第70の扉  水の国編その3

 翌日も翼たちは水を配り続けていた。たくさんの人が水を求めて並んでいる。すると


「お姉さん!」


 元気な声が響き、一人の子供が走ってきた。3歳くらいだろうか、真っ赤なワンピースが可愛らしい少女がやってくる。


「お姉さんたちが探しているのはこれ?」

「そう、それ! ありがとう」

 

 少女は手に心のしずくを握りしめていたのだ。風花はしずくを受けとると、少女を持ち上げて振り回す。キャーと嬉しそうな悲鳴があがり、二人の少女のまわりにふんわりと花が舞った。彬人がいれば「天使たちが……」と言いそうな状況だが、残念ながら彼は今ここにいない。


「素敵な空間だねぇ」


 翼がぽつりと声を漏らした。彼からもお花が飛び出しているのだが、本人は無自覚である。ほんわか翼の背中を優一がニマニマ眺めていることも、彼は全く気づかない。


「バイバーイ!」

「ありがとう」


 しばらくすると、女の子は元気に手を振りながら、自分の母親の元へと駈けていく。彼女の中にまた一つ心と記憶が戻った。


「……あとは巫女の儀式を守りきるだけか」


 ぽつりとつぶやいた優一の言葉で、全員の顔が引き締まる。

 自分は強くなった。今では魔法を使いこなすこともできている。もう最初の頃の弱虫な自分とは違うのだ。翼は不安を消し飛ばすように拳をギュっと握る。


「……」


 風花はみんなの顔を見渡した。

 翼は何だか苦しそうな表情。優一は眉間にしわが寄っている。美羽と一葉は先ほどの少女の可愛さについて熱く語っているが、寂しげな雰囲気を感じる。それぞれ不安な感情を抱えているのだろう。

 風花はその様子に一瞬顔を歪めるも、自分の感情を殺した。







__________________







 それぞれの想いを抱えて朝を迎えた。朝日に照らされて、神殿が美しく輝く中、緊張、不安、恐怖が浮かんでくる。


「大丈夫、大丈夫、僕は一人じゃないぞ……」


 翼は心を落ち着けるため、ブツブツと呟き続けた。心の中の恐怖を追い出すように。


「行きましょう」


 翼が夢中で呪文を唱えている間に、玲奈が神殿の門の前に立った。今日の彼女は、白衣に赤色袴の巫女装束に身を包んでいる。今の彼女からは不安な感情は読み取れない。凛々しい水巫女の表情をしていた。

 彼女が門に手をかざし、ゆっくりと目を閉じると、神殿にかけられていた結界がふわりと消える。

 準備は整った。玲奈を先頭に神殿へと進んでいく。


「広いね」


 美羽ののんびりとした感想が響く。神殿は高さ20メートル以上あり、天井まで吹き抜けていた。奥には2階部分へと続く長い階段。終わりが見えない程に先が深い。透き通った水のような透明感を持ち、触れれば消えてしまいそうな儚さを感じる。所々に太陽の光が当たり、キラキラと反射していた。


「ほわぁ」


 翼は感動の声を漏らす。緊張していた彼だが、あまりにも美しい光景に、夢中で辺りを見渡していた。こんな幻想的な光景は初めて見る。見惚れていた翼だが、ある一点にその視線を奪われた。


「ぁ……」


 彼の視線の先には風花が。ちょうど彼女がいる場所に、神殿が反射した光が降り注いでいる。白色の髪、白色の魔法衣装が光を吸収し、風花を優しく包み込んでいた。それはまさに妖精や女神が如く。


「すごく、綺麗……」


 その美しさに息が止まった。これからの戦いさえも忘れる、儚くて、美しい光景。翼の手がまた無意識に、風花に触れようと伸びた。しかし……


「何、あれ……」

「嘘だろ、あんな数」


 ドーンと大地を揺るがすような地響きが発生し、翼は現実へと戻ってくる。慌てて後ろを振り返ると、森の妖怪たちの群れが目に飛び込んできた。


「妖怪……」


 玲奈が神殿内に入ったため、結界が消えたのだろう。その数は千、いや二千にも及ぶかもしれない。角が生えているも者、おびただしい数の目を持つ者、巨大な斧を手にする者。見たこともない不気味な怪物たちが。

 対するこちらの戦力は騎士団百人と翼たち5人。圧倒的な戦力差が広がった。誰もが絶望に包まれる中、一つの声があがる。


「風花さん、我々で食い止めます。みなさんは、巫女様と一緒に上へ! 儀式を成功させてください」


 声をあげたのは勝。流石は騎士団団長、彼の頼もしい声に絶望が吹き飛ばされていった。彼を中心に騎士団が雄叫びをあげている。彼らの声に全員が勇気づけられる中、一つのか細い声が。


「騎士様」


 悲しく呟かれた小さな言葉を聞き逃さず、勝は玲奈に歩み寄り跪く。


「大丈夫です。私は必ず追い付きます。巫女様は儀式に集中してください」

「騎士様……必ずですよ」


 玲奈もやはり普通の女の子。恐怖や不安を感じない訳ではないのだ。勝は玲奈を安心させるように、にっこり微笑むと翼たちに玲奈を託した。


「玲奈さん、行きましょう」


 風花が彼女と手を繋ぎ、奥の祠へと進んでいく。騎士団の半分が、翼たちと共に上に上がった。


「恋だ!」「恋だね!」


 先ほどの玲奈たちのやり取りがハートを打ち抜いたのだろう。美羽と一葉が二人で盛り上がっていた。


「おい、お前ら、戦いの途中だぞ」

「はーい」「ごめんなさいー」


 キャーキャーといつも通りに騒いでいる彼女たちを見ると、ほんの少し肩に入っていた力が抜けた。










 長い階段を登り切ると広い空間が広がっていた。相変わらず透き通った壁と床。そして奥には祠がある。


「今から儀式を始めます」


 玲奈は祠の前に座り、手を組み祈りを捧げ始めた。玲奈の回りに薄く結界が張られていく。この結界が万が一の時、彼女を守る最後の盾となるようだ。

 扉の奥では勝達の戦っている音が響いてくる。彼らは無事なのだろうか。ここは戦場、命のやり取りの場所。今こうしている間にも消える命があるかもしれない。


「っ……」


 翼は自分の中の大きな恐怖を感じて、身体が震えだす。深呼吸を繰り返し、心を落ち着けようと努力するも、どんどん息苦しくなる、その震えは止まらない。


 落ち着け、大丈夫。僕は今まで頑張ってきたんだ、強くなってきたんだ。最初の頃の弱虫な僕じゃない。大丈夫、できる、できる


 翼が自分の心の中の恐怖と戦っていた時


 シュン!


「どうも、こんにちは。私はカカシと申します」


 いきなり扉の前に不気味な雰囲気を放つ、数百人の妖怪たちが。

 そしてカカシと名乗った妖怪。彼は小柄な身体で、その身体には似合わないような大きな杖を持っている。彼が妖怪の一団を指揮しているのだろう。一人だけ放つ威圧感が桁違いだ。


「瞬間移動かな」


 威圧感にびくつきながらも、翼が風花に声をかける。彼らは一瞬で出現した。そして、扉の奥ではまだ騎士団たちの戦いの音が響いている。翼の言う通り、瞬間移動をしてきたのだろう。


「うん、でもあの妖怪たちを犠牲にして、ここに移動してきたんだと思う」


 風花は妖怪たちの足元を指さす。現れた一団の後ろに、何人もの妖怪が倒れているのだ。


「(ゴクリ)」


 倒れている妖怪を見て、改めて自分の置かれている状況を認識してしまった。ここでは命が奪われるのだ、と。落ち着きかけていた震えが再び出現する。


「そこにいらっしゃるのが、巫女様ですね」


 カカシの鋭い視線が玲奈に注がれた。彼女の元にたどり着かせてはいけない。水の国の運命がかかっているのだ。震える身体を無理矢理落ち着けて、杖を持つ手に力を込める。

 今、妖怪たちとの戦闘が始まる。騎士団、風花、優一、美羽、一葉はそれぞれが妖怪たちと戦うために動き出した。そして翼は……









 戦いの音が響く中、彼一人だけが動けないでいた。

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