第41の扉  一葉の過去

「私のお友達に手を出して、タダで済むとお思いで?」


 うららの言葉に教室中が静まり返った。彼女の身体から、何やら黒いオーラが出ているような気がしなくもない。

 ひゅっと大野から息が漏れ、威圧的な態度にたじろぐ。今のうららはにっこりと微笑んでいるのに、普段の柔らかな印象を一切感じない。冷たい氷のような笑顔を張り付けている。


「なんなのよ、私は別に……」

「今まで、あなたが愛梨さんにしてきたことを考えれば、疑われても仕方がないのでは?」


 絞り出した大野の反撃にも、うららは全く動じない。鋭い瞳で大野を捕らえて逃がさない。


「調子に乗らないでくださる?」

「あら、わたくしは当然のことを言っているだけですが」


 うららは淡々と冷たい声で事実を言い放つ。彼女の態度に大野は小さく縮こまっていったのだが……


「お、お父様に言いつけてやるわよ」


 鼻を、ふんっと鳴らして、うららに負けないような低い声で言い放った。

 大野の父親は不動産業を営んでおり、うらら両親の神崎グループと並ぶ大企業。大野は今まで何か困ったことがあれば、父親の名前を出して退けてきた。相手も大企業のご令嬢と言えど、少しは動揺するだろう、と考え言い放ったのだが……


「どうぞご自由に、ですが……」


 大野の一手にもうららは全く怯んだ様子を見せない。それどころか、より黒い笑顔を貼り付け、にっこりと微笑んでこう告げた。



「私の持てる権力すべてを使ってお相手しますこと、ご承知おきくださいね」



 彼女の放った言葉により、教室中の温度が下がったような気がする。生徒たち全員が神崎うららを怒らせてはいけない、と今悟った。普段が物腰の柔らかい彼女なだけに、怒った時の破壊力が凄まじい。

 依然うららは身体から黒いオーラを出して、大野を威嚇している。


「天使の顔をした悪魔か……」

「バカっ、彬人。聞こえるだろ」


 静まり返る教室の中、いつの間にか隣に来ていた彬人がポロリと漏らす。優一が急いで彼の口を塞ぐも、一歩遅かったようだ。


「聞こえていますわよ、本城さん、成瀬さん」

「「すみませんでした」」


 うららににっこりと睨まれてしまい、二人揃ってきれいに頭を下げる。

 俺は関係ないのに、と優一は思っていたが、それを言うとさらに睨まれそうなので、黙っておくことに決めた。





__________________






 ドクン、ドクン 


 一葉の心臓が大きな音をたてる。


『暴力』 『最低』 『怖い』


 一葉は屋上までやってきた。後から来る風花と美羽が、呼びかけるも足を止めない。今にも飛び降りてしまいそうな勢いで、隅の柵までやってくる。


「来ないでよ! それ以上来たらここから飛び降りるから!」


 一葉の悲しい叫び声が二人に届き、風花の瞳が一瞬揺れた。


「一葉ちゃん……」


 一葉に何があったのかは知らない。大野が掲げた新聞の内容は分からない。

 でも、今目の前にいる自分の友人は、今にも砕け散ってしまいそうな悲しい顔をしていた。

 どうしてそんな顔をしているのだろう。何が彼女を悲しませているんだろう。

 分からない、何も知らない。それでも、一葉の手を離してはいけない。そう、頭の中で叫んでいる。


 風花は一歩彼女への距離を縮めた。


「風花、来ないでって言ってるでしょ!」

「一緒に帰ろう?」


 風花は一葉へと手を伸ばす。寂しそうに瞳を揺らす彼女には、恐怖の色は浮かんでいない。

 風花は断片的だが、大野の単語を聞いている。彼女の零した情報は曖昧だからこそ、恐ろしい。はっきりとしない漠然とした単語だけが、頭の中に残り、想像を悪い方へと突き落とす。先ほどのクラスメイト達のように。


「一葉ちゃん、帰ろう?」


 風花は自分のことが怖くないのだろうか。今の彼女の瞳に恐怖は浮かんでいない。ただ寂しそうに瞳を揺らすのみ。優しい雰囲気を放って一葉を見つめている。


「っ……」


 一葉はぐっと唇を噛みしめる。そうしないと涙が零れ落ちそうだったのだ。

 触れてもいいだろうか。自分のことを心配してくれる彼女に。……触れたい。


 一葉は目の前に差し出される暖かな手を握りしめようと、手を伸ばす。


 ドクン


 風花に触れようとした瞬間、再び一葉の心臓が大きく脈打つ。クラスメイト達の冷たい視線を思い出し、また息が苦しくなった。きっと今頃教室では様々に噂されていることだろう。


「一葉ちゃん?」


 風花はいきなり動きを止めた一葉を、不思議そうに見つめている。そんな彼女の声も聞こえず、一葉は自分の過去を思い出していた。




_______________



 それはまだ一葉が小学生の時のお話。

 事故だった。そんなつもりはなかった。しかし、運が悪かっただけ。


「キャー!」


 パリンという嫌な音と共に、窓ガラスが砕け散る。友達と遊んでいて、偶然投げた石が学校の窓ガラスに当たった。そして偶然そこを通りかかった児童にガラスが降りかかり、怪我をした。幸いにも、数カ所切り傷を負ったが、跡も残らないくらい軽いもので児童は無事。


「ごめんなさい……」


 しかし、一歩間違えば大事故につながっていた。一葉は故意ではなかったにしろひどく怒られ、教室へと戻る。そして教室の扉を開いた一葉は、現実の本当の恐ろしさを知った。



 クラスメイト達の刺すような視線が、小さな一葉の体を貫いた。



 その視線はまだ幼い一葉の心を壊すのに、十分すぎるほどの冷たさと鋭さを持っていた。戸惑う一葉の耳に追い打ちをかけるような言葉が届く。


「わざとやったんだってさ」

「よく叩いたり、暴力振るっているもんね」


 人の言葉は恐ろしい、何の確証もないのに人から人へ、少しずつねじ曲がりながら伝わっていく。事実は原型を留めず、最終的には『日常的に暴力を振るっている』『被害者は他にも何人もいる』など根も葉もない噂話が出来上がっていた。そして、一葉に届く言葉一つ一つが鋭い刃となり、彼女の心を傷つける。




_________________




「一緒に帰ろ?」


 自分の過去を思い出していた一葉は、風花の優しい声で現実に戻ってくる。柔らかな微笑みで、一葉ににこりと微笑んでくれる風花。そして隣には心配そうな美羽の姿も。二人は優しく一葉に手を差し伸べてくれる。まるで……


「「一人じゃないよ」」


 と、言うように。彼女たちの笑顔を見て、一葉の心の中の黒い物がスッと消えていくような感覚があった。


 二人と一緒なら、前回とは違う結末を迎えられるかな。


 一葉は勇気を出して二人の手を取った。




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「かっこよかったよ、うららさん!」

「うん、言いたいこと全部言ってもらった感じ」

「おほほ」


 きゃーきゃー、言いながら取り囲む女子たちに、うららはおしとやかな笑顔を返していた。その一方で大野のことを『怖い』『親の七光り』『潰されそう』とこそこそと騒ぐ輩もいたが、明るく騒ぎの中心地にいるうららたちにはその声は届かない。

 そんな中、風花たち三人が戻ってきた。


「何があったの?」

「聞くな、知らない方が身のためだ。あれはヤバい」

「何かおっしゃいまして? 成瀬さん」

「いえ、何も」


 状況を理解できていない風花たちが優一に聞くも、うららににこりと睨まれてしまった。また優一の頭が綺麗に下がる。


「南無」


 彬人が合掌しているが、優一に見つかり叩かれていた。教室には柔らかないつも通りの雰囲気が戻っている。帰ってきた一葉に対し、冷たい目線や言葉を投げるものは一人もいない。一葉は教室の状況に驚きながらも、賑やかな輪の中へと足を進めた。











「必ず仕返ししてやるんだから!」


 うららに撃退されてしょんぼりしていた大野だが、自分の席でポツリと呟いている。その様子を京也が外から眺めていた。


「大野彩ね、使えるかもな。ところで紅刃くれはどうだ? ここは」

「申し分ありませんわ」

「準備が整い次第やれ」

「はい」


 京也の隣に立つ女性は、不敵ににっこりと笑う。

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