第59の扉  弱虫の鎖

「どうされたのですか?」

「んふふっ」


 家に帰宅した風花は、嬉しそうに口元を押さえている。全く隠れていないが、彼女なりに隠しているつもりなのだろう。太陽は彼女の様子に思わず笑みを零していた。


「相原くんが来たら、お話ししてあげるね」


 翼関係で嬉しい報告が聞けそうだ。彼の努力を見てきた太陽も心が躍り出す。


 ピンポーン


「あ、来た!」


 風花が弾みながら玄関へと迎えに行く。今日の魔神との戦いで中央投下が成功したのだ。ずっと練習を見てくれた太陽の前で是非披露したい。風花はルンルンで玄関の扉を開いた。


「相原くん、こんにち……」


 扉を開いた風花の動きが止まった。瞳の中からキラキラが消えて、戸惑いの感情が浮かび上がる。


「桜木さん、こんにちは」


 彼女の目の前には翼が。いつも通り風花に微笑んでくれるのだが、その笑顔は何かを隠すように苦しい微笑み。彼から何か黒い雰囲気が漂っているようにも見える。学校で別れた時には、技を太陽に見せられると喜んでいたのに、今はその喜びの感情が一切見られない。彼に何があったのか。

 風花は戸惑いながらも、とりあえず彼をリビングへと連れてくる。


「翼さん?」


 リビングで待っていた太陽も、彼の異変に気がついたようだ。困惑の表情を浮かべながら、風花と共に翼の前に腰掛ける。


「どうしたの?」

「……大丈夫だよ」

「大丈夫にみえない」

「……何もないよ」


 翼は今までに見たことがない重く、悲しい表情をしている。風花と太陽が心配そうに見つめる中、力なく笑って口を開いた。


「……大丈夫だよ。さぁ、練習しよう? 今日もよろしくおねがいします」


 翼はそう言うと顔を隠すように、ぺこりと頭を下げた。彼からは今にも壊れてしまいそうな儚い雰囲気が漂っている。一体何があったのだろうか。

 風花と太陽はお互いに顔を見合わせていたが、しばらくして動く。


「もしよかったら教えてくれる?」


 風花は翼の手を優しく包み込む。彼女の暖かな体温が伝わってきて、翼は胸がギュっと苦しくなった。


「っ……」


 唇を強く噛んでいた翼だったが、しばらくするとポツリと話し始める。





 __________________






「~♪」


 翼は風花の家へ行くため、帰り支度を進めていた。鼻歌を歌いながら上機嫌である。その理由は、ずっと練習していた中央投下が成功したから。


「やっと、できたんだ♪」


 最初は全くうまくできなかった中央投下。

 筋力が足らずに何日も筋肉痛に苦しんだ。打ち身や擦り傷などいくつも怪我をした。怖くて逃げだしたい気持ちを押し込めて、毎日のように練習に励んだ。


「僕だけできなかったけど、やっと……」


 今回、翼はみんなとの違いを認識してしまうこととなった。優一や彬人、颯の男性陣が何とか形にしていく中、翼だけがなかなかうまくできない。相手に怪我をさせてしまったらどうしよう、という気持ちが強く表れ、思い切り力を込めることができなかったのだ。

 しかし、努力が実を結び成功。風花と太陽には何回も練習に付き合ってもらったが、ついにできた。早く報告をしなくては、と翼はニコニコしながら風花の家へ急いでいた。しかし……


「やぁ、弱虫くん」

「伊東、くん……」


 伊東ひさしが翼の前に立ちふさがった。彼の登場に翼の顔から笑顔が消える。

 ひさしは身長が高く、体格が良い。彼はいつもピリピリとする威圧感を放ってくるのだが、今日はその雰囲気の中に禍々しさを感じるような気もする。

 翼がそんなことを考えていると、ひさしが口を開いた。


「今日、大きな魔神倒してたな?」

「……」

「お前みたいな弱虫が魔法使いねぇ」


 ひさしはギロリと目を光らせて、翼との距離を詰めてくる。その瞳に小さく悲鳴を漏らしながら、翼の頭の中には彼が植え付けた言葉たちが駆け巡った。


『弱虫』『足手まとい』『役立たず』


「桜木風花だっけ? あいつはすごいな、大きなハンマーで魔神をドカンって。あとは盾を作って校舎を守ってくれた奴もいたな?」


 翼の中に負の感情が渦巻く中、ひさしは更に言葉を紡ぐ。


 確かに風花はハンマーで魔神を攻撃し、活躍していた。他のメンバーも活躍している。

 それは今日に限ったことではない。ダンジョン攻略戦、月の国、鬼ごっこ、他のメンバーがすごい作戦を思いつき、活躍していく中、翼は大した活躍をしてきていない。それは彼自身が一番よく分かっていた。


「……」


 翼の頭の中に今までの冒険の記憶が駆け巡る。自分は今までみんなの役に立てたのか、と。

 今日もリーダーとして頑張ろうと思った。みんなを引っ張って、魔神を早く倒さなくてはいけないと。でも、何もできなかった。魔神の恐怖に震えながらも、必死に頭を働かせたが、作戦は全く思いつけず。結局風花に救われた。自分はただ風花を投げただけ。何も活躍できていない。

 自分の無力さを感じ、拳を握る。


「ほんとにお前は何の役にも立たない弱虫だよな」

「……」


 ひさしは出逢ってからずっと翼の心を縛り続けていた。

 翼とひさしは一年生の時に同じクラス。ひさしは翼を『弱虫くん』と呼び、パシリのように使っていた。宿題をやらせたり、翼が嫌がりそうなことを何でもやらせた。そして彼が失敗するたびに『足手まとい』『何もできない弱虫』と冷たい言葉を投げつける。彼の言葉が鎖となって、翼の心を強く縛った。


 そんな彼が一番冷たく、残酷な言葉を翼に投げる。



「お前、いなくてもいいんじゃねぇか?」




 ※※※※


 僕から事情を聞いた桜木さんと太陽くんは、いつもより真剣な表情をしていた。ごめんね、こんな暗い話をしてしまって。でも、伊東くんの言う通りなんだ。僕は何もできない弱虫だから。


「優一くんや神崎さんみたいに知識豊富なわけじゃないし、彬人くんや颯くんみたいな発想力も、藤咲さんみたいな運動神経も、横山さんや佐々木さんみたいな対応力も僕にはない」


 僕にはないものばっかりだ、何にもない、できない。みんなができることができない。


「ダンジョンでも僕だけ・・が負けた。僕だけ・・が足手まといになった」


 君を、殺しかけた……


「二人がこうやって練習に付き合ってくれてるのに、僕は全然強くなれない……」


 僕がいなくてもみんなを守れる。僕がいない方がきっとすべてうまくいくんだ。

 ひさしくんに言われた言葉がギュっと心を締め付ける。

 僕はいなくてもいい。


「僕だけ活躍できない」


 ※※※※



 翼は悲しい言葉を呟いた。ひさしはずっと翼の心を縛っているのだろう。彼が植え付けられている鎖は冷たくて、重い物。風花はその痛みを思い、自分自身の胸がギュっと痛くなった。彼女の顔が苦痛に歪む。


「相原くん……」


 しかし、自分が感じている痛みよりも翼の方が痛いだろう。風花は自分の胸の痛みを押し込めて、彼へと言葉を紡いでいく。


「戦いで活躍することだけが強さじゃないよ」

「……」

「相原くんも十分強いんだよ」

「桜木さん……」


 彼女の言葉でうつむいていた翼が顔を上げた。今、風花の瞳に同情や不満の色は浮かんでいない。透き通った優しい光が彼女の瞳に宿っている。彼女は翼に対して、負の感情を一切抱いていないのだろう。

 風花は優しい瞳のまま言葉を紡いだ。


「私がローズウイルスに感染した時、ダンジョンに行こうって言ってくれたのは相原くんだった。それは相原くんに『勇気』っていう強さがあったから」

「勇気……」

「そう、相原くんはその勇気をいざという時に出せるんだよ。もう十分強い」


 風花は翼に優しく微笑みかけてくれる。その微笑みを見て、翼は目頭が熱くなった。


「初めて会った時からそう。私が京也くんに襲われていた時、あなたは戻ってきてくれた。月の国でも私を助けてくれた。鬼ごっこの後、舞台で先輩たちの声に傷ついた私の隣に立ってくれた。必死にみんなのリーダーであろうとしてくれる。みんなのことを引っ張っていこうと頑張ってくれている」


 翼は風花の言葉に驚く。そんなに自分の頑張りを見ていてくれたのかと。

 頑張ってもちっとも結果を出せず、苦しんでいた翼に風花は『強い』と言ってくれた。

 翼の胸に暖かな感情が広がり、胸が苦しくなった。頬に一筋の涙が伝う。


「姫だけではありません。私も含め、みなさん、翼さんの努力と強さを認めています」

「誰もあなたのことを『いなくていい』なんて思ってないよ」


 二人の優しい言葉が翼の中の黒い言葉たちを洗い流していく。ポロポロと涙が溢れて止まらない。


「それにね、これからもっと強くなれるよ。こんなに頑張って練習してるんだもん」


 風花はニコリと微笑んで、翼の手を握る。



「大丈夫、一緒に強くなろう」



 彼女たちの言葉に翼の涙は止まらない。風花の笑顔が涙でぼやけてよく見えなくなった。

 傷ついた翼の心の傷が消えていく。ずっと翼を縛っていた言葉よわむしの鎖が薄れていく。


 そっか……

『弱虫』と言われ続けてきた僕でも『強く』なれるんだ。

 僕も一緒に戦っていいんだ。

 隣に一緒に立ってくれる人がいるって、こんなにも心強くて暖かいんだね。


 風花はずっと翼の手を握っていてくれた。太陽は泣いて震える背中を優しくさすっていてくれる。翼の心が暖かな感情で満たされていった。


「……ありが、とう」

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