第64の扉  移動姉弟編その5

「見てもらえるんだ、初めてなんだよ、褒めてもらえるかもしれないんだ。俺に、渡してくれないか……」


 瞬は苦しそうに風花に頼み込む。姉が失敗した任務に弟が成功する。確かに姉を越えた証明になるだろう。彼がずっとこだわっている証明に。


「……」


 風花の瞳に困惑の色が浮かび上がる。自分がしずくを渡せば、瞬は救われるだろうか。渡した方がいいのだろうか。風花はしずくをギュっと握ったまま何も答えられない。


「一緒だな」

「え……」


 風花が何も言えずにいると、後ろから優一が出てくる。座りこんでいる瞬の元まで歩いてくると、彼と目線を合わせてしゃがんだ。


「俺もずっと兄さんと比べられてきたんだ」


 優一の兄は今は日本一と呼ばれる大学に通っている。優しくて大好きな兄。しかし、両親が見ているのは兄だけだった。

 テストでいい点数を取っても、どれだけいい子でいても、優一は両親の目にも映らない。両親の中ではいい成績を取るのは『当たり前』。兄も『当たり前』のように通ってきた道。優一も兄も努力していることに変わりはないのに。


「……成瀬くん」


 風花は優一の背中を瞳に映す。彼が出発前に見せていた表情はこのためだろう。

『上が優秀だと、下は大変』

 自分の境遇と、瞬の境遇がぴったりと重なった。大好きで憧れの存在の兄と姉。でもその影が邪魔をする。彼らの中には同じような黒い感情が渦巻いていたのだろう。


「でも、こいつらに出会って分かった気がするんだ。見てくれる奴はいるんだって。俺の努力を、頑張りを見てくれる、頼ってくれる。そういう奴が一人でもいればいいのかなって、最近は思えるようになってきたんだ。いつか両親も見てくれる時が来るかもって」

「……」

「お前の魔法凄いぞ。あんな速さ全然追い付けないし、俺たち5人がかりでやっと勝てるかどうかってところだった」


 優一は優しく見つめると、今までで一番暖かい声で話しかける。



「寂しかっただけだよな」



「……」

「お前の強さは俺たちが認めてる」


 優一の言葉が瞬の心の中に入っていく。誰かに認めてほしいだけだった。自分のことを見てくれればそれでよかった。瞬がほしかった言葉を彼は言ってくれた。

 そして、それは似た境遇の中に居た優一だからこそかけられた言葉であり、嘘偽りのない言葉だからこそ彼の心に真っ直ぐに届いた。

 ボロボロで傷だらけだった瞬の心が癒されていく。胸の中に渦巻いていた黒色の感情が消えていく。


「それにお前の姉さんも認めてるんじゃないか?」

「え?」

「そうだよな、紅刃?」


 優一が扉に向かって話しかけると、奥から紅刃が姿を現した。瞬が自分の過去を語っている間にやってきたらしい。


「瞬、ごめんね。あんたの辛い気持ちに気づけなかった。姉として失格ね……」

「違う、そんなことない。俺はずっと姉さんに追いつきたくて」

「もう追いついてるわよ。むしろ追い越されてるくらいだわ」


 紅刃はため息をつきながら、瞬を抱きしめる。彼女からは以前の鬼ごっこのような威圧感、冷たさは全く感じない。優しい姉の姿をしていた。


「ごめんね、瞬。私、自分のことで精一杯だったのよ」


 紅刃の肩には幼い頃から両親や周りからの期待、責任、重圧、重すぎるものがずっしりと乗っていた。その重圧に毎日押し潰されてしまいそうなくらいに。

 優秀だと言われて、みんなに担ぎ上げられて、いつの間にか失敗できない環境になっていた。しずくを奪う任務に瞬の能力をコピーしたのも、彼のことを優秀だと、強いと認めているからの行動だったのだろう。


「姉さん、ごめん、俺も姉さんの思いに気がついてなかった」

「お互い様ね。二人とも自分のことで精一杯で気がつけなかったのね」


 二人で恥ずかしそうに笑い合う。それは暖かな姉弟の姿だった。


「優一くん、今日もありがとうぉ」「成瀬くん、ありがとう」

「こちらこそ、いつも頼りにしてくれてありがとう」


 優一は一番の笑顔で答える。彼の中に渦巻いていた黒い感情はもう消えていた。






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「「「お帰りなさい!」」」

「ジャーン!」


 太陽が開いてくれてた扉をくぐり、風花たちが無事帰還する。

 翼たちに誇らしげにしずくを掲げている結愛。完全に復活したようだ。真っ白な顔も元に戻って元気に騒いでいる。他のメンバーもそれぞれ魔力の消費はあるものの、特に怪我もなく無事に帰還。居残り組の3人もホッと安心していた。


「ただいま」

「!?」


 そんな中、風花が柔らかい笑顔を翼に向ける。自分の中の感情に気がつき始めた翼が、ボンッと音を立てて赤くなった。


「ん?」


 風花はその音に首を傾げていたが、翼が顔を隠すように彼女から距離を取る。彼の背中をにやりと笑った優一が追いかけていった。


「おい、翼。お前、ついに気がついたか?」

「うっ……」


 優一の言葉に翼から苦しそうな声が漏れる。優一は全てお見通しなのだろう。ニマニマと不敵な笑みを携えている。彼に嘘はつけないようだ。


「正直良く分からないんだ。僕、人を好きになったことなんてないし。桜木さんのことは好きだけど、それは友達としてっていうか、いろいろ助けてもらってきたし……」


 彼自身今の感情に戸惑っているのだろう。必死に理由を並べ立てている。


「初々しいねぇ。落ち着いて考えればいいんじゃないか? 俺で良ければいつでも相談に乗るし」

「優一くんっ!」


 翼は目を輝かせて、彼の手を握りブンブンと振り回す。翼の素直な反応に戸惑いながらも、平和な日常がずっと続くことを願った。








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「瞬、紅刃」

「京也」「京也様」


 風花たちの帰った魔界の城で、京也が二人の前に現れる。紅刃は瞬の言葉遣いをたしなめるが、京也は気にしていない、と紅刃を制した。

 京也と瞬は同い年。瞬が砕けた言い方になるのも無理はないが、京也は一応魔界の王子。姉としては弟の無礼な態度が気になるだろう。


「京也、要件はなんだ?」

「すまなかった」

「「え?」」


 京也はぺこりと頭を下げる。紅刃も瞬も彼の行動の意味が理解できていないようで、ポカンと彼の頭を眺めていた。しかし、すぐに紅刃が現実に意識を引き戻し、真っ青になって慌てる。


「頭をお上げください。一体何のことなのか全く……」

「お前たちの苦しみに気がつくことができなかった。すまない」

「そんなこと……」


 紅刃は魔界の王子である京也に頭を下げられ、心臓が止まりそうになっている。京也は先ほどの会話を聞いていたのだろう。紅刃を魔界四天王に任命したのは京也だ。彼が事情を知らなかったとは言え、瞬たちを苦しめる一因になってしまっていた。

 紅刃が慌てる中、瞬がため息をつき尋ねる。


「京也、お前話聞いてたな。なんでしずくを取りに来なかった? 俺はずっと持っていたんだぞ」


 瞬の言葉を聞き、京也がやっと顔を上げた。京也が参戦して撃退すれば、今頃彼の手の中に心のしずくはあっただろう。しかし、彼はそれをしなかった。

 京也はいたずらっ子のようににんまりと笑う。彼のその笑みを見て、瞬が困ったように問いかけた。


「お前、しずくを奪う・・気ないな?」

「お前こそ、俺にしずくを渡す・・気なかっただろう?」


 思ってもみなかった京也の反撃に瞬は黙る。

 瞬がしずくを渡していれば、紅刃を越えた証明となる。しかし、それでは魔界四天王である紅刃の立場を危うくする行動。だから帰ってきても、自分でしずくを持ったままだった。瞬自身、本当に渡してもいいのかどうか迷っていたのだろう。


「だからお前は渡さなかった。違うか?」

「京也様、申し訳ございません。我ら姉弟のいざこざのせいで、心のしずくを入手する折角の機会を……」


 紅刃は京也の言葉に青い顔をさらに青くさせる。瞬の頭を強引に掴み、自分と一緒に下げながら謝った。


「紅刃、それはいい。お前たちのことがなくても瞬の言った通りだからな」

「一体どういう……」

「まぁ、気にするな」


 京也は手を振り去っていく。紅刃はポカンと彼の背中を見送ったのだが、瞬が真剣な顔で問いかけてきた。


「もし、董魔様と京也、どちらかを選ばないといけないとしたら、姉さんはどちらを選ぶ?」


 董魔と京也。二人は親子であり、魔界の王と王子。

 董魔は何者も寄せ付けない威圧感と実力を持つ。京也も董魔同様の威圧感を放つこともあるが、それはどこか寂し気な雰囲気を含んでいた。似ているようで似ていない二人。


「……」


 京也が時折見せる苦し気な表情と、先ほど彼が言った言葉の意味。


『しずくを奪う気がない』


 この言葉は本当なのか。京也と風花は幼馴染。いくら命令と言えど、彼女を苦しめる行為を本当はしたくないのだろう。

 そもそも京也の実力であれば、風花たちからしずくを奪うことは容易いはずだ。彼はとてつもなく強い。たとえ精霊の真の力を発揮する翼たち相手でも、軽くひねり潰せるくらいの実力を持つ。それをわざとやられたフリをして帰ってきていた。


 心のしずくを奪いたい董魔と、奪いたくない京也。


 もし京也が任務を拒否すれば、董魔が風花の元へと向かうだろう。董魔は京也よりも強く、残酷だ。彼女の心のしずくは一つ残らず奪われてしまう。風花の命を奪ったとしても。

 それを避けるために京也は自分の心に蓋をして、必死に風花たちの敵を演じる。彼女たちに見せかけの攻撃を仕掛けながら、任務をこなしているフリをする。


 彼はどれほどの感情を押し込めているのだろうか。京也の気持ちを思うと、紅刃は自分の胸が痛むのを感じた。


「……京也様を選ぶと思うわ。私のできる限りお助けしなくては」


(あのお背中に背負わせるには、この運命は重すぎる)


 紅刃は遠ざかっていく京也の背中を見つめて、苦しそうに顔を歪めた。

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