第44の扉  鬼ごっこ編その2

「桜木さん、飴ちゃん食べるぅ?」

「ありがとう」


 2年B組の教室にて、風花が颯に餌付けされている。現在鬼ごっこの最中なのだが、二人の間にはのんびりとした空気が漂っていた。舌の上でコロコロと飴を転がしている風花は何だか楽しそう。


「美味しい」


 鬼ごっこ開始直前、泣き出してしまいそうなくらい悲しい表情をしていた彼女だが、今では回復し、普段の無表情に戻った。あの悲しい表情の理由は何だったのだろうか。颯が風花に尋ねようとしていた時、耳に付けているイヤホンマイクから、美羽の声が届く。


『結愛ちゃんが、消えた。鬼が、少し触っただけで、一瞬、で、消えちゃった』


 余程怖かったのだろう。美羽の声はひどく怯えており、声だけで鬼の恐怖が伝わった。


「そんな……」

「まだ開始してから5分も経ってないよぉ」


 風花の瞳が悲しみで揺れる中、颯には緊張感が装備されていないのだろうか。相変わらずのんびりとした声で、欠伸まで添えている。


「鈴森くん、早く美羽ちゃんのところに行こう」


 美羽がいる場所は風花たちの居る教室の下。風花は一刻も早く美羽の元へたどり着きたいようで、素早く廊下へと出て行った。そんな彼女の背中を颯が追いかけていく。


「桜木さん、待ってぇ」

「美羽ちゃん……」


 今の風花に颯の声は聞こえていない。頭から美羽の怯えた声が離れないのだ。すぐに彼女の元に向かいたい、その思いが風花の心を埋め尽くす。


「西側から降りよう」


 風花たちの通う東中学校は中高一貫校。中学校校舎と高校校舎に分かれている。風花たちは今、高校校舎の3階にいた。美羽がいるのは高校校舎の2階。下の階に降りるためには、東と西にある階段のどちらかを降りるしかない。しかし……


 トントントン 


 二人が階段に到達した時、誰かが上ってくる音が耳に届いた。


「鬼かな?」

「誰か高校校舎の西階段を上ってるやついるぅ?」


 颯がマイクに尋ねるが、マイクは沈黙したまま。恐らく鬼が近づいて来ているのだろう。


「早く行かないといけないのに……」

「東側に行こうかぁ」


 颯が焦る風花をなだめ、二人は反対の東側の階段へと移動していく。風花は美羽への道のりが遠ざかってしまったので、かなり焦っているようだ。颯が「飴ちゃん食べるぅ?」と問いかけるも、答えてくれない。


「着いた」


 二人は東側の階段にたどり着いた。風花は早速階段を駆け下りようと走って行くのだが、その手を颯が引っ張り、物陰へと彼女を押し込める。


「鈴森くん、離して。早く行かないと」

「ちょっと、待ってねぇ」


 颯の行動に風花がもがくも、彼はその手を離さない。がっちりと掴み、暴れる風花を抱え込んだ。


「鈴森、んんっ!?」

「静かにぃ」


 腕の中で騒ぐと、彼の手が風花の口を塞ぐ。風花が戸惑いながら颯の顔を見ると、普段ののんびりとした雰囲気を全く感じなかった。鋭い瞳で階段の奥を見ている。一体何があるのだろうか。風花も彼の視線の先を追うと……


 トントントン 


 東側の階段を昇ってくる鬼の姿が。颯が抱え込んでくれたため、風花たちの存在にまだ気がついていないようだ。


「これはマズイねぇ」


 颯は声を漏らしながらも、状況をイヤホンで報告する。

 西の階段に一人、東の階段に一人。鬼ごっこで挟み撃ちにされたら、確実にゲームオーバーになってしまうだろう。


「どうしようかぁ」

「んん、んぅっ」

「あぁ、ごめん、ごめん」

「ぷはっ」


 風花の口を押えていた手が外れ、ようやく解放される。風花は、はふはふと空気を堪能していたのだが、その間にも鬼がこっちに近づいて来ていた。このままでは見つかってしまうだろう。

 風花の息がしばらく整いそうにないので、颯が彼女を抱きかかえて、近くの教室へと入り込んだ。


「鈴森くん、ごめんね。ありがとう」

「いいよぉ。俺もいきなり口塞いじゃってごめんねぇ」


 颯が頬を緩ませながら、風花の頭を撫でると、ようやく息が整い出した。ニコリと微笑んでくれる。


「さてとぉ……」


 颯は今後の行動に頭を働かせる。

 彼らが今いるのは3階。東側の階段を昇ってくる鬼は、2階から3階に上がってきている。おそらく結愛を消した鬼だ。

 一方西側の階段の鬼は足音が聞こえただけで、何階にいるのか姿を確認したわけではない。


「よぉし!」


 作戦としては、このまま東側の鬼をやり過ごし、美羽の元へ行くのが一番だろう。颯はのんびりとした雰囲気に戻って待機しているのだが、風花は鬼をやり過ごす時間さえも惜しい。美羽が一人で怯えているのだ。一秒でも早く彼女の元へたどり着かなくてはいけない。


 トントントン


 風花の焦りとは対照的に、鬼はゆっくりとした歩調で歩みを進めている。


 トントントン


 風花たちの隠れているすぐ側までやってきた。鬼はゆっくりとしたペースで廊下を進んでいく。


 トントントン


 二人の隠れている教室を通り過ぎたようで、足音が小さくなっていった。

 颯がその音を聞き、ふぅと息を吐き出すも、風花は安心する暇もなくすぐに飛び出していく。


「待ってよぉ」


 相変わらずのんびりとした声が風花の後ろから聞こえたが、今の彼女には聞こえない。美羽の待つ教室へ向かって一直線に走って行った。





「美羽ちゃん?」


 風花が一気に階段を駆け下り、美羽の居るはずの教室の扉を開く。すると、教壇の中から美羽がひょこりと顔を出した。美羽は泣きそうになっているも、怪我もなく無事。風花は美羽の姿を確認すると、ほっと胸を撫で下ろした。


「風ちゃん、う、しろ……」


 安心したのもつかの間、風花の後ろに不気味な影を見た美羽の顔が、恐怖にゆがんでいった。




__________________




「おい、一葉どこに行ったんだ?」


 彬人が一葉を探し、声をかけるが反応はない。


「鬼か? 姿は見えなかったけど……!?」


 彬人は気配を感じ、後ろを振り返る。




__________________




「風ちゃん、う、しろ……」

「!?」


 青ざめる美羽の視線に気がつき、風花が後ろを振り向くと、そこには鬼が。全身真っ黒のタイツのような物に身を包み、不気味に立っていた。


「え……」


 思いがけない鬼の登場で風花が固まってしまう中、無情にもタッチしようと鬼が風花に手を伸ばす。









「あっぶないなぁ」


 バチバチッ!


 のんびりとした声と、心地よい音が風花の耳に届いた。それと同時に身体がふわりと抱きかかえられ、物凄いスピードで鬼から遠ざかっていく。そして、美羽の元で降ろされた。


「鈴森くん、ごめんね。ありがとう」

「間に合って良かったよぉ」


 置いてけぼりにされていた颯が、足に電気を這わせ逃れてくれたようだ。間一髪だった。颯は相当焦ったようで汗をぬぐっている。風花の心臓もバクバクと脈を打っていた。


「ちょ……あ、れ」


 風花が颯にお礼を言っていると、美羽が震える手で教室の入り口を指さしている。その指の先には……



 鬼がもう一人



 鬼一人ならまだしも、二人を一気に相手にしなくてはいけなくなった。風花たちを緊張が包み込む。


「美羽ちゃん、結愛ちゃんはどうやって消えたの?」

「鬼がこうやって手を掴んだら消えた」


 美羽と結愛は教壇の中に隠れていたのだが、鬼が結愛の手に触れたら一瞬で消えてしまったようだ。

 今は鬼ごっこ。鬼は対象に触れることができれば、その対象をゲームオーバーにできる。と、いうことはその逆をするとゲームオーバーの対象になりかねない。

 つまり、自分から鬼に触れること。パンチやキックなど、鬼の体に直接触れる攻撃をすると、タッチと見なされて消されてしまう可能性がある。

 風花がどうしたものか、と考えている間に美羽はイヤホンで報告する。すると颯が閃いたぁ、と手を叩いた。


「ねぇ、桜木さん」

「ん?」

「俺に考えがあるぅ!」


 颯は満面の笑みでそう告げた。

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