第3章 言葉の重み
第48の扉 初めてをきみに
「それでね、みんなが消えちゃったんだけどね……」
鬼ごっこから一夜明け、本日は土曜日。風花は自宅にて、学校での出来事を太陽に話していた。
「相原くんたちが、一緒に舞台に立ってくれたの」
「それは心強かったですね」
「うん、嬉しかったの」
風花の表情は柔らかい。余程嬉しかったのだろう。
自分の存在を認めてくれた、いつ終わるとも分からない旅に、頼もしい仲間がついてくれるのだ。自然と彼女の心は満たされる。
「でも、条件が」
しかし、国家会議で決定した条件を思い出し、風花の顔が暗くなった。優しくも残酷な条件。彼女は翼たちにでさえ、そのことを告げないと決めている。
「……姫様」
暗い表情の中にも、風花の瞳に迷いの色は浮かんでいない。何かを守ると決めた時、風花の瞳に迷いの色は浮かばない。太陽は難しい顔をしながら眺めていたのだが
「こんにちはー!」
玄関から元気な声が響き、翼、優一、彬人の姿が見える。今日彼らはしずく探しのために集まってくれた。
「こんにちは、ありがとう」
「ふはっ! 気にするな、当然のことである」
彼らは放課後や休日にしずく探し、魔法の練習に時間を使ってくれる。それを迷惑とも負担とも思わずに、風花と関わってくれる。
「今日はどこまで行こうか?」
「えーとね……」
太陽は翼たちと話している自分の主人を瞳に映す。
風花の背負う運命は重いが、普通の女の子。彼らと笑いながら楽しむ時間も、大切にしてあげたい。こういう時間を守るのは自分の役目だろう。彼女に少しでも長く、多く、彼らとの時間を作ってあげたいと、心から思った。
「~♪」
早速5人はしずく探しへと出かけていく。春のポカポカ陽気を浴びて、風花はご機嫌。鼻歌まで口ずさんでいた。心のしずくをそれだけ集めることができた証拠だろう。無表情のことが多い彼女だが、時々自分の感情を外に出してくれるようになった。
「楽しそうだね~」
嬉しそうな風花を見て、翼からお花が飛び出している。風花の鼻歌と混ざって、何とも平和な光景が広がっていた。優一と太陽が口元を緩めていたのだが、彬人が何やら不穏な空気を放つ。
「桜木、俺が新しいレクイエムを授けてやろう ♪~漆黒の……」
「ストップ!」
漆黒ソングを歌い出した彬人を、間一髪で優一が防ぎ、太陽がいつでも風花の耳を塞げるようにスタンバイした。
「何をする!」
「桜木の教育に良くない。変なこと教えんな」
「ふ、俺の美声に聴きほれたか」
「違うわ! 『漆黒の』から始まる歌に、いい歌はないだろ!」
彬人は、ぷくぅと頬をぱんぱんに膨らませて抗議を始める。
「聴かなければ分からないではないか!」
「いや、分かる!」
「分からぬ!」
「分かる!」
優一と彬人の間で、賑やかなやり取りが開始。彬人はどうしても漆黒ソングを風花に授けたいようだ。優一に睨まれてもなかなかその意見を変えようとしない。
普段通りのやり取りに、翼たちが苦笑いを漏らしていたのだが……
「ふふふっ」
小さな笑い声が聞こえ、全員の動きが止まった。その声の主へ目を向けると……
「ふふっ、楽しいね」
風花が笑っていた。
『ぎこちない笑顔』や『嬉しそう』という表現ではもう現せない。今の彼女の表情にぴったりな言葉は、『笑っている』。これしか適切な言葉はないだろう。
「ほぅ、楽しかったか」
「楽しいのですか。それは良かったですね」
口元を緩ませた彬人と太陽が、風花に微笑みかける。彼らのその行動で風花の笑みが更に緩んだ。
「私、楽しい」
そう言う風花は、本当に楽しそうに笑っている。彬人と優一のやり取りが面白かったようだ。心と記憶を失っている少女には、日常の全てがキラキラと輝いて見えるらしい。
「桜木さん……」
翼は彼女の笑顔から目を離すことができない。
彼女はいつの間にこんな表情ができるようになったのだろうか。最初は無感情で無表情だった。その時からは想像もできないほどの変化を見せてくれている。
これからも様々な表情を見せてくれるのだろうか。それを考えると、翼の胸がざわざわと騒ぎだし、手が自然と彼女の頭へ伸びていく。
「あっ!」
翼の手が触れようとした時、いきなり風花が大きな声を出した。びくりと肩を揺らし、翼の動きが止まる。
「姫様、どうしましたか?」
「しずくが近くにある!」
しずくの気配を感じたようだ。風花は笑顔を消して、辺りをキョロキョロと捜索し始める。
「……」
翼は風花に伸ばしかけていた手を、そっと下した。今自分は何をしようとしたのだろう。考えてみるも分からない。首を傾げながら、風花たちとしずく探しに加わった。
「えぇ、無意識か……」
「そのようですね」
翼の様子を見ていた太陽と優一が、ため息をこぼしている。
風花がしずくの気配を感じたことで中断してしまったが、先ほど翼は風花に触れようと手を伸ばしたのだろう。そして、彼はよく花を飛ばしながら風花のことを眺めている。これらの行動から、とある感情を予測していたのだが、どうやら無意識下での行動だったようだ。
「あったよ、桜木さん」
「相原くん、ありがとう」
二人がため息をついている間に翼がしずくを見つけ、風花に手渡している。また翼からお花が飛び出しているのだが、双方そのことを自覚していない。
「まぁ、まだいいか」
心を失っている風花はまだ好きという感情を理解できないだろう。仮に翼が風花のことを想っていても、まだ自覚させない方がいいのかもしれない。
優一はふんわりとお花を飛ばし続ける翼をその瞳に映した。
「……」
その隣では太陽が難しい顔をして、自分の主人を瞳に映している。風花は心を取り戻していけば、好きという感情を理解できるようになるだろう。その時、隣にいるのは誰なのか。太陽は彼女の過酷な運命を思った。
「さらばだ!」
「ばいばい」
無事にしずくを取り戻し、風花は翼たちと別れる。すぐにリビングへと走って行き、ボフンとソファに座り込んだ。
「また一つ、思い出せる」
風花はキラキラと輝くしずくを眺める。
心のしずくには、感情と記憶と魔力の3つが入っている。そのため、今の彼女の中に、今まで生きてきた全ての記憶はない。自分に戻る記憶を見るのが楽しみなのだろう。風花は暖かな微笑みで心のしずくを見ていた。
「良かったですね、また一つ取り戻せて」
「うん、良かった」
太陽に柔らかく微笑むと、風花は胸元にしずくを持ってくる。ふわりと優しい風が包み、彼女の胸の中に入っていた。そして、瞳からは一粒の涙が。
少しぼぅっとしていた風花だったが、涙を拭いて太陽に問いかける。
「京也くんの誕生日って今月なの?」
「そういえばそうでしたね」
今取り戻した記憶の中で、風花は京也の誕生日ケーキを作っていたらしい。彼らは幼馴染。幼い頃はよく遊んだり、お互いの誕生日を祝ってた仲なのだ。と、いうことは……
「誕生日パーティー」
「……」
風花の漏らした言葉に、太陽がピタリと固まる。ギギギと振り向き、彼女の瞳を確認すると、楽しそうにキラキラ輝いていた。太陽の頭の中に嫌な予感が駆け巡る。
「パーティーやりたい」
「……」
予想していた言葉が彼女の口から飛び出した。先ほど見た記憶に影響されているのだろう。風花の瞳はキラキラと輝いてるのだが、太陽の顔はひきつっている。何だか胃痛がしてきた気もする。
「ダメかな?」
「……」
ダメだと言いたい。しかし、純粋な瞳を前にそんなことは言えない。
太陽の顔がひきつっているのは、パーティーの主役が敵である京也だから、という理由ではない。翼だとしても、美羽だとしても、彼は同じ反応を示しただろう。
「やりたい」
「う……」
太陽から苦しそうな声が漏れた。風花にはこういう楽しい時間が必要だろう。普通の女の子としての時間が。だからぜひとも開催させてあげたい。
しかし、彼には素直に許可できない理由が。
「たいよぅ」
「……分かりました」
ついに彼が折れた。風花は目の輝きを増したのだが、太陽は胃痛が止まらない。吐き気もしてきた気がする。
「みんなも呼ぼうね。明日声かけてみる」
そんな彼の胃痛に気がつかず、風花は早速パーティーのための想像を膨らませていく。
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