第42の扉  国家会議

「お帰りなさいませ、姫様」

「ただいま」


 修羅場の一件の後、帰宅した風花を灰色パーカー姿の太陽が出迎えた。普段はパリッとした燕尾服に身を包んでいる彼だが、今日はラフないで立ち。何かあっただろうか。風花が普段とは違う太陽の様子に首を傾げるのだが、おもむろに手を引っ張られ、ソファに座らされた。


「どうしたの?」


 風花が疑問を口にするも太陽はニコリと微笑み、キッチンへと消えていく。しばらくして、戻ってきた彼の手には温かな紅茶が。湯気が立ち、優しい匂いを放つ紅茶が風花の前に出される。


「あの、えっと……」

「姫様、どうぞ、お召し上がりください」


 風花の戸惑いを遮って太陽が紅茶を進める。彼の意図は分からないが、ニコリと微笑む顔を前に飲まないという選択肢はない。風花はコップを手に取り、一口ふくんだ。


「美味しい」


 温かくて優しい味が口の中いっぱいに広がった。身体に入っていた力が抜けていき、落ち着いた気持ちになる。

 ふと隣で微笑む太陽に目を移す。彼は普段ぴっしりとした燕尾服に身を包んでいるが、今日は灰色のパーカー。普段のきっちりとした印象よりも柔らかくて優しい印象を覚えた。

 温かい紅茶と共に、風花の中にスッと入ってくる。心が穏やかになり、自然とその表情も緩んだ。


「さて、姫様……」


 しばらく紅茶を楽しんでいた二人だが、太陽がポツリと口を開く。


「私に何かお話があるのではありませんか?」


 太陽は風花にニコリと微笑んでくれる。

 月の国に攫われる前に彼女が言いかけたこと。今まで何回か聞きだそうとしてみたのだが、風花がその口を開くことはなかった。だから太陽は今日、彼女が落ち着いて話しやすいような環境を作ったのだ。紅茶も服も全てそのためである。


「ぁ、あ、の……」


 風花は言いにくそうに口ごもっている。太陽は彼女が力を込めて握りしめている両手を、優しく包み込んだ。


「どうされましたか、姫様」

「あ、あの、あのね……」


 優しく微笑む太陽に、風花はまだ何か迷っているようだ。彼女の表情は無表情、その目にもなんの感情も映していない。しかし、太陽の目には、何かを必死に押し込めているように映った。


「あ、あの……」

「はい、なんでしょう?」


 風花は自分の中で言葉を探しているようだ。太陽は風花がきちんと考えられるように、彼女の言葉をずっと待つ。


「……」


 どれくらいの時間が経っただろうか。風花は太陽に握られた手をにぎにぎとしていたのが、決心したように口を開く。


「……学校のみんなに、話した方がいいのかな?」


 風花は無表情から変わり、重く、悲しい表情をしていた。今にも泣きだしてしまいそうなほどに。その顔を見て太陽の顔も苦しく歪む。


「姫様……」

「誰かが攻撃してきたら、みんな、危ない」


 翼たち精霊付き8人以外には魔法の存在のこと、心のしずくのことを話していない。しかし、京也を始めとして、敵はいつ風花を狙ってくるか分からない。彼女の周りには危険が付きまとう。今後のことを考えれば、他の人にも打ち明けておいた方が、いざという時に混乱は少ないだろう。しかし……


「本来なら、私の魔法をみんなに話してしまった時点で規則違反だよね」


 世界の均衡を保つため、魔力の存在しない世界で魔法使いが正体を明かすことは禁止されている。その世界がパニックを起こし、壊れてしまうからだ。


「わ、私、どうしたらいいのか分からなくて。私が、いるからみんなが危なくて。相原くん、たちのことだって、私のせいで、みんなの、平和を壊した……」


 風花は最初、一人でしずくを集めるつもりだった。しかし、京也からの攻撃、翼たちが精霊付きだったことで仲間を作った。風花はずっとみんなの日常を壊してしまったことを、気にしていたのだろう。


「私が、居なければ……」

「姫、それは違います」

「違わないの!」


 太陽の言葉に風花は声を荒げる。彼女の頬に涙が伝った。


「何も、違わない。私のせいなの、全部……全部……」

「風花様……」

「私が、私が居なければ……こんなことには」

「姫……」

「うぁぁぁぁ」


 太陽は涙を流し続ける風花を優しく抱きしめた。

 彼女は何もかも一人ですべて背負い込もうとする。その運命は、小さな背中に到底背負いきれるものではない。それでも必死に仲間たちを守ろうと、抱え込んでいく。例え、それで自分が壊れても……














「うぅ……グスン」

「姫、落ち着きましたか?」


 しばらく泣き続けていた風花だが、やがて落ち着いてきてくれた。太陽のパーカーを握りしめながらも、彼女の表情は心なしか晴れやか。一通り泣くことができたからだろうか。


「あぁ、姫様、鼻水が出ております。はい、チーンしてください」

「……ありがとう、太陽」

「とんでもございません」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を太陽が整えてくれる。流石は幼い頃から風花に遣える従者。その手際は素早く、柔らかい。あっという間に普段の桜木風花の顔に整った。


「さて、一つずつお話ししていきましょうか」

「……うん」


 風花が落ち着いたので、太陽が口を開く。風花はいまだ太陽のパーカーを握りしめているが、素直に頷いてくれた。


「まず、学校の皆さんにお話しすることについてですが、これは私たちだけで決めることはできません。なので一度正式な会議を行い、色々な方にご意見をいただくことにしましょう」

「……うん」


 太陽の言葉に風花は素直に頷く。その表情は無表情のまま。太陽はそれを確認すると、話を次に進める。


「翼さんたちのことですが」

「……うん」

「誰も姫様のことを恨んだりしていませんよ」

「でも……」


 太陽の言葉に風花の瞳が揺れ、自分の中でまた言葉を探し始めた。太陽はゆっくりと彼女の言葉を待つ。


「私が出逢わなければ、みんなは、平和に暮らせたの」

「そんな悲しいこと言わないでください……」 


 風花の言葉に太陽の目が潤む。

 彼女は翼たちの能力開花時、『忘れてほしい』と言った。自分の存在を彼らの中で失くそうとしていたのだ。彼らの日常を守るために、必死に自分との出会いを消そうとした。


「そのようなことを思っている方は一人もいません」

「……」

「ですから、ご自分を責めるようなことをしないでください」


 太陽の言葉を聞いて、風花から再び涙が溢れ出す。ポロポロと溢れて止まらない。


「姫様は優し過ぎるのです。少しはその優しさをご自分にも向けてください」

「優しさ……」


 風花はキョトンと首を傾げる。太陽の言葉の意味を理解できないのだろう。

 彼女はどこまでも他人を優先して考える。

 みんなの日常を壊したくない、例えそれで自分が壊れても。

 みんなには笑っていてほしい、例えそれで自分が泣いたとしても。

 みんなには生きていてほしい、例えそれで自分が死んだとしても。



__________________








 様々な世界の王たちが集う国家会議。この会議は、各国の問題ごとや世界全体で取り組むべき課題について王族が協議する場である。そこに風花は出席し、事情を話していた。

 議題は「翼たち精霊付き以外の人間にも風花の事情を話すのか」ということ。


「規則違反ですぞ。自ら素性を明かすなど!」

「あちらの世界に多大なる歪みが生じる可能性があります」


 事情を聞いた各国から非難の声が飛び、風花がその嵐にさらされた。しかし……


「魔力を隠し、死ねば良かった、と?」

「そのようなことは……」

「規則は大切だが、命より大切なものなどない。今回の判断は間違っておらん」


 非難していた者たちの声を議長が制し、風花を安心させるように、優しく話しかけてくれた。相当緊張していたのだろう、彼女の口から息が漏れ、安心したような表情になる。

 そして議題は話すか否かの問題に。


「今の状況だと、話さない方が犠牲者が増えるのでは?」

「攻めてきた時の対応が遅れれば、その分危険が上がります」


 各国の参加者たちが頭を悩ませる中、話は難航した。




__________________



 一方


「ふぅ……」


 国家会議へと出かけた風花を見送り、太陽は一人責任を感じていた。

 彼女はどれだけ心の中で自分のことを責めたのだろう。一人であんなにも大きい感情を抱え込んで。あんなにも涙を流す風花を初めて見た。

 

「あそこまで爆発するとは思いませんでしたね……」


 太陽にも心配をかけないように、と感情を殺していたのだろう。心が欠けており、タダでさえ感情の起伏が表情に出にくい風花。故意に自分の感情に蓋をしたら、ずっとそばに居る太陽でも、その変化を見抜くのは至難の業だ。


 ピーン


 太陽が自責の念にかられる中、風花から帰宅の呼び出しが鳴る。気持ちを切り替えて、腕を一振り。すると、白色を基調とした桜の花びらの扉が現れる。


「お帰りなさい」

「ただいま」


 太陽はいつにも増して優しい声を意識し、風花を迎えた。本当は一緒に着いて行きたかったのだが、会議は王族しか出席できないのだ。風花は会議に出発する時は不安そうな表情をしていたが、今はその感情は消えている。

 一安心していると、風花が内容を報告してくれる。


「条件付きで話してもいいことになったの」

「条件とは?」


 太陽は思いがけない風花の言葉に首を傾げる。風花は一呼吸おいてから言葉を紡いだ。



『               』



「……」


 風花の口から飛び出した条件に、太陽は言葉を失う。その条件は優しく、しかしあまりにも残酷な条件だった。


「条件のことはみんなに話さない」


 複雑な思いを抱えながらも、風花の瞳には迷いの色は浮かんでいなかった。彼女は何かを守ると決めた時、その瞳に迷いの感情は浮かばない。


「姫様……」


 太陽はその様子に顔を歪めながらも、ぺこりと頭を下げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る