第63の扉  移動姉弟編その4

「これは返してもらうねぇ」

「!?」


 後ろから声がして瞬が振り向くと、颯がしずくを奪おうと手を伸ばしていた。バチバチと心地よい雷の音が瞬の耳に届く。今の颯は自分の電気と風花の風の加護で、かなりの速さを手に入れていた。これでしずくに手が届く、はずだった。


「……っと!」


 瞬はしずくを奪われる前にするりと移動。距離を取った場所に息を切らして現れた。やはり彼の移動速度は凄まじい。びゅんと彼と一緒に突風が吹き抜ける。しかし、相当焦ったようで彼の額には汗が滲んでいた。


「くっそぉ!」


 瞬に逃げられた颯が悔しそうに呟いている。後ほんの少しでしずくに手が届いていたのだ。


「は!?」


 颯が悔しがっていると、瞬から驚きの声が漏れる。瞬は今乱れた息を整えていたのだが、そんな彼の後ろにうららが現れ、しずくへと手を伸ばしたのだ。


「全く、危ないなっ。……!?」


 瞬は息も整いきらないうちに再び移動。うららの手もあと一歩届かなかったが、再び彼に手が伸びた。

 瞬一人に対してこちらは颯とうららの二人がかり。息を吸う隙さえ与えないスピードで着実に瞬を追い詰めていく。現れては消える三人の攻防が幾度となく繰り返された。






「はぁ、はぁ……」

「流石に、きっついのだけどぉ」


 苦しそうな息遣いが響き渡る。瞬はもちろんのこと、颯とうららも限界が近い。

 瞬のスピードはとてつもなく早い。風の加護を受け、電気と光を纏っている二人でさえもその手は届かない。確実に追い詰めてはいるものの、あと一歩、ほんの少しが届かないのだ。


groundグランド wallウォール!」

「5秒後、こっちに戻ってきて。5、4、3、2、1」


 三人の体力が限界に近付いてきた時、結愛が左右に土の壁を作り出し、風花が颯とうららに指示を飛ばす。カウントダウンが終わると同時に、二人は戻ってきた。


「っ!?」

groundグランドcrashクラッシュ!」


 瞬の理解が追いつかないうちに、結愛が両手のひらを合わせ、力いっぱい叫んだ。それと同時に彼女が左右に作り出していた土の壁が、真ん中にいる瞬をめがけて物凄い勢いで閉じる。


「やったか……」


 部屋中を土煙が満たし、状況が分からない。部屋の真ん中には閉じ切った土の壁が沈黙しているのみ。瞬の姿は確認できない。結愛がゆっくりと土の壁を開くと……


 そこに瞬の姿はなかった。


「危ないな、全く」


 その声に振り返ると、息を切らした瞬が。結愛の土の壁をかわしたようだ。やはり彼の移動速度は凄まじく速い。


「どんだけ速いのぉ……」


 体力を減らして、瞬の隙をついた攻撃。それさえも彼はかわした。自分たちに勝ち目はあるのだろうか。


「結愛ちゃん!」

「およ……ごめんね、風ちゃん」


 突然、パタリと結愛が倒れ込む。額には汗が噴き出ており、息も苦しそうだ。

 結愛は先ほどの大規模攻撃で魔力のほとんどを使い切ってしまったのだろう。魔力欠乏症状である発汗、呼吸苦、顔面蒼白などが出現していた。

 風花が声をかけると、結愛は意識を手放した。


「次で決めるよぉ」

「はい」


 瞬の息は切れている。追い詰めているのは確かだ。しかし颯、うららの体力と魔力も限界が近い。こちらも長くはもたないだろう。

 次が恐らく最後のチャンス。今回の高速移動勝負で勝敗が決するだろう。


「成瀬さん」

「あぁ、分かってる」


 うららの合図で優一が杖を持つ腕に力を込める。魔界侵入前、風花が託してくれた作戦を実行する時が来た。二人はあの時見た風花の顔を思い出す。

 優一とうららにだけ見えた風花の表情。彼女はあの時、花が咲いたような笑顔を向けてくれたのだ。今までの笑顔とは比べ物にならない、眩しい笑顔。

 二人は頭の中に風花の笑顔を貼り付けて、心を落ち着ける。


「「speedスピード!」」


 息をつく暇もない移動合戦が開始。三人の顔が苦痛に歪み、汗が滴り落ちる。全くスピードの落ちない緊張感の漂う移動勝負。最後に微笑むのは一体どちらか。


「……」


 優一は対照的に、ゆっくりと呼吸を繰り返す。鼓動を落ち着けて、その瞬間を待つ。自分に任された、その一瞬のために全神経を研ぎ澄ます。

 そして、その時はやってきた。


「成瀬さん!」


 うららの声が響き渡る。優一は彼女の合図の方向へ杖を向け、魔力コントロールに集中する。


waterウォーターwallウォール!」

「はっ! どこ狙ってやがる!」


 優一の集中力が極限まで高まった時、水の壁が合図通りの場所へ出現。それとほぼ同時に瞬が姿を現すも、ほんの少し位置がずれていた。彼に攻撃は届かない。瞬はあざ笑うような笑顔を向けた。

 しかし、優一は全く動じていない。計算通りと言わんばかりの満面の笑みを張り付けている。


「狙いはお前じゃねーよ。神崎!」

「はい!」


 瞬間移動してきたうららが水の壁の中に飛び込んだ。瞬は彼女の行動に驚きながらも、しずくを奪われないように警戒する。しかし……


「やりました!」


 うららの嬉しそうな声が響いた。彼女の手には心のしずくが。ついに瞬へ手が届いたのだ。


「一体、何が……」

「屈折だよ」


 状況を理解できていない瞬に、優一が種明かしを始める。

 先ほど、うららの体は光になっていた。そのため、水の壁から屈折して飛び出したのだ。今まで真っ直ぐに移動していた彼女だが、最後だけ曲がって飛び出したので、瞬へと手が届いた。


「成瀬くん、うららちゃん!」


 柔らかく微笑んだ風花が二人の元へ駆け寄り、抱きしめる。彼女の瞳から罪悪感はすっかり消えていた。

 この作戦は風花が考え、提案したもの。成功のためには


 ・うららが瞬の位置を予測できること

 ・優一が正確な位置に水の壁を作り出せること

 ・うららが瞬時に水の屈折角を計算して、水の壁に飛び込めること


 この3つの条件が1つでも達成できなければ、成功できない作戦だった。


 その高度な作戦を二人はやってのけたのだ。優一は学年主席、うららはトップ5。この二人だったからこそ成功できた作戦だろう。

 そして、優一とうららを信じて作戦を託した風花、うららが必ず瞬の位置を見極めると信じた優一、自分の指したところに必ず壁が来ると信じたうらら。この3人の信頼関係がなければ成功はしなかっただろう。


「返せよ! それがないと……」


 瞬は崩れ落ち、苦しそうに頭を抱えている。しずくは無事に取り戻せたが、様子のおかしい彼に全員臨戦態勢は崩さない。


「やっと認めてもらえると思ったのに……」


 しかし、瞬に攻撃の意思はもうないようだ。ぺたんと地面に座り込んで、風花たちに自分の過去を打ち明け始める。






「瞬、おはよー」


 魔界でも日本の学校のような施設があり、子供たちはそこで魔法の使い方などを勉強して幼少期を過ごす。賑やかな子供たちの声が至る所から響いていた。そんな中


「凄いよな、紅刃さん! 頭もいいし、コピー能力だぜ。最強だよな」


 瞬の姉である紅刃は、どんな能力でもコピーしてしまう。紅刃の力は幼少期からとても強力で、その噂は瞬く間に学校中に広がった。


『期待のエース』『未来のこの国を背負う逸材』


 みんなの注目は紅刃のみ。しかし、瞬は姉が褒められることは嫌いではなく、むしろ誇らしかった。自分のことのように嬉しかったのだ。

 紅刃はとても優しくて、頼りになる。年が5つ離れているが、いつも自分に優しくしてくれた。大好きな姉、自慢の存在。


「でも……」


 最初は誇らしかった姉の存在が、次第に暗い影を生み出した。

 姉ばかりでなく、自分のことも見てほしいという感情が沸き上がってきたのだ。しかし紅刃の人気は何年経っても全く衰える気配を見せない。それどころかますます人気になっていく。

 ちゃんと自分を見てほしい。僕のことも褒めてほしい。瞬の思いはどんどん強くなる。しかし、いつも姉の影が邪魔をした。


「紅刃さんはすごいよな。お前はあの人の弟なのに、それくらいの魔法しか使えないのかよ」


 友人たちの言葉が瞬の心を抉る。

 瞬の心を友達の言葉が抉る度に彼は練習に励んだ。もっと速くなれば、自分のことを見てくれるかもしれない。もっと、頑張らないと姉には追いつけない、追い越せない。


「紅刃さんだったらコピーもできるし、もっと早い瞬間移動まで付与できるんだよな?」


 何度も友人たちの言葉が瞬の心を抉る。

 確かに紅刃の魔法を使えば、自分の魔法は簡単にコピーされてしまう。さらに上位魔法である瞬間移動を使うことも彼女は可能だ。瞬がここまでの速さを手に入れるには、たくさんの修行と時間を費やしてきた。しかし、紅刃はその努力の成果のさらに上を一瞬で手に入れる。


 誰一人として瞬の努力を見てくれる人はいない。

 それは魔法だけではない。成績はトップクラス。運動神経も抜群。瞬がいくら努力をしても『当たり前』といわれる。瞬のことは誰も注目しない。両親でさえも見ているのは姉の紅刃だけだった。


 お願い、誰か僕のことも見てよ。僕に気づいてよ……


 何をしても注目されるのは姉ばかり。彼の心の叫びに気づいてくれる人は一人もいない。姉の陰に隠れてこのまま終わるのだ。もうダメだと諦めかけていた。そんな時……



 今までどんな仕事も失敗したことのない紅刃が、失敗したと聞いた。

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