第40の扉  私のお友達

「何が起きてるの?」


 次の日、翼がガラリと教室の扉を開けると、その異様な空気にぴりつく。そんな彼の疑問に答えるように、優一がポツリと「修羅場だ」と呟くも、翼には全く理解できない。どうしてこうなったんだろう。


 教室では『藤咲一葉 対 大野彩』 のような構図になっていた。

 

 話は翼が登校してくる10分ほど前まで遡る……




「おはよう」


 ガラガラと扉を開けて、川本愛梨が登校してくる。相変わらずおさげ髪で、おどおどとした挙動なのだが、今日の彼女は心なしか楽しそう。昨日風花たちと話せたことが嬉しかったようだ。

 教室にまだ彼女の姿はない。今日も風花は話しかけてくれるだろうか。ニコリと微笑んでくれるだろうか。愛梨は彼女の笑顔を想像するだけで、心が軽くなるような感覚を覚えていた。いじめられていた自分にとって、風花は初めて自分を助けてくれた相手。もっと仲良くなりたい、仲良くしてくれるかな。愛梨は不安と期待の混ざった心で自分の席へと歩いていく。


「え……」


 しかし、席にたどり着いた途端、愛梨の顔から表情が消えた。ビクリと肩を震わせて動けなくなってしまう。教室の後ろからは何やらくすくすと笑い声が聞こえなくもない。


「おはようございます、川本さん。どうされましたか?」


 続いてうららが教室の扉を開いたのだが、彼女も愛梨の席を見て言葉を失う。

 愛梨の机の上には無数の落書きがされており、机の中にも落書きをした紙がいっぱいに詰め込まれていたのだ。おそらく後ろの方の席で、こちらを面白そうに笑っている大野たちの仕業だろう。

 彼女たちは今まで愛梨に宿題をやらせたり、叩いたりと嫌がらせの数々を仕掛けてきていたが、ついに本格的に動き出したようだ。あまりにもひどい。


「……うらら、ちゃん」


 愛梨は完全に怯えきってしまっている。ふるふると肩を震わせ、目が潤んでいた。うららは愛梨を安心させるようにニコリと微笑むと、すぐに机を綺麗に片付け始めてくれる。


「おはよ……」


 次に登校してきた学級委員の七瀬沙織も、愛梨の机の状況を見て固まる。しかし、すぐにうららと一緒に片付けを始めた。ショックで動けなかった愛梨だが、二人の優しさで身体が動くようになり、片付けに加わる。


「おはよう」

「おはよ、何してるの?」


 次に風花、優一、一葉が教室の扉を開き、片づけをしている三人の姿が目に入る。うららたちのおかげで少しはマシになった机だが、まだまだその惨状はひどい。風花が不安げに瞳を揺らし、片付けに加わった。


「っ……」


 一葉はその惨状を見ると、ピリッとした空気をまとって、教室の後ろの席に座る大野の元へとつかつかと歩いていく。


「おい、藤咲……」


 優一が止めようと声をかけるも、一葉の耳には届かない。


「ねぇ、あんたでしょ」

「なんのことでしょう?」





__________________





「で、今に至ると……」

「そうだ」


 優一は、状況を理解できていなかった翼に説明を終える。そうしている間にも、次々と生徒たちは登校してきて、ほとんどの生徒が集合した。


「ふふっ」


 すると大野は、待っていましたとばかりに微笑む。彼女は何を考えているのだろう。何だか嫌な予感がしなくもない。

 今教室の注目の的になっているのは、ピリピリとした空気を纏っている一葉と大野。そして大野は更に注目を集めるように、大きな声で口を開いた。


「私、お友達にこんなひどいことしませんもの。言いがかりですわ」

「何が友達だよ。愛梨のこと、都合のいい道具みたいに使いやがって」

「そんなことしていませんわ」

「嘘つけ!」


 一葉は大野との距離を縮める。今にも殴り合いのけんかを始めそうな勢いである。しかし、すごい剣幕の一葉に怯むことなく、大野はわざとらしく大きな声をあげた。


また・・、暴力を振るうおつもりですか? 藤咲さん」

「……何が言いたい?」


 彼女の言葉を聞き、一葉の動きがぴたりと止まった。その隙に大野はポケットから一枚の新聞の切り抜きを取り出すと、クラス中に見えるように掲げる。


「お父様に調べていただきましたの、そうしたらこんなものを見つけて……」


 大野の父親は資産家で不動産業を行う大企業社長。そんな父親の権力を使えば、一葉の過去を調べることなど容易いことだったのだろう。


「昔は随分とやんちゃだったようですわね? 藤咲さん」


 一葉はその新聞に書かれている内容の正体が分かると、強引に大野からひったくった。そして、ぐしゃり、と新聞の切り抜きを握りしめる。そんな彼女の行動をなんだ、なんだ、とクラスメイト達が不思議そうに眺めていた。


「どうしたのかな」


 翼たちも二人の様子を不審に思いながら眺めていたが、状況が分からない。ただ一葉の顔が真っ青になっていることだけは分かる。新聞に書かれていることは何だったのだろうか。



『暴力』『怪我をさせた』



 生徒たちが何があったのか、と考え込んでいる所に大野の放つ言葉が降り注ぐ。二人は今小さい声で話しているのだが、大野がその単語だけが聞こえるように大きな声を出している。


「おい、今、暴力って言ったか」

「どうゆうこと?」

「暴力事件でも起こしたの……?」


 クラス中の視線が一葉に突き刺さる。息ができない。心臓を刺されているみたいに胸が痛くなる。


「なんか怖いよ……」

「剣道部のエースがそんなんでいいのかよ」


 クラスメイトの言葉は止まらない。不自然に大野から零される単語で、連想を始めてしまったのだ。一葉の心の徐々に抉られる。


「ふふふ」


 大野はそんな一葉の様子を見て、満足げに微笑んでいた。彼女の狙いはこれだったのだろう。クラス中の視線が突き刺さるように、わざと愛梨の机にいたずらをした。それを見た一葉が、自分に突っかかってくることを見越しての行動。


「っ……」

「一葉ちゃん!」


 教室内の空気に耐えられなくなった一葉が飛び出した。その後を風花と美羽が追いかける。


「逃げ出すってことは本当なんだね」

「最低」


 クラスメイト達は勝手な連想を続けていた。悪い方向へ進み、妄想の連鎖は全く止まる気配を見せない。一葉に対する黒い感情が渦巻く中……


 カタン


 と、心地よい音が響いた。音の先には机を片づけを終わったうららの姿が。何やら黒いオーラを纏っているのは気のせいだろうか。


「ひっ……」

「あぁ、これは更にヤバいことになりそうだな……」


 うららの顔を見た翼が小さく悲鳴を漏らし、優一はこれからの展開を思い、顔を引きつらせていた。そんな彼らには構わずに、うららはゆっくりと大野の元へと移動した。それに伴って、生徒たちの視線も彼女に移る。


「な、なによ、神崎さん。たとえ神崎グループのあなたでも、タダじゃ置かないわよ」


 大野はうららの登場にたじろぐも、自分の父親を盾に強気の姿勢は崩さない。うららはそんな彼女ににっこりと微笑んで、今まで聞いたことのないような低い声で冷たく言い放つ。


「あなたこそ……」







「私のお友達に手を出して、タダで済むとお思いで?」


 ざわざわと騒いでいた教室内が、一気に静まり返った。

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