第47の扉 鬼ごっこ編その5
シュン
風花の背後に鬼が現れ、タッチしようと手を伸ばした。
「来た」
鬼の動きを捕らえた風花が、素早くその顔面に自分の持っていた剣を叩き込む。物凄い勢いで体育館の壁まで一直線に吹き飛んでいった。ドンと鈍い音が体育館に響き、鬼はピクリとも動かなくなり、煙となって消えていく。
「本当に倒した……」
「マジかぁ」
「あいつは本当に人間か?」
あまりにも一瞬過ぎる出来事に、翼たちは口を開けて放心状態。風花を信じていなかったわけではないが、驚きを隠せないのだ。
「約束、守った」
風花は満足げに翼たちの方を振り向いてくれる。確かに彼女は今そこに立っている。鬼は風花に触れる暇なく飛んでいったので、彼女は無傷だ。風花は約束を果たした。
「っ……」
翼は無事な風花の姿に安心すると共に、モヤっとした感情を抱える。
風花は強い、とても強い。心のしずくが散らばって魔力が不完全な今でも、これだけのことをやってのけるのだ。自分が守りたい、と手を伸ばさなくても、十分なくらいに強い。
しかし、彼女の強さは脆くて、とても儚いように見えた。風花はどこまでも他人優先で考える。その考えはいつか自分自身の身を亡ぼすだろう。
「相原くん?」
翼は無意識に風花へと手を伸ばし、彼女の小さな手を握りしめた。風花は翼の行動の意図が理解できず、コテンと首を傾げているが、翼はギュっと力強くその手を握る。
今はまだ手が届く。しかし、いつか彼女は自分の手が届かないところに行ってしまうのではないだろうか。僕はそれがどうしようもなく怖い。
「?」
翼の手はほんの少し震えているように思えた。風花には彼がどうして震えているのかが理解できない。しかし、胸がキュッと痛くなるような感覚を覚えた。この気持ちは何だろう。
【おめでとう、あなたたちの勝ちね】
風花が首を傾げていると、校内放送から紅刃の声が響く。鬼が5人全員消滅したため、風花たちは戦いに勝ったのだ。学校の生徒全員を取り戻すことができた。
「わぁ!」
風花から嬉しそうな声が飛び出す。鬼ごっこで脱落してしまっていた彬人たちが、姿を現したのだ。消えてしまってからは真っ黒な空間に居ただけで、全員特に怪我もなく無事。安心した風花が目を輝かせながら飛びついた。
「風ちゃん!」「心配かけてごめんね」
瞳を潤ませて抱き着く風花の頭を、美羽と一葉が撫でてくれる。その心地よさに風花の頬が緩んだ。余程心配だったのだろう。風花は美羽たちを抱きしめて離そうとしない。
「翼」
そんな彼女たちを難しい顔をしながら眺める翼の元へ、優一が。彼も翼と考えていることは同じだろう。風花の戦い方はあまりにも危なくて脆い。彼女が消えないように守るのは自分たちの役目だ。二人はその瞳に儚い彼女の存在を映す。
「なんだ?」「何が起きたの?」「怖いよ」
風花たちがお互いの無事を喜んでいると、消えていた生徒たちが姿を現し出した。あちこちでパニックを起こしている。彼らからすれば、突然真っ黒な空間に閉じ込められて混乱したことだろう。
「あ……」
それを見て風花はまた泣き出してしまいそうな悲しい表情を見せた。しかし、唇を噛みしめてその感情を押し込めると、普段の無表情を貼り付ける。そして
「お話があります……」
風花は心のしずくのこと、それを狙って敵が攻めてきたこと、今後も攻めてくる可能性はゼロではないことを全校生徒に伝える。
「桜木さん」
今の彼女は普段通りの無表情で体育館の壇上に立っている。しかし、いつも彼女と一緒に居た翼には、風花の感情の変化が分かった。
今、風花は泣き出してしまいそうなくらいの恐怖を感じている。
先ほど一瞬だけ見せた風花の表情の変化。泣き出してしまいそうな悲しい顔。それは鬼ごっこ開始直前にも見せていた表情だ。戦闘が怖いからと思っていたが、そうではない。彼女が怖いのは学校のみんなを巻き込んでしまったこと。
「怖い想いをさせてしまって本当にごめんなさい。私がみなさんを守ります。だから……」
風花は無表情のまま壇上で話し続けている。
自分がみんなを守るから。みんなの日常は壊さないようにするから。絶対に怖い思いはもうさせない、怪我もさせない、死なせない。自分があなたたちの盾になるから。
そんな風花の言葉に翼たちはギュっと胸が痛くなる。彼女は大切なものを守ろうと、自分を犠牲にする。大切な物が増えれば増えるほど、彼女は壊れていく。このままではいつか彼女は消えるだろう。
「しずくが集まるまでの時間を、私にください」
風花はぺこりと頭を下げる。
翼はそんな彼女を瞳に映し、ぐっと拳を握った。どこまでも優しくて、暖かい少女。しかしそれは他者限定。自分自身にはとことん冷たくて残酷な判断をしてしまう。
翼たちの足は自然と風花の元へと進んでいった。
「いきなりそんなこと言われても」
「怖いよ……」
頭を下げる風花の元には批判・非難の声が。
自分たちには関係ない。そんな非日常の話をされても分からない。信じたくない。
心無い言葉が風花に突き刺さる。自分が居なければ、出逢わなければ、幸せで安全な日常を壊すことはなかった。自分さえいなくなればみんなの平和を守ることができる。風花はまた自分自身を責めた。
「そもそもあんな女の子一人にできるのかよ」
「何人生徒がいると思ってんだ」
「無理に決まってるわ」
非難の嵐は止まらない。次々風花に突き刺さる。
あぁ、そうか。自分はここに居たらダメなんだ。自分がいるからみんなを壊してしまう。もういなくなればいいんだ。
「ひ、一人じゃなければ、いいんですよね? せ、先輩方」
風花が黒い感情に飲み込まれそうになった時、一つの暖かく優しい声が届いた。驚いた風花が振り向くとステージの上には優一、彬人、颯、美羽、一葉、うらら、結愛が。そして風花の横には、震える手で必死にマイクを握りしめる翼が立っていてくれた。
「だ、大丈夫、ぼぼぼ、僕らが、いるから」
翼は緊張で声も足も手も震えている。まるで生まれたての小鹿の如く。しかし、彼は風花と目が合うと安心させるように笑ってくれた。
自分は弱虫だ、と言っていた翼が、勇気を振り絞って舞台の上に立ってくれた。震える声で風花を守るために戦ってくれた。
「相原、くん……ん?」
風花はそんな翼の行動に胸の中に、今まで感じたことのない感情が胸の中に芽生えたような気がした。心臓の辺りにチクリと小さな痛みを感じ、手を当てる。しかし、その痛みはすぐに治まっていった。
「俺たちも一緒に守ります」
「これだけいれば人数の心配はないですよね、先輩?」
風花が胸の痛みに首を傾げていると、優一と結愛が上級生相手に立ち向かう。その横では彬人がポーズを変えながら、くるくると回っていた。
「良くやった」
優一はポンッと翼の肩に手を置いてくれる。彼の行動で翼の緊張の糸が切れ、目頭が熱くなったが、ぐっとこらえ拳を握る。
「おい、あれって2年主席だろ?」
「嘘だろ、神崎グループのご令嬢もいるぞ」
「ねぇ、一葉様よ、剣道部の!」
「「美羽たん! 我ら親衛隊どこまででもついていきまっす!!!」」
冷たい意見に包まれていた体育館が、翼たちの登場で空気を変える。否定的だった意見が、劣勢となり、優しい声が風花に届き始めた。
「頑張れ、桜木さん!」
「応援してるよ」
学級委員の平野と七瀬を中心にクラスメイトから声が上がった。パチパチパチパチ、とあっという間に体育館全体に拍手が響き渡り、風花を優しく包み込んでくれる。
「っ……」
ここに居てもいいのかな。私はまだみんなと一緒に居ていいのかな。
風花は隣の翼たちに目を向ける。すると彼らは優しい笑顔で微笑みかけてくれた。「大丈夫」と言うように。その笑顔が風花の胸の黒い感情を洗い流してくれる。そして、ポロリと風花の目から涙が零れた。
その涙は彼女の涙の中で、一番透き通っていて、綺麗な涙だった。
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「みんなありがとう」
風花が柔らかな微笑みでぺこりと頭を下げる。不安そうだった風花だが、今の表情は穏やか。先ほどまでの押し込めているような笑顔ではない。そんな彼女の様子を見ると、自然と口元が緩む。
「……」
しかし、風花には気がかりなことが一つ。舞台上で翼が自分を庇ってくれた時、胸の中に今まで感じたことのない痛みを感じた。この感情は何という気持ちだろうか。
あの一瞬感じただけで、今は特に感じていない。優しく微笑んでくれる翼を見てみるも、何も感じない。自分の気のせいだっただろうか。風花はただ首を傾げることしかできなかった。
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