に気がついていなかったため、目を見開いて驚いている。琴子ことこが慌てて口を開いた。


「あのね、結愛ちゃん、隠していたわけじゃ……」

「本当なんだね」


 結愛は琴子のその言葉を聞き、内容が真実であると確信した。背を向け、自室に行こうとリビングを出ていく。後ろから琴子の引き留める声が聞こえてきたが、無視して扉を閉めた。


「なんで、どういうこと? 訳わかんないよ」


__________________






 翌日、結愛はどんよりとした気持ちのまま学校へ登校する。いつものスキップはしていない。そんな気分ではないのだ。


「結愛ちゃん、何かあった?」

「今日はスキップしてないね」

「およ、あ、別に大丈夫だよ。昨日少し転んじゃって。だからスキップしてないの」


 いつもと様子の違う彼女に、美羽と風花が声をかける。これ以上心配させないようにと、結愛は普段と同じく明るい声を出して答えた。

 二人は心配そうに結愛のことを見つめてくれるが、その視線から逃げるように教室を出ていく。


「どうしたのかな……」


 二人は首を傾げて考えるも、その答えが出ることはない。何かあったのは確かだが、彼女が話したくないのなら無理に聞き出すことはしたくなかった。心配そうな瞳で結愛の背中を見つめる。






「佐々木さん、起きてる?」

「およ」


 授業が始まり、大和が上の空の結愛に話しかけるも、彼女が集中してくれることはなかった。大和はいつもは眠っている彼女が起きているので、そのままにして授業を進めていく。風花たちはそんな彼女を心配そうに見つめていた。







「ふ、今日の戦いもようやく終わりの時……」

 訳)今から家に帰ります


 授業がすべて終わり、生徒たちは部活動や帰宅などで次々と教室から消えていく。結愛も帰り支度を進めて、帰宅しようとしていた。しかし……


「……」


 昨日の両親の言葉が頭の中に蘇っていた。


(帰りたくない)


 どんな顔をして両親に会ったらいいのか分からなかった。昨日はあの後両親と話していない。今朝も逃げるように学校に登校してきた。結愛の心の中に黒い感情が巻き起こる。

 結愛はぐっと唇を噛みしめて、教室を出た。そんな彼女の背中を見つめる瞳が一つ……




「……」


 結愛は家に帰るのではなく、屋上へと向かった。帰る前に落ち着いて、自分の気持ちを整理しようと考えたのだ。


「お母さん、お父さん……」


 結愛の頭の中に今まで三人で過ごした日々が駆け巡る。結愛は一人っ子。両親はとても大切に結愛のことを育ててくれた。彼女の胸の中には暖かくて楽しい思い出しかない。悪さをして怒られた時も最後は抱きしめてくれた。優しくて、大好きな両親。でも……


『あの子は俺たちの子供じゃない』


 両親から放たれた言葉が結愛の心を抉る。家族ではない、と言われたような気がしてしまった。一度考えてしまった想いはなかなか消えてくれない。黒い感情として結愛の中に残る。

 そんな彼女のもとに近づいていく足音が一つ。結愛が気がついて、振り返ると、


「愛梨ちゃん?」


 結愛に話しかけたのは川本愛梨だった。愛梨と結愛は教室で席が隣同士。今日一日元気のない結愛を見て、彼女はずっと心配していたようだ。


「およ、愛梨ちゃんにも気づかれていたのね。ごめん、ごめん、大丈夫だよ」

「私で良かったら話聞くよ?」


 誤魔化そうとしていた結愛に、真剣な瞳で愛梨が言ってくれる。その優しい言葉に結愛は迷った。

 相談することがかえって迷惑になるのではないか、こんな重い話を他人にも背負わせるのか、と。だから風花と美羽にも打ち明けられなかった。


「……」


 結愛は唇を噛む。今日一日、たくさん考えた。それでもずっと胸の中の黒い物は消えなくて、苦しい。この気持ちを吐き出したい。結愛は一つ息を吐き、決心する。


「私のお父さんとお母さん、本当の両親じゃないの。昨日偶然聞いちゃって」

「……」

「別に血のつながりだけが家族って訳じゃないと思うけど、今までそんなこと思ったこともなかったから……」


 愛梨は何も答えない。結愛は重くなった空気を明るくするように、力なく笑って言葉をつなぐ。


「ごめんね、いきなりこんなこと言って。でも、ありがと。少し楽になったよ」

「私の両親も本当の両親じゃないよ」

「え……」


 愛梨の告白に今度は結愛が言葉を失った。

 愛梨は3歳くらいの時に本当の親に捨てられた。実の母親はすでに亡くなっていて、実の父親が愛梨を捨てたらしい。その後、今の川本夫妻に拾ってもらい、育てられたそうだ。


「私も本当のことを知ったときはびっくりしたし、信じられなかったよ。でもね……」


 愛梨は言葉を区切って、結愛をまっすぐに見つめると、


「血がつながっていなくても、私の大切な家族であることに変わりはないから」

「……」


 愛梨の言葉に結愛の目が潤む。愛梨は川本夫妻のことが大好きなのだろう。彼女も今の結愛と同様に苦しい思いをした。それでも前を向けた。それは川本夫妻との優しい日々があったから。


「結愛ちゃんもそうでしょ?」

「……うん」


「大好きなんだよね」

「……うん」


「だから、少しびっくりしちゃっただけなんだよね」

「……うん」


 泣き出してしまった結愛を愛梨は抱きしめてくれる。結愛の中の黒い物がスッと消えていくような感覚がした。






「ただいま」

「お帰り」


 結愛が帰宅すると母親の琴子が出迎えてくれる。結愛は琴子を見ると目を反らそうとしたが、愛梨の言葉を思い出し、前を見る。彼女の様子を見て、琴子が口を開いた。


「お母さんたちの話聞いてくれる?」


 結愛はこくりと頷く。

 リビングに行くと父親の正樹まさきが座っていた。普段は仕事でこの時間は家にいないはずだが、結愛のために早く帰ってきたのだろう。結愛はそんな父の行動に胸がギュっと痛くなる。

 両親と向かい合って座ると、早速母親が話を切り出した。


「お母さんは前にお父さんと別の人と結婚していたの。その人とは仕事の都合で生活が合わなくなって、離婚した。でも、離婚してからあなたをお腹の中に宿していることに気がついたの。それからお父さんと出会って結婚したのよ」


 琴子はゆっくりと結愛がきちんと聞いてくれているのを確認しながら、話を進めていく。琴子の隣では正樹が心配そうに結愛を見つめていた。


 両親は周りからはいろんなことを言われたそうだ。結愛の本当の父親はあまり良く思われていなかったらしい。産まない方がいいのではないか、とまで言ってくる親戚もいたようだ。


「……」


 結愛は琴子の話を涙をぐっとこらえながら聞いている。少しでも気が緩むと涙が零れ落ちてしまいそうだった。

 でもね、と琴子は優しく続ける。


「どうしてもお母さんはあなたを産みたかったの」


 結愛は潤んだ目で琴子を見つめて、問いかける。


「……どうして?」

「私のお腹の中にきてくれた、あなたに会いたかったから」


 琴子の優しい言葉を聞き、耐えられなくなった結愛の目から涙が零れ落ちる。


「お母さんはね、前のお父さんとの間に授かった子供という理由だけで、あなたを産まない選択をすることが嫌だったの。誰との子供であっても可愛い私の子供であることに変わりはなかった。だからどうしても私の子供に、あなたに会いたくて、産んだのよ」


「お父さんも同じ気持ちだった。お前に会いたかった。確かにお前と私は血がつながっていない。だけどな、お父さんとお母さんの子供なんだよ」



『会いたかった』


 結愛に会いたいという理由だけで両親は周りの大人を説得し、結愛を産む決意をした。それは結愛とってどんな言葉よりも嬉しい言葉。


「血のつながりよりも、人として、親子としてつながっていることの方が強いと思うの。あなたは誰が何と言おうと私たちの子供よ」


 琴子の目からも涙がこぼれる。声も震えていた。そんな琴子の肩を正樹が抱きしめながら結愛に優しく問いかける。


「お前の名前をつけたのは私たちだ。名前の由来が分かるか?」



『愛を結ぶ』と書いて『結愛』 



「あなたが私たちからの愛情を感じて、自分の中で結んでくれますようにと願いを込めてつけたのよ」

「愛を結ぶ……」


 私は二人に愛されてた。きちんと家族なんだ。

 たとえ血がつながっていなくても確かに自分たちは家族だ。



「会いたい」と願った両親。

「会えて良かった」と感謝する結愛。



 結愛の涙は止まらない。

 泣き出してしまった結愛を琴子が抱きしめ、正樹が頭をなでる。

 その様は誰がどう見ても、家族の姿だった。




















「良かったね、結愛ちゃん」

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